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2004年10月23日(土) 吉野家の牛丼 / 地震

むにゃむにゃに詳細を書きました。ご照覧いただければ幸いです。(link)


地震

先日、台風で兵庫県豊岡市の河川が氾濫し都市機能が麻痺したばかりなのに、今度は新潟県中越地方で強い地震でかなりの被害があったようです。
私の住むところにも地震が伝わってきて、テレビに注目をしていたら、テレビが報道に切り替わり「ただいま地震がありました」とアナウンスをはじめました。その最中にまた強い揺れがあってテレビの中では騒然としていました。そしてそれから遅れること数秒、こちらが揺れ始めました。そうか揺れはこの時差で伝わってくるのかと実感できました。
やってはいけないと思いつつ、新潟へ安否確認のために電話をかけました。話中の音が聞こえていたのですが、3度目くらいにダイアルした時「この地方はただいま災害により故障しているか…」と言うアナウンスが流れました。そうそう、いかんいかん。こう言う時は電話が集中するからできるだけ電話してはいけないのだ。そのアナウンスでそう思いなおすことができました。連絡がなければ心配ですが、私が心配している地域は地震の中心地帯から少しずれているところですから大丈夫、きっと大丈夫。そう思うことにしました。そう、私だって昼に食べた賞味期限を半年も過ぎた牛丼を食べて大丈夫なんだから、あっちも大丈夫。そうそう。
その後また大きな揺れが続きましたが、ある程度落ち着いたと思う頃、テレビでもあちこちに新潟県内の役所などと電話でつながり始めた頃に、もう良いでしょう助さん、角さん。って事で電話をしてみたらすんなりつながりました。「家は大丈夫。人も大丈夫。でもすごく揺れて、車酔い下みたいに気持ち悪いよ」冗談とも本気ともつかない言葉が返ってきました。うん、車酔いだったら死なないから大丈夫。安心しました。
その間にも、様々な被害情報が入ってきました。なんでも新幹線が脱線したとか。自信の予兆があった訳ではないでしょうから、新幹線は普通に走っていたわけでしょ。まぁ浦佐と長岡の間って40kmちょっとしかない区間ですから、そんなにスピードが出ていなかったのかもしれませんが、良く無事に済んだものだなと思います。これはたまたまスピードが出ていなかったからなのか、それともそういう安全設計がなされていたからなのか興味があるところです。

10年ほど前の釧路沖地震の時、私はそれまで1ヶ月ほどを千歳市のホテルに泊まっていたのを、不経済だからとアパートを借りてそちらに住みはじめた直後でした。まだ何の家財道具もない状態だったのが幸いして被害はなかったのですが、突然ドーン!という音とともに激しくゆれ、床に両手足をついて転がらないようにするだけで精一杯だったあの時の恐怖感は今でも覚えています。
どうか余震が速やかに収まって、早く通常の生活に戻る事ができるよう、復旧がスムースに進んで早く普通の生活に戻る事ができるよう祈っております。


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