The Green Hills of Earth

日記内検索は目次ページにあります。
☆★CF-W2関連:「分解/HDD交換」 / 「キー清掃」★☆

2006年03月17日(金) 危険運転 / 火炎瓶 / 負けたのに楽しんだとは…

信号待ちの車列に一度は並びながら、信号が赤にもかかわらず右折しようと対向車線にはみ出して進行し左折してきた車と衝突して人身生涯事故を起こした結果危険運転致傷罪などに問われた事件で、最高裁第2小法廷は「時速20キロでも危険運転は成立する」という判断を示し、懲役1年6ヶ月が確定しました。

北海道に限らず、どこでもそれなりにそう言う阿呆は居るのですが、信号が青になる前に右折をしようと急発進をしたり、たった数台の列に並ぶのをいやがって対向車線や右折車線を通って列の一番前に割り込んだりする車はよく見かけます。一度東京の目白(知っている人には千歳橋下の明治通りとの交差点)で、池袋方面からその交差点でUターンしようとした車が信号が赤になった途端に勢いよく飛び出したら、実はそこは時差式信号で、対向側はまだ青。それで見事衝突したと言う事故を目の当たりにした事があります。また、信号の変わり際に直進車が走り出すより先にと右折車が信号無視気味に急発進をした結果、横断歩道を渡し始めた人を轢いた現場も見た事があります。
信号に捕まったら貴重な数分を無駄にするという事かもしれません。何をそんなに急ぐのか判りませんが、「あの車より速くでなければ」等という緊張をすると、それ以外の本来一番優先しなければならない安全確認が疎かになってしまいます。何のために道交法があって、何のために信号があるのかもう一度考えてみる必要があるのではないでしょうか。

特にこの事件の場合、他の車を出し抜くために対向車線にはみ出して他者にぶつけて迷惑をかけているのに「自分は時速20キロ以下だったから危険運転じゃない」と主張していた訳で「こんなのは喝だぁ〜」と言ってやりたいですね。徐行運転というのが「何キロ」と定められていないのは、「状況に応じて安全に停まる事ができる速度」であるからで、安全に停まれなかったら例え時速1キロでも徐行運転をしていた事にはならないのです。それと同様に、危険運転も「何キロだったから危険じゃない」と言う事はないと思います。結局は何度も繰り返してしまいますが、自分の欲望を満たすため、他の危険を過小に評価して自分勝手な行動を取った結果、人様に迷惑をかけたと言う事で、危険がある事を考えなかった運転は充分に危険運転と判断できるでしょう。

昨冬、私は雪道で焦る余りスリップしてガードレール及び雪の壁に自分の車をぶつける自損事故を起こしました。普段なら「あと○時間で到着できる」と判断できるのですが、その日は吹雪いていたため全体の走行速度が低下していましたし、トラックは更に速度を落として運転していたため、「このトラックの後ろについていたら、何時間かかるか判らない」という判断が危険を過小評価させ、追い越し車線に移って走行した結果、途中から轍が無くなり新設の上を走った結果のスリップです。落ち着いて考えれば、例えトラックの後ろをのんびり走ったところで、余裕を持って到着できるだけの時間はありました。事故の後、警察などを待つ間じっくり反省する時間がありましたのでそんな事を思っていました。そんな経験をしたからこそ、どうかたった数分、数台を出し抜くために危険を顧みない「危険運転」はやめて欲しいと思う次第です。


火炎瓶

昨年10月、兵庫県姫路市のある橋の下で生活をしていたホームレスの集団に火炎瓶が投げ込まれ、足の悪い1人が焼死する事件がありました。その事件の犯人として18才の高校生と15才の中学生が逮捕されました。そして、すでに恐喝容疑などで逮捕され少年鑑別所に収容されている2人の16才少年も再逮捕される見込みと言う事です。

人を人と思えなず、人の痛みがわからないまま育ってしまったこの獣たちは、果たして真っ当な道に戻る事ができるのでしょうか。私の時代、私の周囲では「農家の長男」が「どうせ家を継がなければならない」という事で、遊びの延長として高校に通い、家を継ぐ代償としてバイクなどを買い与えられ暴走行為をしたりすると言う事はありました。中には多少飛び出す人も居ましたけれど、基本的には高校を卒業するまでは「子供だから出来る事」と割り切って、それ以降は真っ当な道を進む人が多かったと思います。また「自分も昔はやんちゃだったから」と言えるのは、きちんとその切り分けが出来ていたから言える事でしょう。しかし、これらの獣は高校を卒業した(する年になった)からと言ってまともな道に戻るのでしょうか。昔は高校を卒業したら勉強をするつもりのない者は働けという風潮があったのですが、今は社会の土壌が無理に働かなくても生きていけると言う風潮を作っているので、こういう獣が真っ当に戻る道も閉ざされてしまったように思います。
どうか、成人するまでを鑑別所で過ごした後は、そのまま刑務所週刊となって一生をそこで過ごして欲しいものだと思います。子供は守られるべきだとか、子供の罪は許されるべきだというのは、それが子供らしい罪を犯した時の話でしょう。このような大人顔負けの残忍な犯行を用意周到に計画的に行った事に対しては許されるべきではないと考えます。


負けたのに楽しんだとは…

福田富昭選手強化本部長が、選手強化本部会の席上でトリノオリンピックの不振について各強化担当者に「負けたのに楽しみましたとは何事か」と怒りをぶちまけたそうです。

確かにそう言う意見もあるでしょう。でも、「何事か」と言うならしっかり予算を取って精神論じゃなくて物理的な支援をしてくれよっていうのが本音でしょう。そして「負けたのに〜」というなら、ボブスレーなどの橇競技、バイアスロンやノルディックなど入賞の実績すらない競技は軒並み参加する事に意味がない競技となってしまいます。そう言う目で見たら、今回のトリノオリンピックでメダルが希代でいる選手というのは何人いたのでしょう。大目に見てフィギュアの選手とスピードスケートの一部選手くらいですか?あとスキーの滑降やモーグルとかを集めても今回派遣した選手の半分以上は「派遣したのが無駄な選手」だったと言う事になるのではないでしょうか。
上から威圧的に「国のため」と言う圧力をかけて実力を発揮できる選手は少ないでしょう。何よりも余計な圧力を排除して実力を出し切る環境を作る事も大切です。そして、ここで良い成績を出せなくても、その経験が次回以降の成績を作っていくという事もあります。短絡的に「負けたのに〜」と言ってしまったら、その多くの競技は参加する事すら出来なくなってしまうのですから、もっと気を遣った発言をして欲しいものですね。

ただ、確かに一部常識のない選手がいたというのも事実だと思います。受験勉強と同じでそればかりを集中してやったため、一般常識にすら事欠くようになってしまったとしたら、果たしてそう言う人に選手としての資格はあるのでしょうか。ただ試合に勝てばよいのではなく、人格も大事な要素と言う事を考えていかなければならないと私は思っています。


目次(検索)前へ後へHomePage


リンク、引用はご自由に。画像は勝手に持ち出さないことを祈ります。
mail address
COPYRIGHT(C) Lunatic 2002-2010