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2006年04月11日(火) 痴漢なの? / 人権侵害… / 今頃? / 良いこと…? / 誰(何)が悪いの?

痴漢で訴えられた男性が、刑事訴訟では「不起訴」となりながら、損害賠償を求めた民事訴訟では「痴漢行為があった」とされ敗訴しました。

男性の言い分は「電車内での携帯電話を注意しただけ」で、女性は「下半身をすり寄せてきた」と意見が食い違いました。そして男性はその場で名前や住所を黙秘したことから逮捕され21日間拘留されましたが、ずっとやっていないと主張してきました。そして警察が事情聴取をお互いにやっていたのですが、女性の方は「面倒になった」と途中から出頭に応じなくなったため、被害者不在となり起訴すら出来ない状態となり「不起訴」となりました。刑事事件が「不起訴」となった事で、男性は「謂れのない罪で訴えられ、不当に拘束された」とその女性と都や国を相手取って損害賠償請求の民事訴訟を起こしたのですが、その判決は「痴漢行為はあった」というものでした。

民事訴訟で「痴漢行為があった」と判断した材料は2点だそうです。
1つは「痴漢があったとされる日、警察で黙秘をしたことがきわめて不自然なこと」
1つは「女性の言うことが終始一貫していること」
だそうです。

果たしてそうでしょうか。
もし私が全く覚えのない事でこのように警察に連れて行かれた場合、私だって住所や氏名を言おうとはしませんね。特に自分に家族が居る場合、その家族のことを思えば、身に覚えのない罪を認めることはしないでしょう。
私は基本的に酒を飲みません。ですから車を運転していて「酒気帯びの検査をしています」と言うくだらない理由で停められるのが一番腹立たしいのです。ですから必ず「そんなことは飲み屋の前でやれ。これは強制ですか?任意ですか?任意なら協力しません」と言います。本来その検問は任意の検査の筈で、善良なる市民の私は、任意なら協力しないと拒否する権利があるのです。が、今の警察官は何かを誤解していて「協力頂けないと通せません」というのですね。「おまえ何か勘違いしていねーか?」と言う話をすることが良くあります。また、以前は深夜に客先に向かう途中、町交番の前で警察に停められたことがあります。新米警察官の教育に使おうとしていたのでした。私はそれが気にくわなかったので免許証の提示を断り、逆に「身分、官姓名を明らかにしなさい」と命じたのですが、この阿呆どもは「その義務はない」と言ったので「そう言う人には協力できません」と押し通した事もあります。自分が悪いことをしていないのに、なんで自分の住所や氏名というプライベートを話す必要があるのでしょう。
そして、私でも「痴漢をされた」という状況を終始一貫して言うことは出来ます。何の面倒もありません。「列車の中で、後の方からこの男が私に下半身を押しつけて来ました」と言うだけですから。それをずっと見ていた訳ではなく、単にそう言う行為があり、不愉快に思いました。そして駅でドアが開いた時に直ぐに振り返って捕まえたので間違いありませんと言い続ければいいのですからね。
女性の父親が「娘が被害に遭っているのに、まるで嘘をついているように言われて不愉快だ」と言っているそうです。また、テレビでは「女性が痴漢にあった」と言うことは恥ずかしいことなのに、それを何年も言い続けていることは信憑性があると言う話がありました。
果たしてそうですかね。確かに本当に痴漢をされ「下着をおろされ手で触られました」等という事を詳細に言わなければならないのであれば恥ずかしい事であるかもしれませんが、実際には何にもされていない架空の絵空事を適当に話すだけなら恥ずかしいことは全然ないんじゃないですかね。列車の中で携帯電話を使っていて注意をされるというのは余程騒がしかったのではないでしょうか。それで注意をされた結果不愉快となり、困らせてやれとか慰謝料を取ってやれと思うような女性であったなら、それ位の嘘は簡単につくのではないでしょうか。

この男性と女性、どちらが嘘をついているのか、実際の所私には判りません。ただ、女性は簡単に被害者になれると言うのも事実ですし、もし女性が嘘をついているのであれば、先に書いたように「翼状況は判らないけど、不愉快な思いをした。そしてこの人がいた」と言うだけで済むのに対し、男性が本当に痴漢をしていたのに「私は何もしていない」と言うことを貫き通すにはかなりのエネルギーと嘘が必要で、どちらが貫き通しにくいかを考えたら、私は女性が嘘をついていたとする方が信じやすいと思う次第です。
今でもそんなつもりはないのに女性から嫌な目を向けられる人は多いでしょう。「そんな目をするなら女性専用車両にいけ」と言いたくなりますし、満員列車の中で女性専用車両だけがらがらに空いているのを見ると、本当にこんな差別は必要なのかと思えてしまいます。一部の阿呆(痴漢をするヤツと、痴漢されていると勘違いするヤツ、痴漢で儲けようとするヤツ)のために他の多くの常識ある人が迷惑をする…世の中っていつもこんな感じですね。



人権侵害…

愛媛県警からウィニーによって流出した捜査報告書から、愛媛県警が殺人事件の参考人とされている女性の車に無断で某警備会社のGPSによる位置特定システムをつけ車を尾行していたことが判明しました。

まぁこのサービスをしている「某」警備会社ってひとつしかないと思うんですけれど、兎に角、そちらは顧客のプライバシーを楯に客に警察があったかどうかは言えないと言っていますし、警察も「プライバシー保護の観点から言えない」と言っているようですが、警察の言う「プライバシー」って何なんでしょうね。
一言で言えば「田舎もんの考える人権なんてこんなもんだ」って事でしょう。ええ、愛媛が「田舎もん」なのではなく、これらバカなお役所仕事をする阿呆な警官のことだけを指しているので誤解なきように。
自分のやっていることが許されることかそうでないか、やって良いことか悪いことか、そう言うことすら判断が出来ず、一方ではこういう暴走をし、他方では栃木県の「リンチ殺人事件」のように、親が何度も警察に相談に来ているのに、「警察は事件になってからでなければ動けない」と無碍にして、やりすぎて責任を負うのは嫌だ。俺は見ざる言わざる聞かざるを実践すると、事件をうやむやにしてしまう阿呆が居ます。その中道を保つことは難しいことなのでしょうか。もし難しいと思うのであれば、即刻警察と言う責任のある部署から離れて欲しいものです。


今頃?

警視庁はアニメやゲームやインターネットなどに溢れる有害情報(性暴力など)が凶悪犯罪の引き金になったり、子供に悪影響を与えているとして、それら問題を検討する研究会を「今頃になって」設置したと自慢気に発表したようです。

「宇宙戦艦ヤマト」が日本で大人気となり、それがアメリカに渡った時、アメリカでは「子供に見せてはいけない番組」に指定されました。当然ですよね。あれだけの戦闘シーンや人が死ぬシーンがあるのですから。その当時のアニメや実写物の子供向け番組を見ていても、勧善懲悪を気取っていてもずいぶん残酷シーンがあった物で、私はなぜそれを平気で子供に見せているのだろうと不思議に思っていました。ただ、ヤマトだとかダイモスだとかガンダムなんてアニメを見て凶悪な犯罪に行く人はそんなに居ないんじゃないかなと私は思います。私が一番怖いと思ったのは、人を殺すことを目的としたゲームです。ゲーム感覚で人を殺したり、戦うことが遊び感覚になりますよね。私が子供の頃はケンカと言えば1対1でというのが普通で、武器を持ってきたり、複数でと言うのは卑怯者という感覚を多くの人が持っていたのですが、ゲームでパーティを組んで集団で敵と戦うことを覚えた子供は平気で徒党を組んで痛みもわからず暴力をふるうことに違和感を感じなくなるのではないでしょうか。その背景には子供の内に、叩かれたら痛いと言う事を教えないからなのではないかと言う考えもあります。

兎に角、今頃になってこんな研究会を発足させ「夏頃までに問題提起する」なんて言っているようですが、「何を今更」感が否めません。そんなことは30年前にやっておくべき事で、「流石お役所は、壮大な時間の流れの中で仕事をしているねぇ」と嫌味しか思い浮かびませんわ。


良いこと…かな?

Reiko Katoさんの「晴れの日もある」で「離婚の理由」を拝見いたしました。

Reiko Katoさんの言われるように、今、離婚が増えているのは、女性が一人でも生活できる世の中になったからだと思います。が、「もちろん、それはいいことだ」というフレーズがどうにも頭の中に引っかかってしまっています。

どんな理由であれ女性が自立して生活できる基盤があると言うことは喜ばしいことであることは間違いないありません。しかし、先日の「行列の出来る法律相談所」という番組でもちょうどでていたのですが「妻が何かにつけて「離婚しようかな」と言う」事が離婚の原因になるかと言う話があったように、最近はとても些細な理由で離婚に逃げる人が増えているように思います。「合わないなら離婚してしまえ」と言うのも一理ある答えだと思いますが、安易に結婚してさしたる努力をせず簡単に離婚をすると言うのも如何なものかなと思うのです。決して女性に犠牲になるべきだと思っているのではありませんが、私の知る限りでは安易に離婚に逃げるのはやはり女性が多いように思えます。それにはやはり弱い立場だからと言う理由もあるのかもしれませんが、兎にも角にも、一面では女性がひとりで暮らせる基盤を喜ばしく思っても、「もちろん、いいことだ」と言われると、そんな風に思う風潮が安易な離婚を生む土壌になるのでは?とも思えてしまうのです。

何度も書きますが、女性がひとりで生活できる基盤が出来ていることはとても良いことです。が、「もちろん」と言う言葉は余計じゃありませんかね。小さいことにこだわりすぎているでしょうか。


誰(何)が悪いの?

1985年に埼玉医科大に入学したのですが、1993年に最終学年に進級後も留年を繰り返し、当時の学則での在籍上限年数を超えた1996年夏の追試にも不合格となり自主退学扱いとなった男性が居ました。12月になって母親の知るところとなり、母親は2360万円の学費も納めたのにと抗議したところいったん処分は取り下げられました。そして1997年2月に教授らから「卒業できて良かった」と声を掛けられた母親は謝礼として現金を渡したのですが、3月に「形だけふぐ学の試験を受けて」と言われ試験を受けた男性は1999年まで試験を受けたのすが、結局試験に合格することが出来ず、97年に除籍となっていたのだそうです。それを母親は2004年になって知り、この男性の退学処分を無効とする訴訟をおこしていたのですが、それは2005年に最高裁で男性側の敗訴が確定しました。そして今度は「謝礼金の返還と慰謝料」を求める訴訟をさいたま地裁に起こしたと言う事みたいです。

何と言っていいのやら良く分からないのですが、44才と言うことですから単純に考えて1961〜2年生まれと言うことですね。そうすると高校を卒業したのが1980年頃となりますから、この男性は大学に入学するまでに既に5浪している計算になります。そして、ようやく入った大学で6年生になるのに8年を要して、更に最後の1年を履修するのに3年かかっても終わることが出来なかった訳です。1996年時点で35才位ですかね。そこでまだ試験に合格できず、38才の1999年まで頑張ったけれど除籍処分…果たしてこれは誰の責任なんでしょう。
大金を払ってくれた親に免じて、大学に在籍できる上限の年数を多少曲げてでも大学側としては卒業して欲しかったのではないでしょうか。しかし、5浪5留のこの男性に無条件で卒業資格を与えることは良心が咎めたのでしょう。そして試験をしたら案の定合格する実力を伴っていなかったのです。果たして、これは大学側が騙したと言うことになるのでしょうか。私には何とも言えませんが、これって結局、男性の頭が悪かったから仕方ないことなんじゃないですかねぇ…だいたい、卒業が決まったからと教授に謝礼を持っていった。それを返せと言うのは堂々と言えることなんですかね。なにか変じゃないのかなと思えてなりません。それとも大学ではこう言うのは普通のことなのでしょうか。


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