■ ヘッド・フォンから石田彰
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|| 2003年12月27日(土) タクミくんにもの申す? ||


■日記タイトルは、原作ではなく、あくまでCDに対するもの、と、あらかじめ断っておく。そして、決して、キャスティング自体に憤慨しているものでもない、ということも理解いただきたい。私は、このシリーズのファンとは言えないかもしれないが、原作の文庫16冊+1冊をとりあえずは読んでいる読者の一人だ。でも、読者として、ではなく、CDファンとして、これは、「タクミくんシリーズ」のレビューを書き終わった際には、ぜひ書いておきたいと、常々思っていた、心の痞えだ。このCDシリーズファンの方にはごめんなさい、でもね、あえて言わせていただくことにする。

■「美貌のディテイル」のレビューでも少し触れているのだが、同じシリーズ中で、ここまでキャストをコロコロ変えている作品もないのではあるまいか。それも、まったく別キャストにスイッチしているならともかく、シリーズのキャスト内での、配置換え的入れ替えであり。タクミやギイはもちろんのこと、吉沢然り、片倉なんて、高木渉、松野太紀、神谷浩史、岩田光央、吉野裕行、と、いったい、誰の声をイメージしたらいいんだ?状態。私は、あくまでCDファンとして、こういった作り方を、非常に不愉快に思う。こういうのね、正直、バカにされてる、って感じです。

■原作を読み、イメージを描く。たとえ思い入れのあるキャラにぴったりとは言えない声であったとしても、その中で、それなりにイメージを重ねつつ聴く。無意識にそういう努力をしながら聴く。最初からすべてを受け入れられる作品なんていうは極稀だ。これは原作先読み、未読にかかわらず、多少の違和感というものはあるのではないだろうか。けれど、重ねる。いや、だからこそ重ねる、と言うべきか。それは、自分の思い描いたイメージに、キャストを重ねるのではなく、むしろキャストにイメージを近付ける作業だ。しかし、そんな小さな努力があって初めて、作品はリスナーの心に残る。製作する側の努力と、聴く側の努力があって初めて、「いい作品」になるのだと思う。そういった意味で、ここまでリスナーをバカにしたシリーズはない。リスナーの耳をなめるな!と言いたい。長い長いシリーズ、リリースされている作品が多ければ多いほど、多少の一貫性は必要だと思う。たとえば、「フジミ」シリーズ。ファンならばわかる人もいると思うけれど、初めから増谷氏が桐ノ院だったわけではないと思う、少なくとも私はそうだった。時間をかけてリンクしていったのではないだろうか。そして、今ではもう、ほかのキャストなど考えられない。(いや、ちょっとだけ考えたりもするけれど)様々な諸事情はあるとは思うけれど、キャスティング、下手すぎだと思います、角○さん。

■ただ、今年の「10th Anniversary Complete Edition」で、ようやく落ち着いた、と言ったところなのだろうか。もし、以降、CD化の予定があるのならば、このままでいって欲しいなあ、と、願わずにはいられない。っていうか、「Pure」のCD化して欲しいなあ。(やはり本音はそれか)

■ともかく、書き辛くて書き辛くて書き辛くて、評価すらずっと反故を繰り返していたシリーズのレビューが、ひとつが終わった・・・ふぅ。

ちなみに、ごくちなみに。初めて原作を読んだ段階での、私がかつて描いた各キャラクターのイメージを、ほんの少し語らせていただくと。
あえてタクミとギイは省くけれど、三洲は遊佐浩二、章三石田彰、泉は保志総一朗で、真行寺は上田祐司でした。苦情は受け付けません。(笑)


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