内向的恐妻家の日記
2003年12月16日(火) |
【無謀チャレンジ日記】シーズンオフの富士登山−中編 |
それでは、昨日の続きで『無謀、シーズンオフの富士登山』の続きをどうぞ。
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無言のまま、真っ暗な登山道を登っていく二人。
時折、遠くからキキキという何かをこする音が聞こえてくる以外は、 全くの静寂と闇が二人を包んでいます。 (これも後で知った事ですが、この音は車のドリフト族の物だったそうです)
本来、山梨側の登山道は、岩道なり山小屋なりがあって、そうそう登山に飽きると いう事はないのですが、その登山道は延々の砂道にロープが張ってあるだけの単調な 登山道で、登山の醍醐味すら味わう事ができません。
もうここまで来てしまえば後は意地だけです。
ヘビメタ先輩も、砂で足が滑るだの何だの文句を言いながらも、足だけは黙々と 動かし続けています。
そんな中、幸いな事に、行くてに山の頂きのようなものが、月明かりでほんのりと 浮かんでおり、
『あそこまでいけば頂上だ。』
と思える事が唯一の救いでした。
しかし、登れば登る程、その頂きは富士の山頂にふさわしくないものに思えてきます。
何せ、富士山の頂上としては、頂きが小さすぎるのです。
そうです、その頂上こそ、かの有名な双子山の頂上だったのです。
「どうする?」
「どうします?」
その頂上が富士山本体の物でないという驚愕の事実を知った二人から、自然と言葉がもれます。
しかし、ここまですでに5時間以上登りつづけています。
ここで諦めるという事は、今までのこの工程を無にするという事です。
二人は、双子山の頂上を左手奥にして、重い足を引きずり再び歩きだし始めました。
そしてさらに数時間後、ようやく明るくなりかけてきた頃、 再び二人を襲った悪夢は、『寒さ』でした。
ただでさえ夜明けの一番冷え込む時間帯なのに、さらに激しい風と霧が二人を襲い、 その体温を奪っていきました。
何せ、富士山の頂上では真夏でも夜明け前は氷点下近くなります。
私もそれなりの知識は持ち、ましてや9月下旬の登山であったので、考えられるだけの 厚着をしていたのですが、そんな物は全く役に立たない程の寒さでした。
「これってものすごくやばくない?」
「。。。まずいと思います。」
何せ、考えられるだけの厚着で体を動かし続けているにも関わらず、 裸で氷風呂に飛び込んだ時のように、冷気が体中に突き刺さってきます。
全身の震えがひどく、前に進む足もしっかりと踏み込めなくなってきました。
『もうだめかも。。。』
二人がそう思った時、ヘビメタ先輩がついに決断しました。
「もう諦めよう。さっきあった土砂よけまで戻って、この風を凌ごう。」
「。。。はい。」
さすがにその提案に従うしかありません。
二人はきびすを返し、土砂よけを目指して下山し始めました。
しかし、ここまで7、8時間も登山しています。 本来ならとっくに頂上についていてもおかしくない時間です。
私は下山しながらも、頭の中は疑問でいっぱいでした。
そんな疑問に頭を占領されつつも、なんとか、凍死する前に土砂よけに辿り着く事ができました。
この土砂よけは、コンクリートでできていて、天井もあるため、いくらか風を防ぐ事ができます。
しかし、気温の低さだけはどうしようもなく、体の震えが止まる事はありませんでした。
『こういうときは、裸になって、お互いの肌と肌で暖めあって、、、』
という考えも浮かんだのですが、死んでもいやです。
ああ、もうだめかも。。。
自分自身、だんだんと意識が薄れてゆくのを感じました。。。。。。。
...感動の最終回に続く。
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