The Green Hills of Earth
駐車違反で反則金を納めるなんて馬鹿らしいことですから、どこかに車で出かけるときは極力駐車場へ入れるようにしています。
男子砲丸投げが終わるまで放送を見てから寝て、客先での用事を済ませて帰路についた訳ですが、その間テレビの放送で「レスリングの浜口京子の親が顰蹙を買っている」という話をしていました。まぁショーレスラーの人ですから小うるさいのも仕方ないとは思っていたのですが、開場でも騒ぎまくって対戦相手のチームから「うるさくて試合に集中できない」というクレームがあったりしたようです。 そんな話を聞きながら、夕方ジムへ行ったのですが、着替えて出てみるとまさにその浜口が準決勝を闘っているところでした。見た時点では3対0で負けていたのですが、丁度同点に追いついたところだったんです。そのまま見て居たかったのですが、今日は時間が決まったプログラムのため、仕方なく途中で抜けていったんです。 プログラムが終わったら「浜口が負けた」という話が飛び込んできて、テレビの前に行って見ると「浜口 判定負け」と出ていました。テレビではそれでレスリングの話題から離れてしまったため、どんな負け方だったのかはその文字しか分かりませんでした。 柔道などでは判定負けと言えば同点のまま勝負が付かず、最後の最後に主審と副審2人が判定を下す事を指しますよね。レスリングもそうなんだろうと思ったんですよ。で、隣にいた人と「父親があれだけうるさかったからねぇ。勝負が付かなくて、父親のうるささに審判が浜口の負けを宣告したんじゃないの」なんて話をしていたんです。だってー!!!!レスリングなんて私にとって、いや身内にレスリングをする人がいない家庭では多分どこでも、オリンピックのときだけ、4年に1回だけ見るスポーツだと思いません? 自分に限って言えば間違いなく4年に1回しか見ないスポーツです。ですからルールなんて覚えていませんって。フォールなどで一本勝ち以外は「判定勝ち」といわれるなんて覚えていませんでした。すみません。浜口はきちんと実力で負けたんですね。決して父親がうるさいから「あの親子追放」って訳じゃないんですね。どうも失礼致しました。 それにしても、試合中に乗り出すようにしてがなり声を上げながら応援する父親を現地スタッフが押しとどめるように、つっかえ棒になるように抑えていたのが結構笑いを誘っていました。ええ、私の通うジムではその画面が映る度「クスクス」という声が漏れていました。あれだけのパフォーマンスが士気を鼓舞するためのものだとしても、負けてしまうと大騒ぎした分だけむなしい気持ちになってしまいます。それも選手じゃなくて、その親ですからね。親ばかもいい加減にしろよと思う一方、オリンピックの場に「アニマル浜口」だの「長嶋ジャパン」だの個人的な感情として、どうでも良い個人の名前を出さないで欲しいと思ったのでした。 女子ソフトボールはかなりきついダブルヘッダーだったんですかね。 一試合終えて、その一時間後には次の試合があるなんて話をしていました。それが準決勝のオーストラリア戦。高校野球も無謀なスケジュールですけれど(それなのに、今回から準決勝を二日に分けた。えらいだろうと言う奴らの頭ってどんな構造?と思ってしまいます)、それ以上に無謀なスケジュールですね。ピッチャーは前回オリンピックのエースが投げたのですが、エラーがらみで満塁になった時に長打を打たれ3失点。打線も得点をとれず負けてしまい3位か4位が決まった訳です。試合後のインタビューでそのピッチャーが「すべて私の責任です」と言っているところを夜のニュースで流していました。これってなんなんでしょうね。浪花節にしてしまおうって事ですか。一生懸命がんばった結果として負けたのはピッチャー一人のせいじゃないですよね。打たれるリードをしたのはキャッチャーだし、球を取れなかったのは外野だし。点数を取れなかったのは打線の問題。いや、誰が悪いかってことじゃないですよ。皆ががんばって戦った結果負けたのなら、それは運が悪かったでも、実力が足りなかったでも、何でも良いんですけれど、それは個人の責任と言うのは如何なものかなと思うのです。それこそ浪花節じゃんって思います? 私は違うと思っています。お涙頂戴にするつもりはないんです。単に運を引き寄せる事も含めた実力が足りなかったんです。それは一人じゃなくてチームの問題よって事であって、チーム同士の戦いで個人を責めるのは変ですよって事なんですよ。本人がそういったのであっても、それはそのまま流すって言うのが如何なものでしょう。 今日柔道の選手が帰国したらしいですが、柔道で8個の金メダルだそうですね。それは素晴らしい事ですが、メダルを取れなかった人はつらいでしょうねぇ。特に井上某は一緒にいたらいたたまれないでしょう。選手団のキャプテン(?)として現地に残ったって言うのは、協会の思いやりなんでしょうね。そうであって欲しいです。 谷亮子が優勝した折、「田村で金、谷で金」と言ったことを、私は「次は長谷川で金か?」と茶化した訳ですが、ある人は「それに谷亮子の優しさを感じた。」と書いておりました。「どうしてそう思われるのですか?」と質問をしたのですが、私が茶化しているのが悪かったのかお返事を貰えないので、未だに悩んでいます。「個人の戦いであっても、応援してくれる人、支えてくれる人がいる。それに感謝。」と言うのは理解できます。しかし、それに「谷でも金」と言うのがどうつながるのか、はたまた、全く違う私の思いもよらない経路でどこかに優しさとつながることがあるのか私には分からない。どなたか解説又は推理して私に教えてくれませんか。 「ある人」の書かれた文章を要約したつもりでしたが、「ある人」の意図しない言葉まで私が勝手に入れてしまいました。謹んでお詫びするとともに、文章を訂正させていただきます。また、「ある人」が返事をくれないと書きましたが、実は返事は送ってくれていたのだそうですが、何がどうなったのかそれが私のところに届いていませんでした。先程そのメールを再送いただき、すっきりさせていただきました。 私には谷亮子に対して、何かとタレントのように振舞う事への嫌悪感とでも言うような感情があるのだと思います。それが自身が強いために寄って来るマスコミへの思いやりなのかもしれないという考え方もあることは判るのですが、私としてはそちらの方へ感情が傾いてしまっていたと言う事です。「ある人」はそれを私とは逆の方へ考えられているのだろうなと感じました。一つの事は裏と表がある。と言う事を強く実感した次第です。 因みに、削除したのは「分からない人には分からないだろう」という一文です。これは「ある人」が言った事ではなく、別の場所で別の話題で見かけた言葉でした。混同してしまい、更にきちんと調査もせず書いてしまった事を深く反省し、改めて当事者の「ある方」にお詫び申し上げます。ごめんなさい。 リンク、引用はご自由に。画像は勝手に持ち出さないことを祈ります。 COPYRIGHT(C) Lunatic 2002-2010 |