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2005年08月09日(火) 何が先なのか…

結局、大方の予想通り郵政の民営化は反対多数で否決されてしまいましたね。

今回の件を受けて、マスコミは様々な人にインタビューをしているようです。そして、一般市民の中で反対をする人の意見を大雑把に分けると

  1. 興味がない
  2. 今の郵便配達はとてもいい人で、近所の老人は皆感謝している
  3. 郵政の問題はもっと検討するべきだ
  4. 郵政の問題より検討すべきことはたくさんある。今は郵政どころじゃないはずだ
という事にまとまるようです。皆さんはいかがお考えでしょう。
この話の中で、まず最初の「興味がない」と次の「いい人だ」は論外とさせていただきます。もし民営化されるとその人は悪者になってしまうという危惧なのでしょうか。私のところに来る配達員は、つい最近までは宅配業者の方が圧倒的に愛想も良く、対応もすばやかったです。それに比べて郵便局の配達員の横柄な態度といったら…民営化という話が具体的になって漸く少しは笑顔が見られるようになりましたよ。別に民営になったらよい人が良い人じゃなくなるなんてことはありえないですね。問題として取り上げる価値もない話です。
3番目の「もっと検討を」については、そう思う人もいるかもしれませんが、もう十分考えつくされていることだと考えます。オウム真理教の浅原教祖をいつまで生かしておくつもりだっていうのと一緒です。やったこと、その罪の深さはわかっているのに、無駄な時間稼ぎをして延命を謀っているというのが実情でしょう。
その残りの1つは、郵政なんてどうでも良い。他に拉致問題とかもっと頭を悩ませるべきことがあるだろうという事らしいですが、果たして本当にそうでしょうか。どこの誰でも良いですが、それが友達であれ家族であれ赤の他人であれ、10人人が集まったらそこには10通りの意見ができるでしょう。これが100人になったら100通りです。しかしもっと集まったらみんなの意見をすべて聞いて回るわけにも行かないし、気の弱い人は発言できないし、気の強い人は強引に推し進めるので、じゃあ話のうまい人や強い意志を持っている人に代表して話し合ってもらおうって言うのが今の政治屋さんたちですよね。そのみんなを代表する、みなの期待を背負った人たちがみなそれぞれのプライオリティ(優先度)で問題を順位付けているとしたら、果たして「じゃあどれが一番最初に解決すべき問題でしょう」と聞いてまとまるでしょうか。私にはそうは思えません。また「この問題よりあの問題の方が大事なはずだ」と言う人は、本当に問題を整理できているのでしょうか。整理し切れなくて「あれもこれも」と考えて、物事の本質が見えなくなっているのではないでしょうか。
  • 問題とする項目が複数個ある。
  • どれも解決されなければならない問題だ。
  • それぞれの人にはそれぞれの考えで優先順位があるが統一はされていない。
というところで小泉首相が「これが一番」と決めた郵政問題を取り上げて解決をしようとして俎上に上げたのに「今はこれが問題じゃない」とほかの解決の目処が立っていないものの方が先だと言うのは的外れもいいところだと私は思います。順番は問題ではないでしょう。いくつかある問題の内、解決できるものから解決していくという姿勢が大切なのは明白です。それを「あっちの方が大切」と言う理由だけで潰すのは「愚かな行為」と言う以外になんと言えば良いのでしょうね。

郵政の問題と北朝鮮の問題どちらが大事なのか、又は他のどれと比べて何がどれだけ優先度が高いのか、私にはどうも理解できません。確かに北朝鮮の拉致問題も核開発問題も大きな事件ではありますし、中国や韓国との問題も大きなことでしょう。しかし、それは社会主義という矛盾した将来のない思想を維持するための間違ったアプローチが敵国「日本」を作り上げているという問題を長い時間をかけて解決していかなければならない訳で、それを解決するまで何十年私たちは税金を無駄に使っていかなければならないというのでしょうか。確かに国を挙げて対応をすべき問題です。しかし、私にはそれが郵政の問題より大事だとは到底思えません。どちらも解決する努力をして、解決できる時に解決をすべき問題であるという意味で同列だと思う次第です。

野党はなぜ民営化に反対だったのでしょうか。もし与党が「郵政の民営化は絶対にしない」と言っていたとしたら、野党は「郵政の民営化をするべきだ」と騒いでいたのではないでしょうか。マニフェストを作るんだとか、今度こそ政権をとるとか、議席を伸ばすとか言っているようですが、結局この野党と言うやくざの集団に政治的な倫理があるのか私は疑問を感じざるを得ません。

政治家にとって支持してくれる人、支持してくれる団体はとても大切なものです。その人たちのおかげで政治家だと言える訳ですからね。でも、それは諸刃の剣で、その人達の意に介さないことができなくなることも意味しています。
まったく見も知らない殺人犯を私たち野次馬は「あんなのはすぐに死刑にしてしまえ」といいます。しかし、その殺人犯の身内は「たとえ殺人犯であっても、私は身内の味方です」と言い切ります。どんなに悪いことをしたのかは分かっていても、それでも断ち切れないのが身内と言う絆であるという事ですね。同じように、選挙で支持をしてくれる側、支持する側がお互いを身内とみなしてしまうと、その間には悪いことを悪いといえなくなる絆ができてしまうのです。この絆が本来あるべき姿への道作りを邪魔する要因になっています。
ここ二日ほど、同じテーマで話をしてきました。その外側を包むものが何であれ(辛口批評だろうと政治だろうと)その根底で大切なのは、「無駄をそぎ落として、本質を見つめること」だという事をです。その視点で見て、今回、小泉首相を代表とする政権がその絆などのしがらみをすべて切り捨てて、本来あるべき日本を築いていこうと郵政の民営化を行おうとしたのに対し、多くの議員がしがらみの中でおぼれていて、本来の政治家としての職務を果たせていないという事が明らかになったといえるのではないでしょうか。小泉首相も私情で「反対した議員は公認しない」といっているのではなく、反対した議員は政治家として失格だと思ったからこそ切り捨てる大英断を下したのでしょう。
兎に角、今回の一件では、「新しい日本を作る」「政治家として正しい事をする」という気概がまるでなく、単に「自分を支持してくれる人の基盤を守る」とか「与党案に反対することが野党の使命」と理解している幼稚園児並の政治家しかいないという事が一層明るみに出た一幕だったのでしょうね。


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