transistasis
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2001年12月09日(日) 来るべき禍

インターネット上の日記サイトには膨大なる心の吐露が記されている。
匿名性の高い媒体であればこそ可能になった「心の壁」ATフィールドの解除。

いくつか検索していくと実に興味深い記述が点在することに気付く。
特に現代の虐げられた絶望男性と不道徳な悦楽に浸る堕落婦女子の相対的な恋愛観を如実に示す記述が多くみられる。

他愛のないそのメッセージの中に記された恐るべき悲壮な現実と絶望未来。

ここにその典型的な例を上げよう。
心して読むがよい。

最初の事例はある日記サイトに記された28歳独身男性の絶望かつ悲壮に満ちた日記からの引用である。それを以下に掲載す。


『(今の心)
 元彼女の日記を読む。
つらかった。
付き合って、数ヶ月、彼女が彼女であるために別れた。
その彼女の考えに、自分も納得して別れたはずなのに。。
なんで、こうも頭がかち割れる程痛いのだろう?
全く未練たらたらである。全く吹っ切れていない。
っというか、諦めきれてないのだろうか?わかってないのだろうか?納得していないのだろうか?
自分は、もっと彼女のことを愛したかったけど、それは、もうだめなんだよね。
結局、彼女は自立するために、自分が必要とする存在ではなくなった、つまり邪魔になったんだと思う。
それと、自分は彼女のことをちゃんと分かろうとしなかったのかもしれない、
愛しきれていなかったら、自分勝手だったから、彼女は自分への思いが冷めてしまったのだろう。
 自分は全く格好良くない。生き方も何もかも。。
こんな自分と付き合ってくれたんだ。それでも良し!と思わないといけないんだろうね。』



なんと哀れでみっともないダメ男さであろうか!
おそらく以前付き合っていた女子にふられた後、彼女のHPの日記を発見しそれを読んで更に落ち込んだということだろう。
そしてそういう情況になったのは、すべて自分のせいで自分がダメだから関係が壊れたと自責の念に囚われていると・・。
まったくもって哀れではあるがこれが現代の絶望男性の普遍的な絶望感なのだ。
これは彼に限った事ではなく、総てのシャイでプライドある日本男性に当てはまる事だ。
すくなくとも恋愛の失敗を彼女ではなく自分の至らなさとして責める分、寛容性と紳士性を垣間見る事が出来よう。
優しさというものを実践できる分「正しき人間」なのだ。
だが、この時代、そういう「正しき人間」がダメ人間として扱われてしまう。
なぜか?

続きを見よう。
以下の文はその数日後の日記からの引用である。


『元の彼女のけじめってなんだ?
全然わからない。それをハッキリ聞きたかった。
なのに完全に

無視された。。

最悪。』


なんというダメ人間、ゴミ人間さであろうか!クズそのものである!
彼の絶望感に更に絶望がコーティングされた瞬間だ。
彼のプライドはズタズタだ。
ダメ人間の上塗り。信じた彼女に生ゴミ扱いされた上にその存在さえ無視されたのである。
豚以下の軟体動物並に扱われたのである。
自分を責め、彼女の気持ちを尊重した挙げ句この扱いだ。
糞虫のごとく嫌がられ、廃棄物のごとく遠ざけられ、その存在を否定されたのだ。
その上、元彼女の日記を見た上での接触であろうから元彼女からストーカーとして訴えられ、犯罪者として社会的信用も失い、自殺に追い込まれる可能性さえあるのだ。
何と哀れでみじめな存在であろうか!
生きているだけ無駄であることを証明したようなもの。
彼はこの瞬間、蛆虫と同列に扱われた!

人を愛したのに犯罪者として訴えられ自殺を強要される・・。
それでも彼は自分を責めざるおえない・・。
なんという絶望人生。

だがそれは彼の責任なのか?

さて、次なる引用は、ある日記サイトに記された20代と思われる独身女性の記述からである。


『☆元彼の・・・日記読みました。昔、付き合ってた人達が、
かっこよくなってたり、綺麗になってたり、がんばってたりすると嬉しくなっちゃいますよね・・・。がんばれ〜って声援したくなる。

ていうのも、偶然(でもないか)元彼の日記をみたから。
(こういうWEB上の日記ね)
もう、恋愛感情も好きも嫌いもなく、「過去好きだった人」
と化してるんだけど、あたしのことらしきことが書いてあって、
「あー愛されてたのねー」というのが感じられたから。
そういうのが文章で伝わるってすごいなーて
小説でもたまに思うけど、ほんとに思う。
たとえそれが後悔の文であろうとなんだろうと。
そういう感情って、たとえ寂しいとか哀しいとか悔しいとか、なんでも、
大切に残しておくべきだと思います(別に引きずれっつってんじゃないのよ)
心のどこかにとどめて置いて。
だから、うーん、何が言いたいのかよくわかんなくなったけど、
あたしも、あの人に、「愛されてた」ていうのは、覚えておこうと思う。
し、「好きだった」ていう気持もとどめておこうと思う。
恋愛にとどまらず、冷静だった奴を尊敬してたし。
(ただ冷静すぎたけども(苦笑))』


無論、これは前途した「彼」とは何の関係もない他人の女性の日記である。
しかしシチュエーションとしては非常によく似た例であろう。
昔付き合って、今は別れたであろう異性の日記を読んで感想を述べている点は同じ。
明確な違いは相手に対し如何なる感情を抱くかという点だ。
この女性は元彼に対し、なんの未練も有していない。ということはおそらくその元彼をゴミのごとく捨てたのであろう。
彼女にとって元彼はいらない存在・・つまりゴミなのだ。
この文章は久しぶりに見つけたゴミをみて記憶の残滓を確認したに過ぎない。
一分もしたらあっさり忘れてしまう言葉の穴埋めにしか過ぎぬのだ。
今の彼女の人生には何の価値もない、どうでもいい「今日見たバラエティー番組の感想」と同程度の戯言なのだ。
その対象にされた元彼の存在の如何に小さな事よ。
もしかするとこの「元彼」は彼女のために命懸けで尽したのかもしれぬ。ところがそんなものはこの女にとってどうでもよかったことなのだ。
これは彼女だけの例外的な事ではない。
現代の恋愛における堕落した日本婦女子の典型的な感覚だ。
結婚、恋愛適例期にある男女比で絶対的に男が余ってしまう今、婦女子から見れば日本男子など使い捨ての生理用品かコンタクトレンズと同じレベルでしかない。

そもそも彼女達にとってもはや日本絶望男性は真の恋愛対象ですらないのだ。たとえいたとしても100人の内、その2、3人に過ぎない。その対象も野蛮な非文明的劣性遺伝子をもった野獣のような男のみ。
日本堕落婦女子の大半にとってその欲求の対象はアングロサクソンでありニグロでありラテンである。イエローモンキーお断りなのだ。
これは言うまでもなく邪教徒による「日本民族絶滅計画」に沿った洗脳マニュアルが日本婦女子に行き渡った結果。
全ては邪教徒による情報操作がこのような悲劇を生んでいるのである。
堕落日本婦女子の行き着く果ては邪教徒の精液便所。それを幸せと信じ切る欺瞞。
これを断ち切る術など何処にもない。

そんな状況下、日本男女間に対等なレベルで恋愛が成立する訳などないのである。
いくら紳士として女子に尽そうと、堕落した婦女子はその無垢な紳士たらんと必至になっている日本男子を使い捨ての日用品レベルとしかみない。
こんな土壌で男女間の信頼が育つと思うのか?
成り立つ訳はなかろう。
こんなに虐げられているのにひたすら紳士に勤めようとする男達。
いっぽうでそれを敬う気配すら見せぬ女達。

その結果、どういうことが起きるか説明するまでもなかろう。

忍耐の限界を超えたプライドある日本男子は紳士的理性的に勤める事がなんら恋愛成就に役に立たぬ事に気がつくだろう。非礼の限りを尽す日本婦女子に対し、かつての愛情は憎悪に変換されるだろう。
男達の絶望はかつて愛した女達へ向けられる。
男達の自責の念はやがてそれを汲み取る気配すら見せなかった女達へ向けられる。
その鬱積した憎悪が爆発した時、かつてない地獄絵図が展開されるだろう。
日本各地で若い堕落日本婦女子が絶望男性によって殺される。それは普通の殺人事件のレベルではない。
町中で目の前で若い女性が公然と殺される。次々と。
誰も助けない。警察も救急車も来ない。
なぜなら誰もそんな堕落女性に同情の念はないからだ。
絶望男子はそれを見て思う。

「ふん。自業自得だよ。」

貴方が通勤通学途中で見るもの・・。
道端に若い女性の死体が3つ4つころがっている。
駅に着くとここも変だ。
泣叫びながら逃げる若い女性。追う若い男。刺される女。誰もが見てみぬふりだ。
男はなにか呟いている。

「ウ・ラ・ミ・ハ・ラ・サ・デ・オ・ク・ベ・キ・カ」

おそらく何かをきっかけにしてこのような大虐殺が展開されるであろう。そして1日に数万単位の日本堕落婦女子が絶望男性によって殺される。そしてそれは数日続き、50万人以上の堕落婦女子が殺され、同数程度の絶望男性がその後を追って自殺するだろう。

これが理不尽な出来事か?
許されざる蛮行か?
こんなことはありえないか?

ふざけるな。

愛の対象を失い、蔑ろにされ、屈辱の限りに浴し、ゴミのように扱われ、嘲笑を浴びたプライドある男達の怒りを侮るな。

男は妻を娶り、子を設け、家庭に尽し未来を築く。それが真っ当な男としての人生だ。
女は男を敬い、尽し、母として愛を育み未来を築く。それが真っ当な女としての人生だ。

その人の道を外れ、堕落の底に落ちて悦楽に浸る日本婦女子が自ら招き入れた禍として大殺戮が起るのは歴史の必然。

罪人は必ずや報いを受ける。
覚悟してその報いを受けるがよい。

そしてこの國は滅ぶのだ。

希望は何処にもない。


絶望皇太子