きのう、大学の頃の話を書いたので、その頃のことを少し思い出して書いてみたいと思う。
私が通っていた大学には、「写真研究会」と「カメラクラブ」という二つの写真サークルがあった。聞いた話によると、「写真研究会」のほうが設立が古く、ちょっと堅苦しい雰囲気を持っていたため、「写真研究会」の雰囲気になじめなかった人たちが、もう少しラフな雰囲気のサークルを作ろうとして設立させたのが「カメラクラブ」だったらしい。学園祭のときに写真展を開いても、両サークルの作風はまったく異なっていた。
私が所属していた「写真研究会」は、文化サークルといえども、上下関係が比較的厳しかった。だから、下級生は上級生に対してへこへこしていたし、使いっぱしりのようなこともしばしばやらされた。
当時、同じ「写真研究会」の仲間が持っていたカメラで覚えているのは、キヤノンAE−1(プログラムなし)、オリンパスOM−1などである。カメラを持っていない部員もいて、写真展の時期になると、カメラを持っている人からカメラを借りて撮影したりする風景も見られた。
ほとんどの部員が一眼レフを使っていたのだが、Sさんのように、何とその当時からライカを使っていた人もいた。Sさんは、当時からものすごく写真がうまい人だった。「流行通信」を愛読し、かなりセンスのある人だった。
そのSさんに、数年前の中古カメラ市でばったり会った。Sさんは実家に戻り、家業を継いでいるようだった。今でもライカを使っているのかどうか、確認はできなかったのだが、その素晴らしい才能を生かした仕事に付いて欲しかったと思う。
当時の「写真研究会」の仲間たちのほとんどは、もはや写真を撮ることをやめてしまったようだ。青春時代の情熱は、社会生活に入ると消えてしまうものなのだろうか。そう考えるとちょっぴり寂しい気もするのである。
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