The Green Hills of Earth
ショッピングセンターで、5分間に11回、携帯電話を使って女性のお尻を狙って撮影をした男が「北海道迷惑防止条例」に違反したとして捕まりましたが、その裁判の結果は最高裁までもつれました。結果、5人の裁判官のうち4人までが「社会通念上、性的道義観念に反する下品でみだらな動作であることは明らか」と判断した結果有罪が確定しました。
今回の判決は微妙です。
この判決は、特定の女性を付け狙うように撮影をしたと言う事が「下品でみだら」なのでしょうか。だとしたらある程度は納得するのですけれど、写真撮影そのものが「下品でみだら」と言うのだとしたら、この裁判官たちは犬とライオンの区別はつくのか、モナリザとゲルニカの区別はつくのか甚だ疑問だと申し上げたい。つまり芸術という物を理解できているのかと言う事です。この有罪となった男のやっていたことは芸術行為ではなかったと思います。多分欲情に駆られて撮影をしていたのでしょう。でも、きれいな物を撮影したいというのは誰にでもある気持ちでしょうし、それを「下品でみだら」と言われたら、写真を趣味とする人たちはどうすればいいのでしょう。
写真雑誌をめくってみれば、そこここにプロアマを問わず、街角の一瞬を切り取った写真が掲載されているでしょう。私も街角で写真を撮ります。それこそきれいなお尻の人、きれいな足の人をできるだけきれいに映るよう工夫して写真を撮ります。まぁ、それだけじゃなく、街角にたたずむ老人だとか様々なあらゆる物が被写体となりますけれどね。 他の人から見たらもしかして「同じじゃん」と思われるかもしれませんが、私の中では、私は「普通に写真の被写体を探している」けど、その男性は「普通にきれいな女性を捜していた」という違いがあると思います。それは大きく違うんです。だから、その「下品でひわいな動作」という物が何を指すのか、それがとても重要であり、それがもし写真撮影をしたこと自体を指すのであるなら、私はただ1人無罪を主張した裁判官の言い分である「背中なども写っており、一見して卑猥との印象は抱けない」と言う意見に同意するものです。
芸術と称して女性の裸を撮りたがる人もいます。それと本当に写真が好きな人とは明らかな違いがあります。それは前者は女性の裸を前にして女性を見ますが、後者は女性の裸を前にしても、そこにいるのは被写体であると言う違いなのです。それは医者が裸の患者さんを相手にするように、銭湯の番台にたつように、端から見るとうらやましい事に思えても、実際にその立場になるとすぐに慣れてしまって何も感じなくなってしまうと言うのと同じなんです。被写体と思えない人が女性を写すとき、そこには「下品でひわいな動作」がにじみ出てくるのかもしれません…いや、自分もそうだったのかな? 私も本人に依頼されてヌード撮影をしたことが何回かあります。幸いなことに裸で足を広げられても相手を被写体としてみていました。何回か撮影を頼まれ、その度に結構気に入った写真を撮れましたし、文句は言われなかったのですけれど、もしかして顔がスケベだったとかあったのか、つい心配になってきましたよ…
兎に角、写真を撮ることと、自分の性欲を満たすことは大きく違っていると言う事でした。
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