つらつらきまま


2003年02月08日(土)
私の原点はこれ

今日は素敵さんとお会いした。
 時の流れが今日は早いんちゃうか、と思うぐらい喋る2人でした。
 傍にいた人達には訳分からん言葉が飛び交ってただろう。
 「なんだかんだいってニチョケンが…」
 「やっぱりハリガネが…」
 「トータルテンボスも最近…」
 「base」「ルミネ」「栄」「ゴールデン」「RRS」etc…。

 ビデオを何本か頂いた。
 その中には
 (私、3本セット注文するの早まったかも)
 と思うほどの豪華「超合金」セットあり。
 もう“すんげ〜”ビデオあり(笑)。
 水玉・メッセンジャーが仕切ってた頃の2丁目特番あり。
 「あっぱれ団」「松口vs小林」あり。
 非常に胸がうずうずするぐらい私をときめかせるラインナップ。
 「お好み焼き」特番のビデオは後で見ることにし、「オンバト」「BBP」までは「古き良き2丁目劇場」に捧げることに。

ところでこの頂いたビデオの一番最初に入ってたのが「いろもん2」。
 放映日は「00年7月27日」。
 これでピンと来た方はどれぐらいいらっしゃるでしょうか。
 この日のゲストは2丁拳銃でした。
 私が2丁拳銃にものすごく興味を抱き始めるキッカケとなった番組でした。

 おもいがけず3年後にその思い出の番組を見ることが出来た訳ですんで早速再生。
 1回見てるとはいえ1回しか見てない上に最後に見たのは3年前。
 (言うてた、言うてたわ。そうそう)
 というのもあれば
 (へぇ〜、こんなの言ってたんや)
 というのもあり。
 (あぁ、好きやなぁ)
 と見終わった時アホみたいだがやっぱり思った。
 30分の中のどの部分に強烈に惹かれたという訳じゃない。
 けど30分を通じたら
 (な〜んか良いんだよなぁ…)
 と思ってしまう。
 2丁拳銃を見つけて良かったものだ、当時の私。

「いろもん2」の後に入ってたのが「2丁目えぶり亭 WA CHA CHA LIVE 300回記念SP」。
 メイン司会がメッセンジャーと水玉れっぷう隊。
 この2組が2丁目でメインを張ってることが私にとっては新鮮。
 私が若手に注目しだしたのはbaseから。
 baseが開館した頃は既にこの2組は若手系の劇場は卒業してた。

 修士さんがガリガリに細いのにびっくりした。
 体重が40kg台の時だろう。
 漫才をしていて今まで見たことが無かったネタだった。
 デートネタというか。
 面白かった。
 ネタの言葉遊びに使う言葉のチョイスも好きだが、あのテンポも私は好きなんだと思う。
 コンビを紹介する時、$10の時には聞こえなかった「キャ〜!」が2丁拳銃にはあって2丁拳銃人気を思い知る。
 最後のコーナーで小堀さんは「死に急ぐ人」を披露してウケてたので喜んでいた。
 本当に“若手”という感じ。
 
 ハリガネロックも出てた。
 今の漫才の系統と違う。
 松口さんが自分をカッコイイと言い張るんだけど客席はシーンor苦笑い。
 お客さんも今の系統と違う。
 数年後「ロック〜、キャー!カッコイイ!」
 なんて言われるなんざ、当時のお客さんも相方も本人も思ってなかっただろう。
 ちなみにこの時のハリガネの漫才。
 後半部分は何をしたいのか分からなかった(^^;。
 ハリガネにもそんな時代があったんだな。

そして「すんげ〜」。
 本当に「すんげ〜」としかいいようがない。
 この番組に千原兄弟もハリガネロックも2丁拳銃も関わってたことがすごく嬉しい。
 そしてこの頃、長崎の片田舎に住んでたとはいえ「2丁目芸人」を全く知ることなく過ごしてたことがちょっと悔しい。
 95年、私がエネルギーを注いでたのは「ロビンソン」で大ブレイクをかましたspitzであり、木村拓哉であり、何故かダウンダウンだった。

 全国ネットに出てもらわなきゃ若手芸人の存在なんて知ることすら難しい。
 ということをあらためて思い出した。
 「すんげ〜」には名前すら知らぬままお笑いを辞めた方がちらほら。
 生き残っていくことは非常に難しい。
 




 Written and  arranged by  seri   || スキン by エンピツスキンニュース++