リュカの日記

2014年02月22日(土) 父が亡くなった日・・・

現在午前0時00分。
日が替わった。
今日は特に病院で何かあるとかじゃないので、早めに眠る必要もないだろうけど。
ちょっとしたら寝ようかな。

現在午前0時14分。
今日はそろそろ寝ようと思う。
起きたら風呂に入るのを忘れないようにしよう。

今日は午前10時前に目が醒めた。

シャワーを浴びた。
ジャージもそろそろ洗濯しないとな。
臭くなってきている・・・

とりあえず、さっきまで着てた服の洗濯が終わったら病院に向かおうと思う。
転院するから、もうあの病院に行けるのも数えるくらいしか無くなってしまうだろうし。

現在午後14時44分。
病院に到着。

現在2014年2月23日の午前3時06分。
今から日記を書いていく。

昨日、つまりこの日付、2014年2月22日。
病院に行った。
そしたら親父の弟で医者をしている叔父が来ていた。
親父が小説を読んでいたので「□□ちゃん(親父の名前)、もう物が二重に見えてるのも治ってきたんちゃうかな?」みたいに言っていた。
しばらくして叔父が帰り、俺はごはんを買いにスーパーに行った。
帰ってみると、病室に親父も母親も居なかった。
メモが残されていて「喫茶に居ます」との事だったので、俺も病院内の喫茶に向かった。
喫茶に行くと、親父と母親が居たのだが、親父は今回は車椅子ではなく、歩行器で喫茶まで来たそうだ。
そのせいか、かなりしんどそうになっていて。
親父が「もうええわ。帰る」みたいに言ったので、また歩行器で病室まで戻る。
しかし、親父は息が上がってしまってゼェハァ言ってる。
病室に着くまでに、親父が突然「トイレに行きたい・・・」と言いだしたのだが、エレベーターの中で親父の腹がギュルルと鳴って「出た・・・」と言ってた。
親父の病室がある階に到着。
親父はかなりしんどいらしく、ゼェハァゼェハァ。
看護師さんを呼ぶと、車椅子に座らせてくれたので、そのまま親父の病室まで行った。
病室で車椅子に乗った状態で、親父はしばらく休んでた。
しばらくして、親父は「息も整ってきた」と言ったので、看護師さんの介助でベッドに移らせてもらった。
しばらく親父と母親と俺の3人で病室で過ごした。
午後18時になり、親父のごはんが来た。
俺が「美味しそうやな」と言うと、母親が「え、これが美味しそうなん?」と驚いていた。
母親が「6時になったから、○○(俺の名前)、もう帰ってええで」と言ってきたので、俺は帰りの電車に乗って地元の駅に帰ってきた。
地元の駅に着いて、改札を抜ける前に携帯をチェックしたら、6件も着信が来ていた。
うち、留守電が3件。
留守電を聴いてみると、母親が「○○、早く病院に戻ってきて。お父さん突然苦しみ出して、今大変やねん」というのが2件、同じような内容で病院側から「□□さんの息子さんですか?急にお父さんが体調を崩されたので、すぐに戻って来てください」と。
留守電を聴いている途中で、病院から俺の携帯に電話が着た。
出てみると「□□さんが大変なんで、すぐに戻ってきてください。今お母さんに替わります」と言って、母親が出てきて「今すぐ戻って」と。
なので、俺は地元駅の改札を抜けずにそのまま大阪まで引き返す。
さっきの、地元駅で改札を抜けなった穴の空いた切符で大阪駅を出ようとしたら、ピロリーン!みたいに鳴ってはじかれた。
駅員の人に「今さっき地元に帰ろうとしてて、途中で電話が着て親父の命が危ないってので引き返したんですが、改札口ではじかれました」と説明。
しどろもどろで意味不明な説明になってしまったが、駅員の人は理解してくれて、俺を通してくれた。
「この切符、また使えるようにしておきます」と言って、説明書きの紙みたいな物を付けてくれた。
大阪から地下鉄まで俺は猛ダッシュで走りまくった。
病院に到着。
親父の病室に入ってみると、看護師さんが6.7人入ってて、先生が心臓マッサージを行っていた。親父の身体がタプンタプンと物凄い勢いで揺れていて、凄い迫力だった・・・
まじ、トラウマになるくらい・・・
そこに廊下から女の看護師さんがやってきて「息子さんですよね?今HCUに案内します」みたいに言って、以前親父のレントゲンとかを見せられた詰所みたいな部屋に通された。
そこには親父の兄貴で医者をやっている伯父、この前来てくれた従兄のN、Nの父などが来ていた。
母親が俺に事情を説明。
「あんた帰って、ごはん食べてる途中でお父さん突然息が出来なくなって・・・。先生が酸素吸入器をやっても、それを取り払おうとしてて、先生は『これが無いと呼吸出来ません!』みたいに言ってた」みたいな事を言う。
血液検査の結果も良くなっていたし、レントゲンの結果も良くなってきていたし、何が原因でこうなっているのか分からないのだと言う。
途中で親父の弟でさっきも言った医者をやっている叔父もやってきた。
俺が母親に「××(俺の弟の名前)には連絡したん?」と聞き、母親は「今向かってるって言ってたわ・・・」と。
親父の担当の○×先生が来て「今心臓マッサージやってるんですけど、いつまでこれを続けるかって話になります。奥さんの願いで『息子たちが到着するまでは』って事で続けさせてもらってるんですが・・・」と。
俺は「治る可能性があるなら、続けてほしいです」と。
先生は「でも、これを続ける事で□□さんを傷つけてしまう事にもなってしまいます・・・」と。
俺は「傷つくも何も、死んでしまったらどうにもならへんし、続けてほしいです」と。
先生は「心電図今つけてるんですが、これが平らになってしまったら、もう助かる見込みはありません。今は人の手で無理やり心臓を動かしてるだけの状態で、脳が機能してません」みたいに言う。
俺は「心電図は平らになったんですか?」と言い、先生は「そうですね・・・」と。
俺は「ドラマとかだと、平らになっても復活したりするし・・・」と言い、母親は「ドラマやからな・・・」と。
続けて、母親が「仕方ない事やねん。悲しいけどな・・・」と言ってきて、俺の脳裏に不意に今まで親父をお見舞いに行ってきた日々がフラッシュバックしてきて、涙が止まらなくなってしまった・・・
ぬぐってもぬぐっても涙がとめどなく溢れてしまう。
弟が到着。
俺の心臓はバクンと跳ねる。
こんな時まで対人恐怖症が出てしまうのか・・・
弟にも、先生は俺にしたのと同じような説明をした。
それで「息子さんが到着するまでは続けるって事だったんですが」と言い、母親と弟で話をしてて「しょうがないよな・・・」みたいな空気になって、母親が「○○、あんたもいいな?」と念を押してきて、俺は「分かった・・・」みたいに。
先生が「では、今から看取らせていただきます」と言い、病室に向かう。
俺が一番前を歩いてた。
親父は心臓マッサージをされてて、相変わらずタプンタプンと揺れている。
先生が看護師さんに、処置を辞めるよう指示を出す。
親父の身体はそれ以前から、既に冷たくなっていた・・・
俺は「親父・・・、親父・・・」と言いながら、親父の頬に手を触れながら、ついにはしゃくりあげてしまってひっくひっく「あああああ」みたいに泣き崩れて号泣してしまった。
せっかく親父とも仲良くなれたのに、メガビで豚嘘との心の決着も付けられて、せっかく親父を憎む心が消えて、和解出来そうになっていたのに・・・
なのに、こんな突然死んでしまう物なのか・・・
看護師さんたちが処置を辞めて、先生が親父の目を開いてライトを当てる。
先生は「これ、ライト当てて反応があったら生きてるって事なんですが、瞳孔が完全に開いてしまっていますよね。無反応です。8時26分、お亡くなりです・・・」と。
俺は親父に手を合わせて、心の中で「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と2回唱え、またまた涙が止まらなくなってしまった・・・
しばらくして、弟の奥さんも到着。
喪服みたいな真っ黒なレディースーツみたいな物を着ていた。
真珠のネックレスも付いていた。
俺の心臓はまたまたバクンバクンと跳ね上がる・・・
それでも、俺は泣きじゃくっていた。
母親も泣いてたし、弟も泣いてた。
従兄のNも泣いていた。
でも、俺が一番大泣きしていたと思う。
しばらくして、みんなが部屋を出て行った。
部屋には親父の死体と俺と母親だけになった。
涙も止んで、俺は母親に「こんな時でも対人恐怖症って出るんやな・・・。××にも△△さん(弟の奥さん)にも緊張するわ・・・」と言い、母親は「大丈夫や」と言ってきた。
従兄のNも病院関係の仕事をしてるし、叔父も伯父も医者をやっているので、そのつてで親父の遺体を運ぶ車の手配やら、親父を弔う葬儀場の手配やらをやっていた。
テキパキテキパキと、みんなよくこんな冷静で居られるよな、と思った。
母親も部屋を出て行って、病室には親父と俺の2人きりになった。
俺は子供の頃、親父に対して「握手とチュー」と言って、仕事に出かけていく親父のほっぺたに毎朝のようにキスをしていた。
お別れに、親父にキスをしようかな、と思ったけど、思いとどまって辞めた。
代わりに、親父に対して「親父、ごめんな・・・。ごめんな・・・」と謝って、またまた涙が止まらなくなってしまった。
弟夫婦と母親が部屋に戻ってきた。
俺は「タバコ吸ってくるわ」と言って病室を出る。
面会時間を過ぎていたので、守衛さんに「=号室の□□の息子です。タバコを吸いたいので、開けてください」と言って、玄関の自動ドアを開けてもらった。
タバコを吸った。
コンビニでコーヒーを買った。
もう一度タバコを吸った。
コーヒーを持って病室に戻った。
弟はそこかしこに電話をしているみたいで、病室を離れてた。
俺が戻ってくると、病室には母親と△△さんだけが居て、「(親父)どうやら鼻血が出てしまって、止まらないみたいです」と言ってきて、俺は「そうですか」と返答。
親父の左の鼻の穴にはティッシュが詰められていて、そのティッシュが赤く染まってた。
俺の心臓はバクバク言ってる。
対人恐怖症による物なのか、親父の死に対する物なのか。
「こんな状況だし、多少取り乱しても大丈夫」と思っていたせいか、そこまで緊張は高まらなかった。
弟も戻ってくる。
相変わらず俺の心臓はバクバクバクバク。
母親が「(親父)すぐにも起きそうな感じするけどね」と。
俺は「さっきまで親父と普通に話してたもんな」と。
母親は「悪かったな○○、あんた帰らせへんかったらよかった。あの後すぐやったし」と。
俺は「それはしゃあないやん」と。
続けて「でも、最後に親父と話せて良かったわ」と。
親父との最後の会話は、親父が俺に「俺の読みかけの本、そっち(母親が寝る用の簡易ベッド)にないか?」と言い、俺が「あった、これやで」と手渡したのが最後だったと思う・・・
それから、俺は6時になったと言うので母親に「あんたも帰り」と言われ、「帰るわ」と親父と母親、主に母親に対して手を振った。
それが最後かな・・・
話は戻る。
それからしばらくして、親父に服を着せて、葬儀場へ行く準備をするというので、俺たちは病室を出た。
しばらくして看護師さんが「終わりました」と言うので、俺らは病室に戻った。
母親が「めっちゃ可愛くされてるやんw」と言い、△△さんが「ほんまや。きゃはは」みたいに笑った。
こんな風にきゃははなんて笑えてしまうのは、まだ△△さんには□□の義理の娘になったんだ、という感覚が浅いんだろうな、と思った。
弟も、こないだ結婚したばかりだし。
親父は顔の輪郭をなぞるように包帯?みたいな物がまかれてて、まるで笑顔になっているような感じになっていた。
俺は「ついさっきまで普通に喋れてたのにな・・・」と繰り返す。
しばらくして、弟も戻ってくる。
弟は「お父さん、抗癌剤治療始まる前に逝けてよかったかもな。苦しんだかもしれへんし」と。
弟が死亡診断書みたいな物を読んでいて、死因のところは「肺がん」となっていたそうだ。
結局、何が本当の原因だったのか謎のままだけど・・・
親父を葬儀場に連れて行く車の手配が終わったとかで、業者が親父の遺体を引き取りにくる。
病院を出る前、俺は「親父が大好きなこの△×病院で、大好きだった○×先生に看取られて幸せやったやろうな。○×先生、本当にありがとうございました・・・」と言い、先生は「いえいえ・・・、そんな・・・w」と苦笑い。
看護師さんたちにも「お世話になりました」と言おうとしたのだが、キョドっていたせいか「おせわになにまにた」みたいに噛んでしまった・・・
俺と母親は親父の遺体の乗せられたその車に乗って、弟とその奥さんは、自分たちの車で後を追う、という形になった。
業者のはからいで、遠回りになるけど神戸の実家のマンションの前を通ってくれる事になった。
本当なら俺らが住んでた実家まで遺体を入れてあげたかったのだが、もう夜も遅かったし、管理人さんも居ない。
遺体を入れるには、エレベーターの奥のボックスみたいなところの鍵を開けてもらって、そこに突っ込むしかないのだが、管理人さんが居ないので、それも出来ない。
なので、実家の前を通るだけという形になった。
実家の前で車を止めてもらって、後から追ってきた弟が車を出て、俺らの乗ってる業者の車の窓のところに来て「中、入らへんの?」と言い、母親が「入れへんやろ。(業者に向けて)もういいです、ありがとうございました」と言い、それから芦屋市の葬儀場に向かった。
親父の会社は大阪だけど、葬儀は芦屋で行う事になったそうだ。
そこで日をまたいで、2014年2月23日になる。
続きは2月23日の日記で書く。


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