The Green Hills of Earth
29日、薬害エイズ訴訟の和解から10年を迎えたそうです。
長崎市の外郭団体である長崎平和推進協会が、証言活動をする被爆者に「政治的発言の自粛」を求めた事が波紋を呼んでいます。 自粛を求めた文書の中では具体的に次の8項目が上げられています。 被爆体験から戦争の悲惨さを、そして戦争反対を訴えると言う事について私は反対はしません。ただ、「被爆をした人にしか判らないこと」があるのも事実ですが、それが「被爆をした人は全てを知っている」にはならない事も事実です。私の祖母は戦争体験者ですが、その昔コカ・コーラを飲む私を見て「そんなの飲むのやめなさい。それ、中に炭が入っているんだよ」と真顔で言っていました。ええ、炭酸と炭と間違っているんですね。そんな卑近な例を取り上げるまでもなく、全ての人がグローバルな目で世界を見ている訳ではなく、残念な事にミクロな目で非理論的にただ「世界に平和を」と考えているだけという場合も多い訳です。これらの人がそのどちらに入るのかは私には判りませんが、協会としては統一見解はないから、それらの事を言うなら自分個人の意見だとはっきり明示してくれと言っているのですから、それに不都合があるとは私には思えません。 そして、自粛を要請した内容についても、「被爆体験」になぜ上で列記されたような話が混ざる必要があるのかも私には理解できません。撤回を求めた会が「被爆体験の継承を考える市民の会」であるなら、今の政治には関係なく、その被爆を体験した人の恐怖を語れば良いのではないでしょうか。言葉を悪く言えば、それを逸脱して現代の政治に対して批判をするって言うのは、単に「被爆体験の名前を借りた右翼の演説」でしかないのではないだろうかと私は思います。いつも書く事ですが、このような会を作る人たちは何かを誤解していないでしょうか。自分たちのやっている事は正義なんだと自惚れていないでしょうか。それを後世に伝えていく事が重要かどうかは個人の考え方ですし、私は否定しませんが、それを正義の錦として、全ての行動が許されると思ったらそれは大きな間違いです。 …まぁ朝日新聞の喜びそうなネタって事ですかね。
2003年7月に長崎で起きた園児誘拐殺人事件の加害者である中学生少年に、事件まで在籍していた中学校が少年に対して卒業証書を授与しました。 少年は事件を起こすまでの4ヶ月間この学校に在籍し、事件後はさいたま市の児童自立支援施設「国立武蔵野学院」に入所しており、入所後は中学に学籍のない「修学猶予」という状態になっていたのだそうですが、今回義務教育を終える年になったと言う事で、いったん学籍を戻して卒業判定をした上で卒業を認めたのだそうです。 この「国立武蔵野学院」というところのサイトを眺めてみても、厚生施設であるらしいと言う事以外具体的には伝わってきません。ここに収容されていて、果たして中学卒業と同等の学力がつくのでしょうか。義務教育終了の年になったから、修学してもいない学校から修学してもいない内容で卒業を認めるというのは如何にも変な話ですね。 学力もついていないのに年齢が上がったから学年も上がるとか、大人としての準備も出来ていないのに成人と認めるとか、まぁ年相応のしつけをする方が先かと言う事と卵と鶏の話になってしまうでしょうけれど、果たして本当にこれで良いのかとても疑問の残る話でした。 リンク、引用はご自由に。画像は勝手に持ち出さないことを祈ります。 COPYRIGHT(C) Lunatic 2002-2010 |