現在午前0時00分。 日が替わった。 「1週間前まで親父のお通夜」が終わってしまった。 1週間前は親父のお葬式だ。
今日は雛祭りだ。 男の俺には全く縁もゆかりもない行事だけど。 今日は内科の病院、精神科の病院、歯医者に行く日なので忘れないようにしよう。 今日はジャンプの発売日だけど、未だに先週のジャンプを読み終えてないんだよな・・・ いつも親父の病院に向かう途中の電車の中か、親父の病室で暇つぶしに読んでいたから。 もう、暇つぶしをするような時間が俺の生活の中に無いから、なかなかジャンプを読む機会が無い・・・
現在午前0時41分。 今日はそろそろ寝ようと思う。 精神科の病院で、親父が死んでしまった事を話そうと思う。
現在午前2時33分。 1週間前の今の時間、親父の身体はまだ焼かれていなかったんだ。 1週間前の今の時間、親父の身体はまだ焼かれていなかったんだ。
薬を飲んだけど眠れない・・・
今日は午後12時半頃に目が醒めた。 スーパーマリオの世界に入る夢を見た。 そこで悪友みたいなのと一緒にゲーム、クッパの居るダンジョンにチャレンジしていた。 その悪友が親父っぽかった。
現在午後12時39分。 1週間前の今頃は、親父を火葬場に連れて行った後くらいだろうな。
現在午後13時39分。 今日で、今配信されている「ヴァンパイア・ダイアリーズ」を全て観終えた。 昨日で、今配信されている「オリジナルズ」も全て観終えたし。 どちらも、親父が生きていた頃から観続けていたシリーズだ。
エタカブログで知り合った人が、親父が死んだ事についてコメントを残してくれていた。 「リュカさん。
この度は誠にご愁傷さまでした。 本当に残念でなりません。 心よりお悔やみ申し上げます。」と。 俺は「ありがとうございます・・・m(_ _)m」と返答。
現在午後14時52分。 先週のジャンプを最後まで読み終えた。
カーペンターズの曲がずっと脳内再生され続けている。 親父のお通夜、お葬式で流れてたってので、葬儀場から帰ってきてからも聴きまくってたもんな。 ビートルズの「Yesterday」や「Let It Be」も流れてたけど、こっちはあんまり聴いてないので、脳内再生されていない。
現在午後15時05分。 親父のお骨を取りに火葬場に向けてバスで葬儀場を出発した時から、今でちょうど1週間だ。
今の髭剃り、髭が全然剃れない・・・ 壊れたみたいで。 やっぱり、今度実家に行った時に親父のシェーバーを貰って帰ろう。
現在午後15時14分。 そろそろクリーニング屋に喪服を取りに行ってこようと思う。 月曜日に仕上がる、と言っていたし。
現在午後15時35分。 クリーニング屋に行ってきた。 仕上がり予定時刻は3月3日午後16時だったけど、もう仕上がっていたので、そのまま喪服を持って帰ってきた。
現在午後17時20分。 内科の医者に行ってきた。 注射をされて採血をした。 「この前父親が死んでしまって、お通夜と葬式で炭水化物を食べました。また、母親が一人になってしまったので、たまに実家に帰るんですが、その時も炭水化物を食べています」と報告。 先生は「お父さんいくつやったん?」と言って、俺は「63歳でした。62歳で入院して、入院中に63歳になりました」と。 先生は「まだお若いのにねぇ」と。 俺は「そうですね」と。 採血の結果が木曜日に出るので、木曜日以降にまた来てほしい、との事。 その後精神科の病院に行った。 父親が死んだ事を報告。 先生は「あらそう。それは大変やったね」と。 俺は「あれだけ父親を憎んでたのに、自分が一番号泣したと思います」と。 続けて「生きてて、何か虚しく感じる事が多くなってきました」と。 先生は「何とか薬を続けて、時間を稼いでいかんとねぇ」と。 時間を稼ぐ、の意味がよく分からなかったけど。 俺は「遺産として残ったのは実家の家だけなんです。もし母親が実家を売るなら、自分にも遺産が入って来るし、生活保護は打ち切りになると思います。まだ、母親が家を売るかどうか分からないので、何とも言えないんですが」と。 そんな感じの事を話した。 薬を処方してもらったので、薬局に行った。 薬局でいつもの薬剤師のおばちゃんが「母上さんに、お薬の事ちゃんと報告出来た?」と言うので「『寝る前の薬やから大丈夫やで、って言われた』って言ったんですが、母親は首をかしげてました」と。 おばちゃんが「でも、薬が無いと全然違ってきたりしますか?」と言うので「この前父親が死んで、葬儀場にお泊りになったんですよ。でも、まさか泊まりになるとは思わなくて、薬持って行ってなかったんです。そしたら午前3時4時くらいまで全然眠れませんでした」と。 すると、「お父さん亡くなりはったん?大変やねぇ・・・」と。 俺は「自分が一番号泣してたと思います。急な事だったし、自分がお見舞い行った後、それから地元に帰ってみると携帯に着信が6件も入ってて『お父さんが危篤やねん』って。それですぐに大阪の病院に戻ったんですが、父は心臓マッサージをされていて、それで弟も到着して『いつまでマッサージを続けるか』って話になって。母親が『しょうがない事やねん。悲しいけどな』って言ってきて、それまでお見舞い通いしてた日々がフラッシュバックしてきて涙が止まらなくなりました。先生が父を看取るって事になって、父が死ぬ前も『親父、親父』ってしゃくりあげて泣きました」と。 おばちゃんは「辛かったねぇ・・・。お母さんは大丈夫なん?男なんやから、ここであなたが頑張らないと」と。 俺は「実家にはちょくちょく帰ってるんです。明日もまた神戸行く予定があるので、行こうと思います」と。 おばちゃんは「お父さんもまだお若かったんでしょう?」と。 俺は「63歳でしたね」と。 するとおばちゃんは「若いわぁ」と。 続けて「ちゃんとお母さんを支えてあげて」と。 俺は「はい、また明日も実家に行こうと思います。ありがとうございます」と挨拶をして、処方してもらった薬を持って薬局を出た。 そんな感じ。 内科の先生、薬局のおばちゃんは色々言ってくれたけど、俺のかかりつけの精神科の先生がかなりドライで、何か皮肉だったな・・・ あの先生こそ、一番心配してくれてもよさそうな物なのにな。
薬局のおばちゃんは「お見舞いには行けてたん?」と言い、俺は「週に4.5回行ってました」と。 おばちゃんは「行けてただけでもよかったやん。これがもし、自分も具合悪くして行けてなかったら・・・」と言ってくれた。
クローラー、botのせいで、今週のこの日記のアクセス数が1125だ。 ちょうど俺の誕生日の数字だな。
現在午後18時30分。 歯医者に行ってきた。 帰りにスーパーでタバコを6カートン買ってきた。
俺がこの家に引っ越してきた時に母親が持ってきてくれて、トンっと部屋の隅に置いた懐中電灯は、既に埃まみれになっている。 電気を付けようとしたけど、点灯しない。 この懐中電灯も、阪神大震災の時に使ったし、それ以前から我が家にあった物だ。
今日で「エターナルカオスNEO」配信終了からちょうど1年か。
現在午後19時16分。 シャワーを浴びた。
この前実家に行った時、母親に「おかんも未亡人になってしまったし・・・」と言うと、母親は「未亡人、ってw寡婦やで寡婦」と言ってきて、Mさんもめっちゃ笑ってた。 でも、ググってみたら未亡人も寡婦も同じ意味らしいじゃないか。 どうして笑うんだ。
こないだ、母親は「やっと□×(親父の会社名)から手を引ける。嬉しい」と言っていた。 あと、弟が母親に「お母さん、一人になるけど大丈夫?」と聞き、母親は「私?全然大丈夫やけど」と言っていた。 あと、自分のこの先について「私、もうそんなに長くは生きたくないわ。□□さん(親父の名前)も死んでしまったし・・・」と言ってた。 Mさんも「私も、そこそこの年齢で逝けたらいいかなって思う」と。 俺は母親に「俺は長生きしてほしいけどなぁ・・・」と。 弟は母親に「お母さん、それも孫出来たらまた変わってくるって!」と言っていた。
現在午後19時55分。 母親に電話した。 今日も弟は実家に来る事になっているとか。 俺は明日神戸に散髪に行くので、その帰りに寄らせてもらっていいか?という事を話した。 何故だかそこから話題がそれて、母親が「あんたも、そんな若くてこんなに歯が真っちゃっ茶な人おらへんで?何で歯磨きせえへんねん。あまりに見た目が悪すぎる」とか「部屋もちゃんと綺麗にせな。大人やろ?」と色々と説教された。 それで、俺は「古いスキャナを処分したいねんけど、大型ゴミの業者に電話かけてみようと思う」と言った。 母親は「それはええやん。でも、業者にやってもらったらお金かかるから、市に電話し。市役所に電話して『大型ゴミ捨てたいんですけど』って言ったら、時間はかかるかもしれへんけど、市がやってくれると思うわ」と教えてくれた。 なので、明日市役所に電話をかける事になった。
あの子に、昨日スキャンした親父と一緒に写った画像を4枚送った。 うち2枚は、昨日この日記にも貼った一緒に滑り台を滑っている画像と、親父の会社に居る画像だ。
プログラムの更新とかで再起動させられた。
現在午後22時02分。 今日も「英会話・ぜったい・音読」の練習をした。 前回1週目に1分間で読み上げられた単語数が130語だったのに対し、2週目の今回は137語だった。 大して成長してないな・・・
生活保護の俺でも優しく受け入れてくれた通信大学生で社会人やってる生主の放送に行ってきた。 「リュカさん、お久しぶりです」と言ってくれたので「親父が4んでしばらく生放送離れてた」と言うと「今が一番大変な時期だから頑張ってください」と言ってくれた。 親父ってまじで死んでしまったんだな。 なんか、1週間も経つのに全然実感が沸いてこない。 母親は相変わらず厳しいし。 父親とはそんなに頻繁に会う事も無く、お盆と年末年始に会う程度だったし。 俺の中の現実が、何も変わっていないみたいで。
遺産はどうなるんだろう。 多分、母親は実家の家を手放さないだろうし、俺には入ってこないと思う。 でも、母親もパートだけで食いつないでいけるのかな。 家賃とかはタダだろうけど、食費とか光熱費とか、これからも払っていかないといけない訳で。
現在午後23時16分。 今日で、親父のお通夜、お葬式の時に祭壇に飾られていたフルーツの詰め合わせを全て食べ終えた。 今さっき食べたオレンジで最後だった。 美味しかったと思う。 包丁を使うのが嫌だったから、最初フルーツを渡された時に「いや、俺はええわ」と断ったのだが、母親が「持って帰り」と強く言うので持って帰ったけど、持って帰ってきて良かったと思う。
葬儀会場で親父の遺体を前にしての弟との会話の続き。 「もう二度と親父に触れへんってなるから、親父の手とか握手しまくったわ」と俺が言い、弟は「お兄ちゃん、あんだけ嫌がってたのになw」と。 俺は「ほんま、親父に対して『触るのも嫌』『近づくのも嫌』『喋るのも嫌』って感じで嫌悪感の塊やった」と言い、弟は「ほんま、嫌悪感の塊やったよなw」と。 俺は「でも、子供の頃俺、会社に出かけて行く親父に『握手とチュー』ってしとった」と言い、弟が「そういえば、自分もしてたしてた」と。 俺は「××(弟の名前)もしとったっけ?」と言い、弟は「しとったしとったw」と。 俺は「映画の影響なんかな。アメリカの子供って、よく父親にキスしたりするやん。俺、子供の頃よく親父の肩叩きして小遣い貰って、その時親父が観てた『金曜ロードショー』とかでいっつも映画一緒に観てたわ。それがめっちゃ面白くて、俺が今でも映画ヲタクなのは間違いなく親父の影響やと思うわ」と。 弟は「そうやったんや」と。 俺は「子供の頃『握手とチュー』ってしてたし、親父の死体にもチューしたろうかと思ったけど、恥ずかしくて辞めておいたわw」と。 弟は「そうなんやw」と。 俺は「でも、最後の方は親父と和解出来たと思ってる。俺の中じゃ親父を許したし。親父が俺の事許してくれてるかどうかは分からへんけど・・・」と言い、弟が「それは、何かきっかけがあって、とか?」と聞いてきたので、俺は掲示板での豚嘘との心の決着が付けられた事には触れず、「いや、3ヶ月も毎日お見舞い通いしてたら、そりゃ愛着も湧くって。もし親父が1ヶ月しか生きてへんかったら、多分俺めっちゃ無表情で親父の事見送ってたと思う」と言い、弟は「確かに、そんな感じやったもんな・・・」と。 俺は「3ヶ月生きてくれたから最後看取る時に号泣出来た。1ヶ月じゃ無理やったわ」と。 続けて俺は弟に「子供の頃、あんなにいじめてほんまごめんな。悪かったわ」と言い、弟は「ええよええよ、そんなん気にしてへんし。でも、何が原因であんなに憎んでたん?」と。 俺は「多分、嫉妬やと思う。××ばっかり可愛がられてたし。俺なんて子供の頃、母親が怖かったからめっちゃパパっ子やったんやで」と言い、弟が「パパ、何?」と言うので「パパっ子や。パパ大好きな子」と説明し、弟は「ああ、パパっ子か」と。 俺は「おかん殴ってきたり蹴ってきたりめちゃくちゃやったし」と言い、弟は「そうなん!?」と。 俺は「そうやで。ビニール袋一枚散らかってるだけで、おかんに『手をついて謝れ!』って土下座させられたりした」と。 弟は「そうやったんや」と。 俺は「Nって奴の親が離婚した時、おかんが俺にその事話してきてん。それで俺がKって奴にその事話したら、Kのおばちゃんが俺のおかんに『N君のとこ離婚するってほんま?』って聞いてきたらしい。それで、その後おかんが『私がどれだけ恥ずかしい思いをしたか!』って思いっきり俺の事蹴ってきた。あれはほんまに痛かった・・・」と。 弟は「そうやったんや・・・」と。 俺は「それに、××とか親父居る時はそんな素振り見せへんかったかもしれへんけど、俺とおかん二人だけの時、俺がテーブルに付いてておかんがキッチンに居て、『糞ガキ、ボケ、死ね、出て行け・・・』とかぶつぶつ言い続けてるのずっと聞いてきたし」と。 弟は「ほんまか・・・」と。 俺は「でも、大人になって一人暮らししてから、おかんにその事話ししたら、最初おかん『○○(俺の名前)はまたそんな作り話して』って反応やった。でも、俺が蹴られた事話したら『蹴ったんは覚えてる・・・』って。そっから色々思い出してきたみたいで、『そんな事があったんなら、○○ほんま悪かったなぁ・・・』って深々頭下げられて、それからおかんの事大好きになった。ほんま、今じゃ『マザコンか!?』ってくらいおかんの事は好き」と。 弟は「お兄ちゃん、ほんま正直やなぁw」と。 俺は内心「え?」となった。 自分が働きたくない本当の理由も、結婚しない、彼女も作らない本当の理由も隠し続けているこの俺が正直なんだと。 まあ、いい。 次に俺は「おかん、自分のお母さん、俺らから見たらほんまのおばあちゃんの事も殆ど覚えてないらしい。おばあちゃん、おかんが21歳の頃に亡くなったんやで?覚えてないとか普通ありえへんやん」と。 弟は「そうやなぁ」と。 俺は「だから、俺、おかんって実は二重人格やったんちゃうかなって思う。それで、悪いおかんはもうどっか行ってもて、良いおかんだけが残ったんちゃうかな、って。おかん、俺が一人暮らししてから色々俺に良くしてくれるし、ごはん作ってくれたりするし」と。 弟は「お兄ちゃんの中では、そういう風になってるんやな?」みたいな事を言ったと思う。 俺は「城崎のおばちゃんは、『お母さん、育児ノイローゼになってたんちゃうかな?』って言ってたけど」と。 弟は「城崎のおばちゃんには話したんやw」と言い、俺は「俺、あのおばちゃんになら何でも話してしまう。ほんま、あのおばちゃんが親戚の中で一番好きやわ」と。 弟は「おばちゃんにそれ言ってあげたら?w」と言い、俺は「いや、もう言ったし」と。 弟は「ええ!?」と。 俺は「おばちゃんは『○○君、それは育て方としてはえげつないわ。普通じゃないで』って俺に言ってきた。多分、俺が将来結婚するかもしれへんやん?その時、子供持った時に俺が同じような感じで子供育ててしまわへんように釘刺したんやと思う」と。 弟は「そうなんかなぁ・・・」みたいに反応していた。 俺は「そんな感じで俺が××の事殴って、それおかんにばれて俺がおかんにしばかれて、また俺が××の事殴って、またおかんにばれてしばかれて、の繰り返しやったなぁ」と。 弟は「そういう悪循環になってしまってたんやな・・・」と。 俺は「だから、俺めっちゃパパっ子やってん。それなのに親父、仕事一筋やったから俺が懐いて行っても『邪魔や』みたいな感じになって。それを思い出して『あんなに懐いてたのに邪険にしやがって』ってので、余計親父の事憎んでたとこもあると思う」と。 弟は「仕事一筋、やったんかなぁ?」と。 俺は「親父、俺が中学の頃万引きばれて顧問にビンタされて、その顧問がうちに謝りに来た時も『自分もこの子の事はよう殴るんですよぉw』って誇ってた。それがまたまた許せへんかったりしたと思う」と。 続けて俺は「××って親父に殴られた事ないやんな?親父自身も『確かに俺は××を贔屓してるとこがあると思う』って言ってた。俺が子供の頃」と言い、続けて「俺も『兄弟差別されてきた!』とまで思ってきたからな。兄弟差別したら、差別された方は(俺みたいに)こんな変な奴になるかもしれへんねんで?」と言い、弟は「それはまぁ、一つの教訓が得られたって事で。お父さんも父親である前に一人の人間やもんな。どうしても、どっちかに偏ってしまうと思う」と言い、俺は「兄弟を平等に愛していくってのは難しい事なんかなぁ・・・」と。 この続きは、また後日書いていく。
現在午後23時58分。 「1週間前まで親父のお葬式」もあと2分で終わってしまう。
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