1日雑記

2008年06月19日(木)

よく、テレビや漫画などで
ステレオタイプのオタクなんてものが登場する。

美少女キャラクターを例に出す、
そんな会話を聞いていると
非オタク曰く
「そんな子、現実にいるわけ無いじゃん」
という言葉に対し、
受ける側も色々あるが
「いつかその内現れる」とか
「3次元なんか興味ない」とか。

しかしこれ、表層的な解釈であって
実際にはそういう考えの人って少ないのではなかろうか。

昔から、どうもそのギャップに悩んでいた。

現実には、と言われ
それを否定するよりは肯定する人の方が多いと思う。
にもかかわらず、止められない止まらない。


一つ、考えた。

現実という言葉に対し、夢を考える。
夢だけではなく、仮想現実を考える。

例えば、本に夢中になる。
本の中に引きずり込まれる。
夢中になって読んでいる時、
貴方は現実のことに気付くか。

もちろん、インターホンがなれば玄関に向かうし
お腹がすけばお菓子をつまむ。
が、意識は本に向いたまま。

このとき、人は現実に居ない。
現実よりは本(仮想現実)に重きを置いている。

ネットゲームでも良いが、文字という共通項を探すなら
ネットの掲示板か。

書籍が書籍であるのは、終わりがあり有限であるからだ。
だから、終わりが無い話――主人公の話がそのまま本になる――
そんな物語も成立している。
話は終わりを迎えると、人は本の世界から現実の世界に戻る。

あるいは類似する世界を求めて
次の本へと取り掛かる。

これがネットの掲示板だと終わりが無い。
厳密な意味ではないが。
なぜかといえば、個人という読み手に対し
書き手が圧倒的に多いからだ。

これにのめりこんでしまうと
抜け出るためのきっかけがつかめない。
本なら終わりがあるのに、終わりが無いから。

ネットゲームだって同じだ。

それならば。
もしも、現実よりも仮想現実の中で生きる時間が長かったらどうだろう。
8時間眠ると残りは16時間。
一日、8時間以上ネットに繋いでいる人は
見た目ほどには少なくないはずだ。

8時間、現実に行き
8時間、仮想現実に居て
8時間、寝ていたら……。

一般的に、現実を重視するのは
そこで生きているからだ。
本やネットは娯楽。
せいぜい、数時間を占めるだけであり
現実はその何倍も続く。

が、もしも仮想現実に居る時間が現実と同じならば
その人にとって、仮想現実は現実と同じくらい
「あたりまえ」のものになっているのではなかろうか。

現実と仮想現実は違う事を認識していながら
意識はしなくても仮想現実というものを大事にしている。
だから、現実とは違うと言われても当たり前だとしっていながら
止められない止まらない。

「現実?興味はあるよ」と。

実際には働かないと
仮想現実は手に入らず
働いてしまえば現実の占める割合が多くなる。
境界があるなら、きっとその辺なのかなぁとは思うけど。

仮想現実を現実の代替とは考えず
それを一つの現実と感じてしまい
しかも仮想現実は現実より占める時間が多くなる。

ギャップはこんなところにあるのかなぁと
漠然と考える。



……そーいや、ATOK買っちまったぜ。
あんなの前世代的なPC好きのツールだと思ってたのに。
蕩けるほどに滑らかだ。


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