The Green Hills of Earth
2005年08月27日(土) |
答えはいくつもあるでしょ…(2005/08/28 大幅に加筆修正しました) |
ネットの中では良く「ブログはどうあるべきか」「コメントやトラックバックの礼儀は?」なんて話が飛び交っていますね。
正直に言って、私はそんな話には「はぁ…」とため息しか出てきません。 京都の人なら豆腐しか食べない。大阪の人なら毎食たこ焼きとお好み焼き…そんなはずがないのと一緒で、人それぞれ考え方も違いますから「ブログに書いているから」「トラックバックをするから」というだけで1つの画一的な答えが得られるはずがないんですよ。 例えば、「トラックバックをする時は、自分の文中でもリンクをするべきだ」と言う意見を持つ人も居ます。でも、私はそうは思いません。私は自分のところでもページの頭に書いているように「リンクなどはご自由にどうぞ」としています。(ま、そう書いたのがブログなんて現れる前なので「今」に対応していないのは許してくださいね) で、私は自分が書いたことに人がどのような意見をもたれるのも自由だと思いますから、どうぞ勝手にどこででも紹介してくださいね。好きにリンクして結構ですし、意見を述べるのも自由ですよと思っています。ただ、今までに2回程怒った事があります。 一度は(多分)テキスト庵の常連さんのような方が、私の書いた「本来インターネットは一般の人が使うものじゃなかった。だから、素人だから知らなかったではすまない部分があることを知るべきだ」という旨の記事を見て、テキスト庵の掲示板で高いところから見下ろしているような感じで「えらそうで生意気」なんて書いていたのを見て腹を立てた(いかにも自分たちが基準で、あいつは分かっていないんだと言わんばかりだけど、そりゃあんたたちの勝手な基準でしょって思い。ま、雑記を書き始めたばかりの頃だったので、つい分かってもらおうと無駄な努力をしたんですよ。今なら無視するか、自分の雑記の中で切り捨ててお仕舞いにするでしょう。どうぞご自分の世界で悦に入ってくださいってね)のと、名前が出てこないけど、関西系の女性ジャズシンガーがあんまり好きじゃないって書いた文章をどこかの非常識な阿呆が、丸ごとその人のHPの掲示板にコピーされた時ですかね。「こんなことを書いている人が居ましたよ」とリンクでもしてくれたら何もいう事はないのですが、適当な名前で、何の説明もなく、単に文章の丸ごとコピーとご親切にも私のページのURLを貼り付けたのです。ファンの方は不愉快な思いをしたでしょうけれど、私もびっくりしました。このような事がまた起こったとしたら、一応説明はするとは思いますけれど、このような非常識な人が現れて欲しくはないですね。とめることはできませんけれど。
私は松田聖子が昔から大嫌いでした(いや、「です」ですね。現在進行形ですから)。音痴で自分の歌の出だしさえ分からないような音楽の才能のないタレント…それが最初の頃のイメージでしたし、年をとってからは歌はまともになったようですが、私の好みになることは全くありませんでした。でも、多くの人は松田聖子と言うと大ファンですと言っていた時代もあったわけですよね。好き嫌い、趣味の良し悪しなんてその人の主観です。それをどうして押し付けようとするのか、なぜ、人の好みが自分と違うからといって攻撃しようとするのか、なぜ、自分の趣味が全ての中心になるのか私にはそれが理解できません。
トラックバック…私もいくつかブログのページを持っていますし、人様のブログにトラックバックをすることもあれば、トラックバックを受けることもありますし、コメントを書くこともあります。でも、トラックバックをしたから文中にコメントを「書かなければ」とは思いませんし、そうされなかったからといって怒るつもりもないし、ましてや、自分がトラックバックやコメントをしたのに、お返しされないからと怒るつもりなんて端からありません。 トラックバックをすることにどんな意味があるかって、確かに「あなたの書いた事に対して、私はこう思いますよ」という事をその人の文章を見た人にも伝えて、あわよくば自分のところも見て欲しいという意思表示なんでしょうけれど、私の場合、映画評のブログでのトラックバックが多いのですが、映画評を求めてくる人は1つでも多くの人の意見を見たいと思っている人が多いように思われます。ですから、1つのブログに辿り着いたら、そこから多くのページに飛ぶことができるトラックバックがたくさんされていることはとても有効だと思っています。 私を例に取れば、自分の映画評のページで先日書いた記事では10個のブログにトラックバックさせてもらいました。闇雲にトラックバックをするのではなく、自分が映画タイトルをキーに検索して見つけたブログの記事を読んで良いと思ったものにトラックバックをするわけですけれど、トラックバックするときにコメントは殆ど書きません。10箇所の同じ映画を見た人に10種類のコメントを書くのは至難の業ですし、同じ感想を入れるのはそれこそ失礼だと思っていますし、何より、映画評ですから、自分の意見は自分のところで展開していると分かるでしょうからです。相手がそれを見て、認めてくれたらトラックバックをし返してくれることもあるでしょうし、少なくともトラックバックを削除することはないでしょう。どうしてもいいたいことがある場合、トラックバックだけではなくコメントを残しますし、逆にトラックバックしかしていなくてもコメントを返してくれる人も居ます。
このように、映画ブログでは、「トラックバックとは1つのカテゴリの意見に対する、意見の集合」と言う認識が成立しており、トラックバックをする度いちいちわざわざコメントまで残して行けなんて「愚かな」悪習は影も無い様に思われます。日記と映画評は違うという人も居りましょうが、私は同じだと思いますね。 Bさんが日記を書いた→AさんはBさんの書いた文章に意見を持った。→Aさんは自分の文章をBさんの文章にトラックバックをした。 でも、Aさんは「Bさんの日記を見ました」と書きたいのではなく、自分が考えた記事と良く似た(又は全く正反対の)意見を持つAさん及びその読者に、こんな考えを持つ人(自分)も居ると知って欲しいと思っただけ。そんな状況だってあるでしょ。 「コメントを残さないのは、人の家を土足で踏み荒らすようなもの」とか過激に敏感に反応されている人も居ますけれど、トラックバックをそのまま残すか削除するかは、トラックバックされた文章を書いた人(Bさん)に選択権がありますし、削除をしなくても、トラックバックされたAさんの文章へ飛ぶかどうかは、Bさん及びその文章を読んでいる人が自由に選択できることです。 Aさんは自分のページをその日記にトラックバックをして、自分のページへ飛ぶチャンスを作っただけで、来るかどうかについては全く強制力を持たず、その選択権は常にそこを見ている人たちが持っているのです。それこそさっきの例にたとえるなら、「ごめんくださーい」と入ってきたセールスマンに対して「そこは私の家の玄関です。誰の許しを得て入ってきたんですか。警察を呼びますよ。キーッ」ってヒステリーを起こしている状況なんじゃないですかね。迷惑なら削除をしてお引取り願えば良いだけです。また、このトラックバックをデパートなどでの実演販売に例えれば、文章を書いたBさんはデパートで実演販売(トラックバック)の可否を決める人。そこを読む人が観客である訳です。嫌なら許可しなければ良い。許可をしたなら、それを見るも、感心して商品を買うのも、そしてくだらないと立ち去るのも完全に観客の自由でしょう。 あまりにもヒステリックに自分の庭なんてテリトリを決めて、自分の決めた基準を人様も分かっているのが当然だという態度をとることの愚かさが理解できれば、これらの議論が如何に不毛で無駄でくだらない価値のない話か分かろうというものだと私は思います。
私は明らかにエッチページへのリンクとかそういう自分が見ていて不愉快なものは、自分が不愉快になりたくないので見つけ次第削除しています。それ以外はどんなものでも基本的に削除はしません。映画評の中でため息が出るくらいのものもありましたけれどね。意見は違うし、頓珍漢だと思っていましたが、其れでも価値のある意見をしてくるなら対応はします。それが「もう書き込まないで下さい」という事であってもね。また、自分が書くコメントに基本的にはURLを残しません。それは「匿名性」という事を武器にして好き勝手を言いたいというのではなく、そこにURLを書くことがある意味自分のページの宣伝行為になるのではないかと思えることが嫌だから、自分はこんなページを持っているという宣伝なしに、その場だけの自分と言うキャラクタで意見を書きたいと思うから、私は自分のコメントにURLを書かない事が多いのです。でも「URLを書かないのは卑怯だ」とまで言うセクトもあります。
どうやったらそこまで曲解できるの?と思う「読解力のない人」「曲解して難癖をつけるのが好きな人」「騒動屋」と思われるがいます。でも、それがどんなに頓珍漢な意見であれ、まともな話をしようとする痕跡があるなら、読解力がないと決め付け見下したらその人の負けだと思います。自分の説明のしかたが悪い部分もあるでしょうし、言葉だけで想像をしたらどこで横道にそれていくかなんて分かったものじゃありません。自分を基準に考えてしまうと、常に「読解力のない人」「意地悪な人」だらけになってしまうように思います。そりゃ神経もピリピリするだろうなぁと思ってしまうわけですよ。
ごちゃごちゃと長いこと書いてしまいましたが、自分が世界の中心だと思うことは危険です。自分の書いたことが正しく相手に伝わらないこともあるでしょうし、気に食わないことを意見としてもらうこともあるでしょう。でも、それは「あり」だと思うべきで、あって欲しくないことなら書かないのが正解だと私は思います。自分は好きなことを書くけれど、それについて自分の気に入らない意見は書かないでって言うのはわがまますぎますよね。 そして、トラックバックやコメントのやり方についても、まずは相手がどのような人なのか、そして自分が書きたいことの性質はどんななのかを考えれば、臨機応変に対応できるんじゃないでしょうかね。それが失敗だったとしても、次に生かせばいいんじゃない? なにか「たかだか」の話をどうしてこんな大げさに、いくつもの答えがある事をたった一つの答えしかないかのように騒いでいるのか、私には理解できないものです。
途中、ちょっと眠くなったのか寝ぼけた訳の分からない話がまぎれていたかもしれません。が、書き直すのは面倒なのでこのままにしておきます。わかる人が分かってくれたらいいです。それだけです。
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