The Green Hills of Earth
iPhoneを買ったのが先週…とは信じられないくらい、iPhoneは生活の一部になりつつあります。
iPhoneは解像度は低いですが、写真のビュワーとしても結構使い勝手が良いので、自分が今までに撮った写真の中から気に入ったものを選んでiPhoneの中に入れてみました。 入れたのは約350枚ですかね。さすがにRAWデータのファイルは画像と認識してくれないので、撮影してきて家でRAW現像した結果を取り込むという訳には行きません…本当はそうするべきなのですけれど、面倒くさがって、RAW現像したものをjpegに落としていなかったのです。 ここで分かったこと… 自分では「風景写真専門」と思ってきたのに、結構人物が中心の写真も多かった。これは意識していなかっただけにちょっとびっくりでした。でも、そうだという数値が出てみたら、「そうかもしれない」と思う自分もいました。 例えば、先日の祇園などでも、鉾を撮影するだけではなく、その鉾を組み立てる人、鉾のためし引きに群がる人などを最近は良く撮っています。昔はそういう写真は撮らなかった。でも、今はそんな時の人が見せる表情を切り取ることが面白いと思ってしまうんです。まぁ好みが変わったということなのかもしれません。 一番ショックだったのは、ストックしてある写真は数万枚になるのですが、まとめちゃったら300枚程度になっちゃったという事。残りは何なの…と思うとやり切れません。 いやね、全部が屑って訳じゃないんですよ。似たようなものがいくつかある内の1枚を選んだから残りは選んでいないとかそういうのもあります。でも、もっと多くの写真が候補に残って、「どーしよー。えらびきれないよー」と悩むものと思っていたんですけれどねぇ。ま、素人の写真なんてこんなものだと思うようにしましょう。 …いや、やはりね、今回改めて画像を見直して、反省すべきことは反省しないと進歩は無いなぁとも思います。 反省すべきこと。一番は「もっと三脚を使え」って事ですね。特に花の写真などでは手持ちで撮影したためにぶれてしまっているという写真が多かった。すごく良い構図なんだけどぶれているから選外にしたって言うのも多かったんです。うちの三脚(SLIK The Professional II)は重いんですよ。それだけで4kg以上…これを持ち歩くのは正直辛いので、もう少し小型で軽いやつを本格的に探してみようかなぁ…
静脈の分布などで個体認証を行う生体認証の普及は2008年3月末で3.1%程度に留まっているのだそうです。まぁ、採用しているのが銀行などの金融系カードで、それも対応しているATMが限られている状況では爆発的な普及は見込めないでしょうね。 更に、一部では身近にある様々なもので生体認証を偽装出来ることも取りざたされていますから、生体認証一つにセキュリティを任せるのも如何なものかと言う思いもあります。 そんなニュースを見ていたら、テレビから(多分NECの宣伝でしょうけれど)、「USJの入場が顔認証装置のおかげでスムースになった」なんていう話が流れてきました。 出入り口に顔を映すカメラとそれを表示するモニタがあるようです。詳しく見ていないので良く分からないのですが、認証されるとモニタに映った自分の顔の周りに☆が出てくるなど堅苦しくない装飾は施されているようですが、これってどんなものでしょうね。私はこういうところには出来る限り行きたくないと思いました。ええ、私は自分の顔が好きじゃないです。コンプレックスがあるというほどじゃないですが、私の趣味が写真になったのも、自分が写真に撮られるのが嫌だったから、だったら撮る側に回ろうというのが発端だという位ですからね。 多分、多くの人は写真を撮られることに抵抗は無いでしょうし、むしろ積極的に自分(たち)の記念にと写真を残すでしょうね。私の場合、私がもし今死んだとしたら、遺影に使われる写真は何十年前のものになるんだろうと言う感じです…あ、免許証の写真なら仕方なく先月撮った最新のものがあるなぁ…兎に角、それ位写真を撮られる、モニタに自分の顔が映るっていうことが嫌いなんですよ。これはもう私に対する嫌がらせとしか思えません…なんて言っちゃいたくなります。ま、私のように思う人は極めて少数だと思いますから、全体としてみたらこれはこれでいいのかもしれませんけれど、私はこの「顔認証」を導入したおかげで何が効率よくなったのか良く分かりません。チケットを見たり、スキャンするのが面倒という事なのでしょうか。 まぁ、よほどの美人にせがまれない限り、これでUSJとは縁がなくなったのが少し残念です。2004年にUSJに行った時には、是非もう一度遊びに行きたいなぁと思っていただけにね。
レスリングの84kg級グレコローマンで準決勝の判定に不満があったスウェーデンの選手が3位となったのですが、表彰式でメダルを受け取った直後に、表彰台を降りてマット中央にメダルを置いて立ち去りました。これに対して国際オリンピック委員会は、この選手を失格として銅メダル剥奪としたそうです。 私はこの試合を見ていたわけではありませんので、この判定が正しかったのかどうかは分かりません。ただ、昨日も申し上げましたように、一人しかいない審判の見た目、主観だけでジャッジされる事が果たして正しいのかと言うことについて、この選手がそれを実を持ってあらわした形になっているのではないかと思います。 それにしてもこの選手は、メダルを受け取った後、1位の選手と握手をした後、マット中央へ行ってメダルを静かに中央に置いて去っていきました。しかし、ネットでのニュース見出しは多くのメディアが「投げ捨てて」と書いています。これはどういうことなのでしょうね。 私が映像を見た限りでは、この選手は静かに審判団に抗議をしたと思っています。怒りをあらわにしたとかではなく、こんな程度の審判の元で得たメダルに何の価値があるかという事でしょう。その昔、日本のJリーグでも一部明らかに能力の無い審判が無茶な判定を繰り返し問題になったこともありますし、アメリカのメジャーリーグでもそんな審判が話題になったこともありましたね。話題になってその審判に鉄槌が下されるならまだ良いのですが、オリンピックの審判はどうでしょう。私は決してこの試合の時に審判がダメだったと断定するつもりはありません。選手が自分が有利だったと思っているだけで、実際には審判が正しく判定をしていたとも考えられます。ただ、もし、冷静な目で見た時、この選手が間違っていると思えるなら、コーチなどがそれを諭す時間はたっぷりあったはずです。 オリンピック委員会は選手を悪と決め付けました。そして日本のマスメディアもそれを支持しているようです。 でも、本当は何が悪いのか、それは決して明らかにはならないのでしょうね。 勝ち負けではなく、審判の主観による決着とか、そういう不透明な事が増えるのが目に見えているので、私も昔は見るのが大好きだったレスリングも柔道も、もう2度と見なくていいやと思える絶望を感じている今日この頃です。 リンク、引用はご自由に。画像は勝手に持ち出さないことを祈ります。 COPYRIGHT(C) Lunatic 2002-2010 |