The Green Hills of Earth
昨日テレビを見ていたら、野良猫に餌をやること等は正しいのかというような話をしていました。
「野良猫ならまだしも、野良カラスに餌をあげる人もいる」とか「カラスはダメだけど、猫は良いなんておかしい」とか逆に「猫だけ許されるってえのは変だ」とか様々な意見がありました。
別の番組では、世界最初の国立公園、アメリカの「イエローストーン国立公園」が紹介されており、そこでは折れた小枝、落ち葉一枚拾うのも違法であり、ましてや動物に干渉することも厳禁という世界的には常識だけど、日本の基準からは信じられない規則があることが紹介されていました。
遥か昔のアメリカ映画、ある開拓農民の一家で子供が小鹿を飼うことになったのですが、成長するにつれ農作物を食い荒らすそれに対し、親は子供にどう責任をとるかを投げ掛け、子供は泣きながら銃で鹿を撃ち殺します。ペットを飼うということは「命を預かること」という訳です。
話を元に戻しますが、日本にも動物愛護法とか言う法律が申し訳程度にありますが、それは野性動物もペットも同列に語られていて、扱いが曖昧です。
北海道等に行けば、観光客が無責任に動物に餌をやり、客を呼ぶために動物を餌付けするところも少なくありません。そして「絶滅しかけている動物の助けになれば」等と言います。日本の国鳥はトキです。が、何年も前に絶滅し、中国からもらったものを一生懸命育てています。 トキを捕まえて檻に入れるのが保護でしょうか。本当に必要なら、トキの餌を確保するため、最後の生息地になった佐渡の田んぼでは農薬の使用を禁止して、その農産物を国が買い上げるなどの処置をするべきだったのではないでしょうか。
キツネなどの動物に餌をやる精神年齢の低い、モラルと言うものの存在すら知る機会を持てないかわいそうな欠陥大人を作り出しているのは、そういう環境の違いにおける動物とペットの区別の仕方、接し方を教える機会を持たない教育制度に問題があるのではないでしょうか。
話は大きくなりましたので元に戻しますが、その番組で、私は「地域猫」という気持ちの悪い言葉に唖然としました。自分では飼えない(飼わない)けれど、癒されるから、地域で守るべきとはなんと都合のよい身勝手な理屈でしょう。 てめーで責任がとれないのなら手を出すな。ってぇのが当たり前でしょう。動物とは野性動物を指し、ペットのことを言っている訳じゃない。ペットは飼い主が飼いきれなければ自分の手で処分するべきものです。それができないなら飼うべきじゃない。
猫も犬もかわいいし、私も大好きです。でも、猫アレルギーの人もいれば、よくない思い出を持つ人もいる。そういう人のことも考えれば、「地域猫」等と言う明らかに間違った、稚拙な考えは頭の端にも浮かばないはず。 動物が好きと言うことと責任は一体なんだと言うことをもっと理解すべきですね。
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