|| 2005年10月23日(日) フルメタル・パニック!TSR その1 ||
■「フルメタTSR」という名の祭が終わった。この作品を、どれだけ心待ちにしていたかを、これまでにも、しつこいほどに書いてきたわけだが、<アマルガム>というか、テッサ兄という布石をしっかり打ちつつ、既に次回作への期待すら鮮明に残し終了。
いつもそこにある日常、当たり前に続くと思っていた「日常」が、突然、終わる。その「日常」こそが本当は「異常」であると知っている人たちの手によって。「終わらされた」当の主人公に訪れたのは、とてつもない「怒り」と「放心」。
今回は、コメディー色の強かった前作「ふもっふ」とは違い、いわゆる長編のアニメ化。「フルメタ」に関して、私個人としては、どちらかと言うと、多分、長編好きであるのだと思う。アニメ「ふもっふ」も確かに面白かったと思うが、やはり1作目が大好きであり、ていうか、これまでにも書いたことがあると思うが、アニメ「フルメタ」は、私の中のあらゆるアニメの中でも別格の一番であり、ゆえに、最も期待も大きく、ゆえに「万が一」への危惧も、最も懸念されていると言えた。しかしどうだ、1話目を視聴するや否や、そんな不安も大気圏の遥か外へ吹っ飛んでいく。やっぱり「フルメタ」はスゴイ。
ロボットの出てくるアニメなど、あくまでもどこまでもファンタジーである。しかし、ここまで詳細がリアルなファンタジーが他にあるだろうか、と私は思う。「サイドアームズ」の中の「M9スティックのレイアウトと説明」を初めて読んだとき、この人(原作者)は、本当のマニア、いや、本物のバカだ、と思った。紙一重だ、と。そして、こんなことを来る日も来る日も考えているような人には、絶対に敵わないのだ、とも思った。
ロボットアニメの主人公たちはいつも、与えられた「特別な機体」を当たり前のように乗りこなす。乗りこなすための過程に多少の差異はあっても、何の疑問も持たずにそのコックピットへとおさまっていく。 このアニメの主人公も例に漏れず、人型戦車<AS>を操ることに非常に長けたプロフェッショナルである。がしかし、どこまでも物理・化学に従順な頭を持った主人公は、「思い」を具現化するという機能<ラムダドライバ>を擁する最新鋭の<AS>ARX−7<アーバレスト>を上手く操縦することができない。どのくらいできないか、と言えば、小説にして9冊分もの間、彼は自分に与えられたその最新鋭の機体を忌み嫌う。 今回のこの「フルメタTSR」は、主人公・相良宗介(智一)が、その機体<アーバレスト>との確執を、そして「それ以外の彼の問題」をも、「結果的に」解決していく、という話である。ただ、そのもがき苦しみ方が尋常ではなく、そして、彼がもがけばもがくほど、こちらとしても身悶えずにはいられないのだ。
そんなアニメ「フルメタTSR」の最大の目玉?と言ってもいい、今回のリニューアルについてだが、そのひとつ目<ゲイツ>、これがもう、大当たり。もちろん、スタッフ間での前評判もすこぶるよくて、否応なく期待させられたわけだが、想像以上にエキセントリックで素晴らしいキャラだった、ビバ、芳忠!もともとスゴイ役者さんだとは思っていたが、ここまで嵌り切ったキャスティングが嘗てあっただろうか、いや、もしかしたら、キャストの方が先に決まっていたのではないか、そう思うくらいに見事な嵌りっぷりだった。最後の最後までモヤモヤとした展開のストーリーを、確実に引っ張っていったであろう彼<ゲイツ>の功労は、とてつもなく大きい。
次にふたつ目、<ユイファン><ユイラン>の双子姉妹。このリニューアルについては、正直「えええー?」という印象を持っていたわけなのだが、ていうか、やはり女子的には姉妹よりも兄弟だろ、みたいな。しかし蓋を開けてみれば、これも大成功。花もあり、マオ姐さんとの死闘など、かなり緊張感の伝わってくる非常に見応えのあるものだった。冷酷非情であるにもかかわらず、どこか健気であるなど、最期に互いを求めるシーンでは、思いのほか切なさが漂った。あとになって、宗介が任務を放棄する際マオ姐さんに見せた表情が<ユイラン>とリンクして見えるあたりなど、本当に「上手いっ!」と思った。ただ、「あの」ガウルンが拾って育てたのなら、やはり「姉妹」よりは「兄弟」の方が全然しっくり来るとは思うけれど。
総評としては、<BMG>・<ONS>・<ITB>にオリジナル<故郷に舞う風>を加えた1作目と比べても、シナリオ自体、ひどく丁寧に練られていたように思う。ことクオリティにおいては、もう言うことナシの素晴らしさであり、感動すら覚えた。 ただ、あれ?と思ったシーンもいくつかあったのも事実。 第9話「彼女の問題」で、レナードが去った後、かなめが給水タンクを殴ったのち号泣するシーン、あれは、レナードに対する嫌悪や宗介に対する怒りだけではない。あの激しい嗚咽の一番の理由は、かなめの「後悔」にあったはずなのだ。散髪のとき、あれが最後のチャンスだったと知った今、それが永遠に失われてしまったと知った今、すべてが手遅れだと知った今、だからこその涙ではなかったか。 そしてもう一つ、これは原作ファンならばきっと危惧したのではないだろうか、あの<アーバレスト>のAI<アル>との会話である。その中で<バニ>のことが一切触れられていなかったのだ。 あの<バニ>の伝言は、<アル>が述べたとおり、「フラグ」であり、そして、その「フラグ」が立ったからこその「結果」だったのではなかったのか。「マスター」に大切な人がいてこそ、ただの鉄屑にならない、そういった意味があったのではなかったか。そしてその後に、再び現れるガウルンこそがただ一人、宗介の気持ちを理解していたことの皮肉さ、どちらへ転んでもおかしくない危うさ、そんな緊張感の後に用意されているラストシーンへのいわば伏線になっていたはずではなかったか。今後の<アル>との関係も含め、カットして欲しくなかったなあ、と心から思ったのだが、どうだろうか。
最後に。とにかくこの<DBD>というのは、イライラするほどの宗介の葛藤とヘタレっぷり、そしてラストに用意されている、すべてを払拭するかのようなあの爽快感にあるのだと思う。最終回の見事な展開と素晴らしいセリフのオンパレード、もがき苦しんだ挙句の彼らの成長っぷりには、本当に胸が空く想いである。ここまできたのであれば、当然、「つづくオン・マイ・オウン」を是非とも観たいわけだが、いや、その前にどうか「音程は哀しく、射程は遠く」なんかも観たーい!!と、クルツ@三木眞ファンの私は、願わずにはいられない。
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