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☆★CF-W2関連:「分解/HDD交換」 / 「キー清掃」★☆

2004年07月12日(月) 老化? / ニュースから

いつの間にか、オリンピックが始まるまで30日余りになってきましたね。

いや、私自身はオリンピックには特別の思いいれはございません。元々がアマチュアの祭典だったはずなのに、社会主義国は昔からそれで飯を食っている(それをプロというのでは?)人を参加させていたし、アメリカが商業主義を入れてプロ解禁になってからは特に面白みがなくなってきました。際限のない競争というのも、ある意味では面白いのですけれど、アマチュアがアマチュアとして競うところにスポーツマンシップが生まれるのです。プロからはスポンサーシップしか生まれませんからつまらないですね。この気持ちはうまく表現できませんので、フィーリングで分かる方だけ分かってください。ごめんなさい。

兎に角、そんなに興味はないのに何で書くかというと、まぁ、テレビやビデオなどの売れる時期になったんだなと言う事です。既に必要十分な数だけ普及しているテレビやビデオですから、その需要を掘り起こすのにまたとないチャンスですよね。デジタル放送への切り替えもあって、多分、どうせ買うならとプラズマテレビや液晶テレビがかなり売れるんでしょうね。ビデオもついビデオと書きましたが、これからはHDDレコーダーやDVDレコーダーが売れる主流になるんでしょう。

うちはといえば、8年位前に買ったアナログハイビジョンテレビは、今年修理に出したら安価に修理できてしまったので買い換えるに至りませんでした。ビデオといえば、うちにはSONYのEDV9000があるんですよ。ええEDβのビデオデッキです。βのテープも200本程ありますしね。1980年に放送されたNHKのシルクロードなんかも録ってありますよ。懐かしいものです。VHSは19,800円で買ったPhilipsのものです。VicotorからOEM供給を受けているものですね。VHSなんて画像が悪いから安物で十分です。安物だから二年くらい使えれば良いやと思っていたのですが、かなり長い年月を使っているのですが、まだ壊れません。ま、録画するものも少ないですからでしょうね。
10年位前まではテレビはSONYのモニタテレビだったり、時代の先端を行っていたりしたんですけれど、いまはもう「映ればいい」に変わっています。
そんな私の思いなどに関係なく、世の中は液晶などの薄型テレビの時代になっていくんですね。夢見たいな話ですよね。うちが液晶テレビを買うのは何年後の話なんだろう。
兎に角、プラズマと液晶はどちらが主流になるのか、DVDにしてもブルーレイともう一つの方式がβとVHSのように勢力争いをしているようです。VHSとβの時には躊躇なくβを選びましたし、VHDとLDのときも躊躇なくLDを選びました。が、ことDVDに関しては積極的に「これ」と選ぶ理由が見つかりません。そんな訳で早くどちらかが淘汰されて主流がどれって決まってくれないかなとのんびり出方を待っている次第。主流が決まって数年もすれば、貧乏人にも手の届く値段に下がってくるのではないでしょうかね。

去年まで、25度を超えると我が家のエアコンは18度に温度設定されて稼動を始めました。
日本では男女を問わず「異常」「デブだから」と心ない言葉をぶつけてきますが、スイス人の友人は「それが普通でしょ」と言い切ります。そう、スイスでも思い切り冷房をして、その気温にあった厚着をするのが普通なんです(その人だけかもしれませんが)。
人それぞれに個性があると言うのは認めているのに、自分の適性基準を超える人がいると「異常」って言うのは如何なものでしょうね。自分が理解できない事を「異常」って呼ぶのは「それでも地球は回っている」と叫んでいたガリレオを宗教裁判にかけた人たちと一緒じゃないの?と思うわけです。自分の名誉のために言っておきますが、私は48kgのやせっぽちだった頃も変わらぬ暑がりでしたよ....最初から話の方向がずれてしまいましたが、そんな私が、今年は30度を越える気温の日でもあまりエアコンはかけずにがんばっています。エアコンをかけるにしても、自動運転で自動温度調整+2度という設定をしています。今日(11日)は、友人が遊びに来て車で出かけたのですが、いつもは車のエアコンも18度か18.5度に設定していたのに、今日は25.5度の表示でした。自分でびっくりしてしまいましたよ。
温度を高くしているのは、ジムで体の冷やしすぎは脂肪の燃焼を妨げるという話をされたからというのもありますが、電気製品の先端を追わなくなった事といい、冷たい温度設定をしなくなった事といい、もしかして、これが「老化現象」なんだろうかと考えたらちょっと怖くなりました。

若い人には「おっさん」と呼ばれる歳になった私ですが、自分の中では未だ二十歳の頃の自分に仕事などの経験をつんだだけというような意識があるんですよ。自分では十分若いつもりなんです。というか、歳をとっているのは自覚しているし、若者と張り合うつもりもない。でも、じゃあ、自分はもうよぼよぼの爺さんで世の中の迷惑にならないように隅っこにいて盆栽でもやっている歳かというと、そんなことは全く感じていません。若くないと自覚はしているけれど、自分が大人になったという認識もないことから、おっさんになったという自覚もない。なのに「老化」疑問の出来事を発見してショックだった訳です。


ニュースから

国土交通省は、リコール対象でありながら、まだ点検を受けていない三菱自動車ユーザー6万5千台に対し、点検を受けるよう呼びかける文章を作り、近日中に発送する予定だそうです。

ある地方の運送屋にシステムを導入するために常駐したことがありますが、「プロの運転手は事故を起こしません。起こさないからプロなんです」と業務用トラックは任意保険に加入していませんでしたし、それ以外にも、中小だから労組がないからと労働条件は劣悪。まぁ私はただのシステム屋ですから、野次馬の目で見ていただけでしたが、その経験から言うと、上層部は大体「そんなことで車を休ませたら儲けがなくなってしまう」と考えるんじゃないですかね。そう思います。

個人事業主だって、燃えたとしても逃げればいいし、タイヤが外れたとしても、転がってぶつかるのは自分じゃないし、ブレーキが利かなくてぶつかったって、こちとら大型トラックでぃ。壊れるのは相手でおれじゃぁねぇや。第一、保険も入っているから問題ねぇだろうがよ。そんなことより、仕事を休んだり出来るけぇ。そんなおきるかどうかの事故のために、なんで俺が仕事を休まなきゃならねぇんだよ。わりいのは三菱で俺じゃねぇや。てやんでぇい。って考えるんじゃないですかね。

先日も書きましたが、三菱の車に横に並ばれたり、対向してこられたりすると一気に緊張してしまいます。ジムやスーパーの駐車場など誰が隣に来るか分からない場所では、隣に三菱車がいると、燃えなければいいけどと考えてしまいます。
ある統計によると、放火なども含めて一年間で炎上する車の台数から言えば、たとえ欠陥問題がなくても、一日に一台か二台くらい三菱の車が燃えていてもおかしくはないのだそうです。戦争のない日本でも、平和だと思っていても、老衰や交通事故などで相当数の人が亡くなっていますから、どの都道府県でも死者0の日はないでしょう。それと同じなのかもしれませんが、それでもきちんと安全対策を施した上での、最善の処置を施したにも拘らずおきた事故と、安全対策を放り出し、何の処置もしないで起きた事故を同次元で語る訳にも行かないでしょうね。
兎に角です、国土交通省から「点検してね」と言うお願いをする事自体が異例で、そのことの重大さを物語ってはいますけれど、どうなんでしょうね、送るべき相手が分かっているなら、勧告に切り替えるべきなんじゃないですかね。本当人の命が懸かっているんですよ。



「富士山が七合目まで雪化粧」....

おいおい、連日こんなに暑い日が続いているのに、いつのニュースを書いているんだよ!と言いたくなるのはもっともなんですが、まじめに2004年7月12日(今日)の朝、富士山は七合目まで冠雪したそうです。さすがに日本一の山ですね。下界の暑さなどどこ吹く風のようです。富士登山したいです....いや、登山はしたくない。そんな涼しい場所に苦労せず行きたいです。



東京江戸川区の男性職員が区に対して、受動喫煙の治療費や慰謝料を求めていた裁判で、東京地裁は「区は一定の範囲で受動喫煙の危険から保護する義務があった」と区に5万円の慰謝料の支払いを認めたそうです。

これはまずい判例なんじゃないかな。ま、地方裁判所の判決ですから、上告してひっくり返ると思いますけれど、国が認めている嗜好品について、それを愛好している人たちを蔑ろにする事自身質な差別だと思うのですが如何でしょう。
嫌煙権を声高に主張する人は、殆どの人が「タバコなんて吸った事もない」と言うのが自慢でしょう。経験していないから相手の立場を理解しない。自分が「嫌煙権」という「正義」の旗を持っていると勘違いして高飛車になる。私は正直にいって嫌煙権を叫ぶ人は苦手です。病気や国籍などで差別をすることは忌むべき事だという認識は漸く後進国日本の国民にも薄皮一枚くらい浸透してきたようですが、その人の体質や喫煙件については差別とも思っていない思慮の浅い人が存在しているのです。

仕事の手を休めるのは、仕事をする上で一番の大敵です。しかし、タバコを吸わない人のためにタバコを吸う人が喫煙室にタバコを吸いに行かなければならないのであれば、当然ながら仕事の効率が落ちるのです。では、喫煙者と非喫煙者では仕事のノルマに差があるでしょうか。多分ないでしょう。これはおかしい話ではないでしょうかね。また、平等だというなら、喫煙室をつくって分煙をする月と禁煙室を作って吸わない人が逃げ込む月を交互に作ったらどうですか。どうしていつも喫煙者が差別をされなければならないのでしょうね。

この裁判は裁判官が人気取りを狙ったか、それとも自身が「嫌煙は正義」と声高に叫ぶヒステリックな人なのかも知れません。しかし、国が嗜好品と認めたタバコを差別の道具として認めるようなこの判決がそのまま通ってしまうのは納得が出来ません。
私自身タバコをやめて3年経過しましたし、もうタバコのにおいはかなりきついです。ですから禁煙の場所で吸っているのに出会うと腹を立てる方ではありますが、認められた権利を蔑ろにすることは、それが自分に有利かどうかではなく許せない気持ちで一杯になります。

嫌煙権に正義を認め、分煙し、喫煙者はタバコを吸う事に対して差別を受け入れるべきだという判決がまかり通るなら、区の対応に対して慰謝料を云々するのではなく、その前に国がタバコの販売を認めたことに対して有罪の断を下し、タバコを大麻などと同様の麻薬に指定するのが筋ではないですかね。



長野県の安曇野村にある白骨温泉公共野天風呂で、「白骨温泉=乳白色の湯」のイメージを守るため、数年前から浴場に草津温泉の成分が入った入浴剤を混ぜていた事が分かったそうです。

94年にオープンした公共野天風呂ですが、97年頃には既に湯がねずみ色になってしまい、イメージを壊すわけには行かないと試行錯誤の結果、入浴剤を入れて対応していたそうです。

「イメージを壊したくない」この気持ちは重々分かりますが、入浴剤を入れて嘘をついていたって言うのは、やっぱり良くないですよね。三菱のリコール隠しとある意味一緒。ま、そこまで悪質ではなかったと思いますけれどね。


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