■ ヘッド・フォンから石田彰
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|| 2004年05月26日(水) 私の・・・メガネちゃん ||


■生きていればいろんなことがある。
さすがに私の娘、のっけから人生は彼女に、ステキな試練を用意してくれていた。

とうとう、ウチの娘がガネっ子になることになりました、イェーイ♪ドンドンパフパフ

・・と、まあ、自分を盛り上げているわけだが、それで不安が解消されるわけではもちろんない。生まれつきの強い乱視、ピントを合わせようと無意識に目に負担をかけ、将来的にも視力を落とさないため、メガネをかけることは必須だと医師に言われた。たかがメガネ、されどメガネ。4歳になったばかりでメガネをかける、それがどういうことなのか、私はもう4歳児には戻れないので、絶対に解からない。ただ、初めて属した幼稚園という社会で、彼女が他人との比較対照を自分に課し始めた今、親としては非常に複雑な気持ちであり。

昨日眼科に行くことは前もって言ってあったので、どうだったの?と、他のお母さん方に訊ねられた。掻い摘んで事情を話すと、大変ねえ、とか、でも考えてみればもっとひどい弱視じゃなくてよかったわねえ、とか、更には、失明とかじゃなくてよかったじゃない、などと言われ、ちょっと考えてしまう。確かに、それは尤もかもしれないし、これを励ましと捉えられなくもない。悪気がないのも充分に解かる。しかし、ものすごく悪いよりはちょっと悪いくらいでよかったじゃない、と言われ、ああ、なんて幸運なのかしら、と思えるはずもない。それに、これはあくまで娘本人の試練であって、他人と比べて測るようなものではないと思う。悪いことを言えばキリがないし、その反対も同じ。そんな子、他に幾らでもいるわよ、そう言われても、るこはるこなんだから、自分と同等な他人と比べて自分の不幸や幸運を測る、そんな人間にはならなくて良い。
果てには、るこを目の前にしてなお「かわいそうに」などという言葉を吐くバカな母親もいてちょっとカチンときたが、そんな些細なことでいちいちカチンと来ている私も私で、ほんと、自分が情けないったらありゃしない。動じるな、私。
冷静に考えてみたら、私たち親子を「どうでもいい」と思っているのと同様に、私もきっとその親子を「どうでもいい」と思っているのだろう。ならば、どうでもいいことを「どうでもいい」と言う他人に、私が腹を立てる道理はない。あとは本人の常識と良識の問題だろう。ほっとけ、私。

「るこー、メガネかけるんだって?でもあんた、汗っかきだからねえ、あはは!」
と、のんちゃん。
「でもかっこいいじゃん!るこって誰?って言われてもさ、あのメガネの子!だけでわかっちゃんだよ?すげーじゃん!?コセイテキ、って言うんだよ!」
と言う。私の友達ってすごい。「どうでもいい」と思っていない人の言葉、それは信頼関係がなければ言えない言葉だ。あんたが親かよ!って突っ込みたくなる。

そう、個性だ。本来持っている彼女の個性に「メガネ」という個性が加わる。それを魅力的なキャラにするもしないも、彼女次第なのだ。
怯むな、ステキなメガネ親子になればいいじゃん。

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