The Green Hills of Earth
昨夜実家を出発して、のんびり一般道を走って、車中泊をして帰ってきました。 宿泊地付近の風景です。雪を抱いた山と満開の桜のコントラストはきれいでした。写真にそれが残っているかは甚だ疑問ですが.... 家の近くでも新緑が芽吹いています。今の新緑は緑が若くて新しい。ほんと、字の如くですね。「メニール 君はまだ華奢で柔らかい.....」
今日、帰宅途中で、温泉施設に立ち寄ってきました。少しでも腰にいいかななんて自分に言い訳をしながら.... 初めてのところを選んだつもりだったのですけれど、行ってみたらしっかり前に来た事のある場所でした。温泉自体は屋内のは熱すぎるし、露天はぬるすぎる。ちょっと逆じゃないの!といいたい感じでしたけれど、ぬるい湯でのんびり浸かって楽しませてもらいました。 お風呂から出て売店の辺りで一休みをしていると、かき氷などを売っている売店スタンドの売り子さんとそのお友達らしいおばちゃんが世間話をしながら「じゃあ、かき氷いただくわ」なんて言っていたのを耳にしたんです。何気なく見ていると、かき氷を手渡した後、売り子さんが何事かお友達に囁いてすぐにその場を離れたんです。で、直後にお友達は「ここにお金を置いておくからね」なんて言って離れていきました。なにか不自然だったので、私は商品を見る振りをして、その場に行ってみたんです。案の定お金なんてどこにもありませんでした。 確かに自分の友達が来たから安くしてやって。とか、私がおごるわよ。みたいな事はあると思いますけれど、今回のもその範疇なんですかね。多分違いますよね。もしそうだとしたら、もっと堂々しますよね。 このかき氷、たった200円なんですけれどねぇ。そこまでする価値はないと思うのですけれど.....
そうそう、車を運転する人にお聞きしたいのです。 自動車なりバイクなりの免許を取得するとき、道路交通法というものを学習したと思います。もう忘れてしまったという方もいらっしゃるかもしれませんが、バイクや車を運転する限り、それは知っていることが義務ですので、「知らなかった」では済まされないものなのです。ということも当然知っていなければなりません。 で、その道交法の中で、「進路変更の合図のタイミング」について規定されている筈ですが、答えをすらすら言えますか? 進路変更をする3秒前又は、交差点の30m手前というのが正解です。申し訳ないですが、答えられなかった人は論外。答えられた人でも、それをきちんと実践していますか? 実践していなかったら全く危険行為をしているという自覚に欠けています。 免許を取ってしまえばこっちのもの。という考え方も理解はします。けれど、誰だって事故は起こしたくないのではないでしょうか。道交法というものは、あるところでは警察と癒着した標識や信号の製作、敷設業者を儲けさせるため悪用されているものもありますし、「もう古臭い!」と思うものも多々あります。しかし、人間の反射動作の所要時間から導き出された理論的な規則も多いのです。そして、この針路変更の合図というのもそのひとつです。詳しい話は省きますけれど、それまで順調に流れに乗って走っている状態から、前の車がそこで曲がるんだと認識して安全に対処するためには、それ位前から合図をしなければ危ないということです。ところがかなり多くのドライバーは、交差点で信号待ちをしているときですら合図を出さず、信号が青になって、自分が曲がり始めて初めて合図を出す人も居ますし、交差点でない道路脇のお店に入るようなときも、突然(急)ブレーキをかけて減速をして、自分がハンドルを切るときに漸く方向を指示します。 そういう人にお尋ねしたいのですが、なぜ、そんな合図の出し方をするのでしょう。それが格好良い合図の出し方なんですか? 確かに道交法では、追突をしたら追突した方に非がある事になっています。何があっても回避できるだけの車間距離をとる義務が後続車にはありますから。 しかし、ブレーキをかける前に「俺は曲がるからね。だからこれから減速するんだからね」と、まず方向を指示し、それからブレーキを踏んで減速すれば、後続の人は「あ、方向指示が出たからそっちに曲がるのね。減速するよね」とブレーキを踏む動作に入ることができるわけです。 なぜ、方向指示をすることが罪悪かの様に、最後の最後までひた隠しにしなければならないのだろうか、私には理解に苦しむのです。どうかお願いですから、そのような運転を得意気にしている人は、私にその心境を教えて下されば幸いです。
思い立ったので、今日からMEMORIZEの更新をやめ、エンピツへ引っ越すことにしました。今後ともよろしくお願いいたします。 リンク、引用はご自由に。画像は勝手に持ち出さないことを祈ります。 COPYRIGHT(C) Lunatic 2002-2010 |