The Green Hills of Earth
今は「アンチ巨人」「アンチプロ野球」の私ですが、その昔は「巨人大好き」だったんですよ。まぁ田舎にはプロレスか野球を見ることくらいしか娯楽が無かったからと言うのも影響しているのかも知れませんが、兎に角、川上さんが監督をしている時代辺りまでは多少の例外はあっても巨人が育てた選手が巨人で活躍をしていたと思います。だからこそ巨人と言うチームの選手に愛着もあったし、応援のし甲斐もあったんですよ。しかし、最近の巨人と言えば、私のように普段殆どや急に興味を示さないものが開幕当初の試合を見ると「あれ?この選手ってどこから来たの?いつからいたの?」って感じです。実際に下馬評通りに活躍するかどうかは別にしても巨人のレギュラーの中には他チームの4番バッターだった人が名を連ねていますよね。「お金を使ったなぁ」とは思いますし「派手だなぁ「とは思いますけれど「まじめに優勝を狙っているチーム」には見えません。その昔は「エリート球団」だったかもしれませんが、今は「頭に手ぬぐいをして金歯でベンツを乗り回す成金球団」と言うイメージしか沸いてきません。これじゃファンも若手も育ちませんよ。だから「あんなに金を使ったのに優勝もできない」「連敗? ザマーミロ」と思ってしまうんですよね。 兎に角、今はビンボのどん底であれこれ大変な思いをしている私ではありますが、時々ネットのニュースヘッドラインで巨人の惨状を目にするにつけ、「いや、あんなどん底もあるんだから」と活力がもらえる気がするのです。
また今日も東京に用事があり、昼前から出かけます。 今日はWILLCOMのW-ZERO3[es]が新宿高島屋や有楽町ビックカメラなどで体験イベントを行うようです(link)。時間があえば実機にさわりにいってみようかなと思っています。その場で予約もできると言うことですが、そんなお金はありませんから、あくまでも時間を潰すだけの野次馬と言うことですがね。結局一昨日も通り道として有楽町ビックカメラの中を通過はしましたけれど、折角久し振りにトーキョーに行ったのに、何にもしないで帰ってきちゃったんですよね。果たして今日は多少は遊ぶ余裕があるのでしょうか…人ごみがとても苦手なので、どうなりますかねぇ…うまく遊ぶものを見つけたら多分夜まで遊んでくるでしょうけど、結構早く帰宅してしまっているような気がします。
先日、諏訪で発生していた連続放火事件の容疑者が捕まったそうで、その人は「熊ぇり」とか名乗って「熊田曜子さん」に似ているのを武器(?)として芸能界入りの希望を持っていたのだそうです。良く分かりませんけれどね、芸能界に「熊田曜子」は2人も要らないんじゃないでしょうかね。 まぁそんなことはどうでも良いのですけれど、このほうかの動機ってなんなのでしょう。 誰かに恨みを持って放火したと言うことでもなさそうですし、単にブログに書き込む話題が欲しかったと言うことなんでしょうか。 勝手に屁理屈を言っているだけかもしれませんが、ファミコンとかウォークマンと言うものが世に出て「パーソナル」なんて言葉が重要視されるようになって以来人との関わりを苦手とする人が増えているように思えます。一般的なイメージで言うところの「オタク」って言うのもそうですよね。「面倒だから人と関わらない」「面倒だから、自分の好きな音楽を聴いている」「人と遊んでいるより、自分1人でゲームしている方が良い」そんな環境では人と関わりあうことはいつまでも学べないのではないでしょうかね。最近は携帯電話でも家族割引や特定の相手を割り引くサービスがありますし、WILLCOMになるとWILLCOM同士ならどれだけ話しても料金は定額だったりします。そういうところに登録する仲間とは話すけれど、それ以外の人は野菜と一緒なんて考えの人が多くなっているのではないかと心配です。そんな人と接することが下手で、自分をどうアピールすれば良いのかわからない人が結果行き過ぎて事件を起こしているのではないかと最近の様々な事件を見て思うのです。 私が子供の頃は、理不尽な事もありましたが、いたずらをしては先生に拳骨を貰い、廊下に正座をさせられ、それでも悪戯を繰り返し、更に学校が終わればみんなで野球をしたり…そんな事が人間の形成で結構重要なんじゃないかなと思えるのです。 ええ、そういう風にして育った人の中からも犯罪者は出ていますし、ゲームとウォークマンにどっぷり浸かっているけどまともな人もいます。一概にこれが正しいと言うつもりは毛頭ありませんが、このままでは日本人はみんなオタクになっちゃうのではないかと心配してしまいます。何をするのも自由ですが、人と協調できない人は「社会に適応している」とは言えないでしょう。そんな人たちが台頭してくるのは如何なものでしょうねと私は思ってしまうのでした。
今日も東京に出る用事があったので、これ幸いと有楽町のビックカメラに立ち寄ってみました。今日から数日間WILLCOMのW-ZERO3[es]の展示イベントがあるからです。 私はかなり方向音痴なので無事たどり着けるか心配だったのですけれど、駅のホームから店の看板も見えましたし、そちらに下りてみればパンツが透けそうな(いや、実際透けている人もいたけど)キャンペーン用女性が店頭でうちわみたいなのを配っていたので、すぐに判りました。 時間的にはまだ多くの人は仕事をしている時間なので、店頭に展示してあった実機をすぐに手にとって見ることができました。[es]になってもまだ通常の携帯電話よりは一回り大きい感じがしますけれど、まぁ多分胸ポケットなどには収まるでしょうから、許容範囲ということにします。画面も小さいですけれど、大きい画面を望むなら、じゃあW-ZERO3の大きい筐体にすれば良いとなっちゃう訳ですから、これも我慢するべきですし、我慢できるでしょう。 本体を横に倒して上部を上にスライドさせると、下にQWER配列のキーボードが出てきます。多くのPDAなどではこのキーボードの出来が悪くて「使い物にならない」と私は判断してしまったのですがこれは…はい、落第です。もう一気に買う気が失せてしまいました。今はじつはまだ出先なので写真などを用意するわけにも行かないので、メーカーのサイトの写真で雰囲気をつかんでいただければと思うのですけれど、そして、多分ここを見てくれてえいるかたの大半はパソコンを利用してご覧になっていると思いますので、そのキーボードを見てほしいのです。 よほど特殊な機械を除くと、「F」に左手の人差し指「J」に右手の人差し指をいて、それから隣のキーに順次指を乗せていくとタイプの基本の姿勢となりますこの時、左手の小指は「A」の上におかれ、左人差し指を基点に小指を上の段に移動すると自然と小指は「Q」に到達するようになっています。同様に左薬指は「S」にあり人差し指を基点に上段へ移動すると「W」を打つようになるのです。で、このW-ZERO3[es]のキーを見ると、「A」の真上には「W」が来ています。本来のキーボードでは基本姿勢で左人差し指のポジション「F」の右隣には「G」があり、これも左人差し指の担当ですし、同様に右人差し指の「J」の左にある「H」は右人差し指の担当です。つまり同じように並んでいるキーなのですが、「G」と「H」の間には覗き込むと象が世界を支えている世界の果ての境界線が見えるはずなのです。しかし、この機器は、デザインを重視した結果、本来ASDF…と並ぶところの一番左に「TAB」をZXCVが並ぶところの一番左に「Shift」キーを無理やり入れその2段を右にずらしてしまったのです(逆の言い方をすれば、一番上のQWERの段だけ、ESCなどのキーがない分、横に広がりすぎているのですね)。何もこのキーをタッチタイプするわけではありませんが、私は基本的にキーを見て打つ訳ではありません。こういうキーボードでも、基本はキーの位置関係を体で覚えているので、左右の親指だけで打つにしても、次のキーはどこにあるかを感覚で捕らえて移動しているのです。ですから、このキーボードではまったくまともな文字が打てません。多分、それでもいいと買ってしまってしばらく使えば、これはこれで順応すると思います。でも、こんな変な、そしてまったく応用の利かない配列を手に覚えさせたところで何の特にもなりません。だったら買うこと自体をあきらめるのが一番だなと考えた次第。 シャープのZaurus、SONYのCLIEなど、小型PDAでキーボードを内蔵したものを何個か使ってみましたけれど、ダントツに使いやすいのはZaurusでした。本体を手に持って親指2本でキーを打つのですけれど、非常にバランスが良く作られているし、キーのタッチもストロークもそしてその間隔も適度でちょうど良いのです。翻ってCLIEなどはキーの間隔が開きすぎているし、バランスも悪いので、キーを打っていると本体が落ちそうになったりするんですよ。そして、このW-ZERO3[es]もSONY型で、少し大きめのキーは打ちやすそうに見えますが、それは格好だけで、実際には横長の形で持った手には真ん中ほどのキーを打つのが大変です。またキーの大きさが大きすぎるので連続した文字を入れるときにもリズムよく打つことができません。「いちいちローマ字を入力するより、手書き文字を認識してくれたほうが便利じゃん?」なんて思って買ったものもありますが、実際に使ってみるとちょっと画数の多い文字があると書くのが嫌になっちゃいます。あまりこの手の機器に理想を追い求めるのは間違っていると思いますが、これだったら普通の携帯電話で文字を打っている方が良いように感じます。タッチタイプができない人が設計したんだろうなぁと思うのですけれど、あのキーの並びに何か意味があるのではないかと思うだけの頭はなかったのでしょうかねぇ…
キーボードは少し使っていたら、手のほうが慣れました。まぁJIS配列キーボードとASCII配列キーボードどちらを出されても手は自然にそれに対応するくらいですから、暫く使えば、その変則配列は実際にはそんなに問題にならないでしょう。そしてあまりキーの配列にこだわりをもたない人なら、尚更それは問題点とは思えないでしょうね。ただ、私にとっては生理的に受け付けないものと言う位置づけなのかもしれません。例えばある会社が画期的なアイデアの商品を出すと、似たような商品が次から次へと出てくるのですけれど、確かにそういう競争で商品はより良くなり値段も下がると言うことは理解しますけれど、やはりそういう猿真似をする企業と言うのは如何なものか、そんな訳で私は一時はマネシタデンキを毛嫌いしていたんですよ。そして、もう1つ、私は「機能美」と言う言葉が好きなんです。その発端は「IHATOVO(イーハトーブ)」…といっても宮沢賢治ではなくて、ホンダのトライアル車TL125なのです。 トライアルと言う競技に興味を持つまでは、そのバイクは「バランスの悪い格好悪い変なバイク」だと思っていました。しかし、友達に誘われ、自分がトライアルバイクを所有して遊ぶようになると、その「変」だった部分は全て「トライアルを楽しむための理にかなった機能」だったことが理解できました。そうやって理解した目で改めてバイクを見ると、それまでは「変!」と思っていたバイクのなんと美しいことか。これは後続のTLR200などではもっと顕著になります。更にトライアル競技を意識して、一般道での乗り心地を犠牲にしたその姿はもう「美しい」の一言です。そう、私はここで何度か書いていますけれど、「美」と言うのは、不要な機能を削って、必要な機能を正しくまとめた時、おのずと光り輝いてでてくるものであって、小賢しいデザイナーごときが頭の中で屁理屈を捏ねても出て来るものではないのです。←その機能美もデザイナーがデザインしているんですけれどね。 このW-ZERO3[es]のキーボードは、後者の「デザイナーのマスターベーション」でしかないと私の目には映りました。電話機をスライドしてキーボードがでたら「そこに見えるキーが扇形にきれいにまとまっていなければならない」と言うこだわりがあったのでしょう。そのこだわりを守るために、本来は機能的にあるべきキーの配列を崩し、自分の我を通したところで「美」は崩れ去り、そこには小賢しいデザイン、デザイナーのマスターベーションの跡がくっきりと残ってしまったという訳です。私はそういう小賢しいものが生理的に好きではないのです。だから「使えない」と思ったのかもしれません。 キー配列にこだわりをもたない人なら、そんなに悪いものでもないかもしれない。帰宅して少し落ち着いたらそう思えました。 あと、普通の携帯電話のようにテンキーでも文字入力ができるのですけれど、これの反応が遅いんですよね。Windows+ATOKですからソフトウェアが介在しているからこんなに遅いのでしょうけれど、この遅さは使っていると慣れるものなのでしょうか。そのあたりも少し疑問ですね。 リンク、引用はご自由に。画像は勝手に持ち出さないことを祈ります。 COPYRIGHT(C) Lunatic 2002-2010 |