2003年01月31日(金)
盛り上がらないんだってば
イヤなことを先延ばしにしていて気づいたら自分が設定した修論発表のスライド作成締切まであと2日となっちまいました。
泣きながら仕上げます(来週の今日が発表)。
3月の末あたりが学部・研究科ともども卒業・修了式。
2年前の私は確かに浮かれたよ。
桃色の着物にグレーの袴を着た卒業式〜。
黒のスーツに胸に赤のコサージュつけてドレッシーにキメた(古)謝恩会〜。
あの浮かれ具合を2年後の私に求めるのは無理だって。
22と24じゃ何かが違うんだもん。
2年前の私は学生生協の返還金2万円を着付けに回すことに何の躊躇いも覚えなかった。
2年後の私はたった1回の着付けに2万回すぐらいなら貯金致しやす。
ちなみにウチの研究科は平均年齢が30代後半。
私と私の友達は卒業式に着物を着た記憶が新しいので殊更今度も着るような気合いはございません。
けれども最後に「卒業式」とやらを終えたのが15年ぐらい前の人から30年ぐらい前の人までいる研究科。
この人達がやたら燃えとるらしい。
振袖着るとか着ないとか(実質まだお振袖を着てもいい立場の人もまた多い)。
ある意味うちの研究科だけ仮装大会の雰囲気になるかもしれません。
あの人達が他の学部・研究科の人達が集る大講堂に来るなんて…。
いささか眩暈。
その後にあるらしい謝恩会に疲労感更に倍増。
正直「感謝」したいような「恩」なんて受けた覚えないっちゅーに。
まぁ路頭に迷ってた私を入れてくれたことは多少恩を覚えますけど。
学部は平和だったな…。
「渋公爆発ロック」ですがスイマセン。
どう考えても行けないようなので爆発すること不可能です。
行ける方達は存分に爆発して下さい。
どうして私はハリガネ関連のデカイ出来事は回避せざるを得ないことが多いんだろう…。
後藤秀樹さんがNGKで4月に単独をするということでとても喜ばしい。
小堀さんに出演交渉をしているというイベントはこのことだろうか。
最近、ニュースで北朝鮮のドラマあらすじを知ることが多い。
だけど某局は「ハンナのこだま」を「ハンナのけだま」といっていた。
大丈夫だろうか。
最近、全くお笑いに関係無いサイトなんだけど、日記が面白いのでお気に入りに入れて読んでいる。
私が「面白い」と思う論調って
「ツッコミ」と
「見も蓋も無い本音」
なんだなぁ、と思う。
私が覗いてるサイトの書き手の方はいずれも女性なんだけれども、「本音」がキッパリ過ぎて大好き。
ズバズバっとしてて気持ちいい。
でも「面白い」って本当に主観的だなぁと思う。
あるところで「日記がオススメ!」とかあったので行ってみたが(これもお笑いと関係無いサイト)妙にイライラしたことがあった。
打ち消しタグを使って本音っぽいのを書いてるけど、それが全く以っておもんない。
却って打ち消しタグを使うところに腹が立ったりも。
その他やたら改行タグを使い、本人は振って落としてるつもりなんだろうけど、見てるこちらは
(あれだけ振ってオチがこれかい!)という感じだった。
それでもそのサイトには「〜さんの日記ファンです」「〜さん、文才ありますね」的カキコミが多いのでやっぱりあの内容を「面白い」と思う人だっている。
多分その人達は私が面白いと思う日記サイトを「どこが面白いんだ」と思うんだろうな。
私が何に対しても「〜が一番!」と言い切れないのはやっぱりこれがいつも頭にあるから。
感性は人それぞれ違う。
そして個人の中でも常に変化するものだと思う。
昨日、「人間ドキュメント」を見た。
関西圏の人間じゃない私は岡八郎さんを初めて見た(お笑い好きだった父は「奥目の八ちゃん」と即座に反応してた)。
何だか切なくなったけども民放が作るドキュメントと違ってうるさくないなと思った。
だからこそ余計に迫って来た。
誰でも人生って綱渡りだと私は思う。
誰でも些細なことがキッカケとなって思わぬ方向に転んでしまう危険をはらんでる。
「平平凡凡」に生きることって実は凄くスリリングで幸運なことだと思う。
事故の後遺症で岡さんはセリフを覚えるのが困難になっていた。
台本を読むことも難しい。
リハの風景は見ていてとても複雑だった。
岡さんに憧れて弟子入りしたオール・巨人さんは泣いていた。
なのにいざ舞台の幕が開くと岡さんはしゃんとしていた。
声も張りがあった。
お客さんは稽古の様子を知らないから純粋に岡さんが提供するギャグや喋りで笑ったり拍手を送っていた。
送られるたびに岡さんは活き活きしていった。
私は舞台に潜む「笑いの神様」の存在を思った。
時に「悪魔」にも変わる「笑いの神様」の存在を。
舞台に魅入られた者は結局舞台に戻って来ざるを得ないんじゃないのか、とか思った。
ある時にはそれが「魅力」で「快感」となるが、ある時には「魔力」で「悪夢」にもなる。
それでも止められない。
観客側もそれは同じこと。
たった1回の舞台で、「好き」と狂おしく思うようになることもあれば、「違う。これじゃない」と決別することもある。
見るこちらも1回1回が真剣勝負。