時事ネタにも近くなりますが。 大阪の児童連続殺傷事件。 今の段階では容疑者と児童、先生の状態待ちというところです。 とはいえ、週刊誌などではこぞって書き立てていますが。 …別に私は週刊誌なんて買っていませんよ? 車内広告でよく見かけるだけです。 その中に 「子供を見捨てて逃げた教師をゆるさない」 だったかな? そんな感じの文字がかかれてたんですよね。 確か子供の父親の言葉としてかかれてたかと。 …もし本当にこういう意見があるなら悲しいです。 前述したように私は週刊誌は買わないし 記事自体を読んでもいない。 が、一般に飾られている車内広告を見て 文字以外の解釈はできないです。 また、事件自体を深く調べていない、 そういわれればそれまででしょう。 けど、教師を(少しは)目指すものとして少し反感を覚えます。 社会全体が学校、教師というものに対して あまりにも過剰な期待を抱いているのは常々思っていますが。 …例えばかつてこんな考えをしたことがあります。 アルバイトの新米だろうとなんだろうと 給料をもらっている以上、責任はある。 新米でもベテランでも(例えば飲食店で)お客にとっては なにもかわらない。 つまり、払う金額は一定だし、常に同じ品質のものを期待する。 新米だからといって甘えられる理由にはならない。 また皿洗いにしても、例えば食べ残し。 非常に不快である。 でもそれも給料、言い直せば食事代の中に含まれるのだから お客を恨むのは筋違い。 …まぁ現実にはそんなこと言ってたら成り立たないし 嫌なものは嫌だ。 ときどき正論でやりこめられると非常に悔しいですが… それと同じでしょう 言ってることが間違ってない分だけ悔しい。 話がずれました。 はっきり言ってしまえば教師の給料なんて命に見合うほどじゃない。 …すべての職種においてはそうですが。 少なくとも教師という職種において自らの命を投げ捨てて 児童を救う、そういう役割は含まれていないと思う。 現実にはあたかもそういう事があっても不思議でない、くらいの 考えをみんなが持っている。 それは多分ドラマに代表される 理想の先生像が焼きついているからなんだろう。 実際にも先生側としては子供はかわいいし もしかしたら自分の命と引き換えにしても… って考える先生もいるかもしれない。 でもそれは個人の差であって万人の先生に求められるものではない。 善意をあたりまえと勘違いし、あたりまえが行われないと不平を言う。 それは人として仕方のない性(さが)なのかもしれない。 それが悲しい。
|