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2005年11月15日(火) 虐げられし憂国の志士よ。約束の日が来た!

1970年、三島由紀夫が自衛隊に決起を促し、自決してからまもなく35年が過ぎようとしている。

絶望皇太子世代諸君よ。
いよいよ決起の日が来た。

紀宮妃が皇籍を離れる時が、その決起の合図だ。

紀宮内親王殿下は我らにこう呼び掛ける。

「朕、皇室を離れんが時が聖戦布告なり。
皇国の興廃、この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ」

全軍全人民が武器を取り、この腐り切った國に神罰の鉄槌を降り下ろす時が来たのだ。
紀宮親王殿下婚礼の日は、日本神道原理主義クーデター決起の日でもあるのだ。

すでに陸海空三自衛隊幕僚部は、武装蜂起の準備に入った。
さあ、虐げられし憂国の志士よ。
立ち上がれ!

約束の日が来た。

以下に三島由紀夫の檄文を記す。
刮目して読め!

『自衛隊を愛するがゆえに昧えるわれわれ楯の会は、自衛隊によって育てられ、いはば自衛隊はわれわれの父でもあり、兄でもある。その恩義に報いるに、このやうな忘恩的行為に出たのは何故であるか。かへりみれぱ、私は四年、学生は三年、隊内で準自衛官としての待遇を受け、一片の打算もない教育を受け、又われわれも心から自衛隊を愛し、もはや隊の柵外の日本にはない「真の日本」をここに夢み、ここでこそ終戦後つひに知らなかった男の涙を知った。ここで流したわれわれの汗は純一であり、憂国の精神を相共にする同志として、共に富士の原野を馳駆した。このことには一点の疑ひもない。われわれにとって自衛隊は故郷であり、生ぬい現代日本で、漂烈の気を呼吸できる唯一の場所であった。教官、助教譜氏から受けた愛情は測り知れない。しかもなほ、敢てこの挙に出たのは何故であるか。たとへ強弁と言はれようとも、自衛隊を愛するが故であると私は断言する。われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽菩に陥り、自ら魂の空白状態に落ち込んでゆくのを見た 。政冶は矛盾の糊塗、自己の保身、権力慾、偽菩にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかきれ、日本人自ら日本の歴史と伝統を冒涜してゆくのを、歯噛みしながら見ていなげればならなかった、われわれは今や自衛隊にのみ真の日本、真の日本人、真の武士の魂が残されているのを夢みた。しかも法理論的には自衛隊は遠憲であることは明白であり、国の根本間題である防衛が、御都合主義の法的解釈によってごまかされ、軍の名を用ひない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の興廃の根本原因をなして来ているのを見た。もっとも名誉を重んずぺき軍がもっとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである。自衛隊は敗戦後の不名誉な十字架を負ひつづけて来た。自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与へられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与へられず、その忠誠の対象も明確にされなかった。われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤った。自衛隊が目ざめる時こそ、日本が目ざめる時だと信じた。自衛隊が自ら目ざめることなしにこの眠れる日本が目ざめることはないのを信じた。憲法改正 に よって、自衛隊が建軍の本義に立つ真の国軍となる日のために、国民として微力の限りを尽すこと以上に大いなる責務はないと信じた。四年前、私はひとり志を抱いて自衛隊に入り、その翌年には楯の会を結成した。楯の会の根本理念は、ひとへに自衛隊が目ざめる時、自衛隊を国軍、名誉ある国軍とするために命を捨てようといふ決心にあった、憲法改正がもはや議会制度下ではむずかしけれぱ、治安出動こそその唯一の好機であり、われわれは冶安出動の前衛となって命を捨て、国軍の礎石たらんとした。国体を守るのは軍隊であり、政体を守るのは警察である。政体を警察カを以て守りきれない段階にきて、はじめて軍隊の出勤によって国体が明らかになり、軍は建軍の本義を回復するであろう。日本の軍隊の建軍の本義とは「天皇を中心とする日本の歴史、文化、伝統を守る」ことにしか存在しないのである。国のねじ曲った大本を正すといふ使命のため、われわれは少数乍ら馴練を受け挺身しようとしていたのである。しかるに昨昭和四十四年十月二十一日に何が起ったか。総理訪米前の大諸ともいふぺきこのデモは、圧倒的な警察力の下に不発に終った、その状況 を新宿で見て、私は「これで憲法は変らない」と痛恨した。その日に何が起ったか。政府は極左勢力の限界を見極め、戒厳令にも等しい警察の親制に対する一般民衆の反応を見極め、敢て「憲法改正」といふ火中の栗を拾はずとも、事態を収拾しうる自信を得たのである。冶安出勤は不用になった。政府は政体維持のためには、何ら憲法と抵触しない警察力だけで乗り切る自信を得、国の根本間題に対して頬っかぶりをつづける自信を得た。これで、左派勢力には憲法護持の飴玉をしゃぷらせつづけ、名を捨てて実をとる方策を固め、自ら護憲を標祷することの利点を得たのである。名をすてて、実をとる政治家にとってはそれでよかろう。しかし自衛隊にとっては、致命傷であることに、政治家は気づかない筈はない。そこでふたたび、前にもまさる偽善と隠蔽、うれしがらせとごまかしがはじまった。銘記せよ!実はこの昭和四十四年十月二十一日といふ日は、自衛隊にとっては悲劇の日だった。創立以来二十年に亘って、憲法改正を待ちこがれてきた自衛隊にとって、決定的にその希望が裏切多れ、憲法改正は政治的プログラムから除外され、相共に議会主義政党を主張する自民党と、共産党が非議会主義的方法の可能性を晴れ晴れと払拭した日だった。論理的に正に、この日を境にして、それまで憲法の私生児であった自衛隊は「護憲の軍隊」として認知されたのである、これ以上のパラドックスがあらうか。われわれはこの日以後の自衛隊に一刻一刻注視した。われわれが夢みていたやうに、もし自衛隊に武士の魂が残っているならぱ、どうしてこの事態を無視しえよう。自らを否定するものを守るとは、何たる論理的矛盾であろう。男であれば、男の誇りがどうしてこれを容認しえよう、我慢に我慢を重ねても、守るぺき最後の一線をこえれば、決然起ち上るのが男であり武士である。われわれはひたすら耳をすました。しかし自衛隊のどこからも「自らを否定する憲法を守れ」といふ屈辱的な命令に対する、男子の声はきこえては来なかった。かくなる上は、自らの力を自覚して国の論理の歪みを正すほかに道はないことがわかっているのに、自衛隊は声を奪はれたカナリヤのやうに黙ったままだった。われわれは悲しみ、怒り、つひには憤激した。譜君は任務を与へられなけれぱ何もできぬといふ。しかし諸君に与へら れる任務 は悲しいかな、最終的には日本からは来ないのだ。シヴィリアン・コントロールが民主的軍隊の本姿であるといふ。しかし英米のシヴィリアン・コントロールは軍政に関する財政上のコントロールである。日本のやうに人事権まで奪はれて去勢され、変節常なき政冶家に操られ、党利党略に利用されることではない。この上、政治家のうれしがらせに乗り、より深い自己欺瞞と自己冒涜の道を歩もうとする自衛隊は魂が腐ったのか。武士の魂はどこへ行ったのだ。魂の死んだ巨大な武器庫になって、どこへ行かうとするのか。繊維交渉に当っては自民党を売国奴呼ぱはりした繊維業者もあったのに、国家百年の大計にかかはる核停条約は、あたかもかつての五・五・三の不平等条約の再現であることが明らかであるにもかかはらず、抗議して腹を切るジェネラル一人自衛隊からは出なかった。沖縄返還とは何か、本土の防衛責任とは何か。アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ぱないのは明白である。あと二年の内に自主性を回復せねば、左派のいふ如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終るであろう。われわれは四年待った。最後の一年は熱烈に待った。もう待てぬ。自ら冒潰する者を待つわけには行かぬ。しかしあと三十分、最後の三十分待たう。共に起って義のために死ぬのだ。日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主議でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。もしいれば、今からでも共に起ち、共に死なう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇へることを熱望するあまりこの挙に出たのである。』


絶望皇太子