| 2001年06月25日(月) |
じつは1時間後テストです(笑) |
いろいろ考えることはあるけど 書くに至らなかったりまとまらなかったり。 書く必要がなかったり書きたくなかったり。 あくまで一方的でしかないのだろうか、こういう場は.
いろいろなページを見る。 それぞれの人は迷うし、つらく思ったりしている。 それは例えば自分の意思と違うところで動いてしまったから。 それは自身に納得のいくものでなかったから。 そんな中でやめる、悪く言えば逃げ出す。
…はじめた意味を考える。 それは「好き」ではじめた事。 僕はそこから逃げることはできないと考える。 どんな道をとおっても、帰ってきたくなる。 それだけの魅力を持つ。
他者に何を期待するのか。 自身の納得のいくものと他者の期待するもののギャップ。 その差を埋めること、必要ですか?
社会の一員として(強制的に)組み込まれる。 その中で生きていくこと。 それは納得のいくことばかりでない。 すべて納得がいくというなら私はその人を信じない。
その中で自身の好きなことをする。 例えばそれを社会に開く。 それに対する社会の反応。 それが自信につながったり失望、絶望につながることも多々。
人を気にしないでやっていくことはできない。 それを否定することは人であることを否定するのと同義だから。 だからといって気にしすぎる理由もまた、ない。
人が何かを示すとき、誉められることを望む。 示す場合だけでなく、意見を求めるとき。 自信を肯定してくれる、それを望む。
自身の意見と他人の意見が相乗効果を生み、つらくなる。 そのとき、ものすごい自信になったり落ち込んだり。 正の方向でも、負の方向でもいいことはあまりない。
ただし、示すこと、それはあくまで 「遠くの他人」に対してであることが多い。 そのとき自分の「近くにいる人」、 それをもつことで打開にもなるのではないか。
親しい人、友と呼べる人、親という存在、兄弟、親友、恋人、家族。 そこに何か救いを見出すことは決して悪いことではない。 自分ひとり、強くある必要もまた、ない。
|