リュカの日記

2009年07月04日(土)

今日は仕事が休みなので、昨日は久しぶりにメッセを立ち上げていた。
メッセの子と久しぶりに話して、近況を聞く。
最近、またC君が夢に出て着たのだと言う。
その時のC君の服装を見て、突然ある記憶が蘇ってきたのだと言う。
ここからは現実の話。
実はメッセの子が4.5歳の頃、よく遊んでくれたお兄ちゃんが居たのだそうだ。お兄ちゃんと言っても実兄ではなく、年上の男の子だ。
砂場で一緒に遊んでくれたり、家にやってきた事もあるのだそうだ。
しかし、その「お兄ちゃん」の姿はメッセの子以外の誰にも見えない。
「お兄ちゃん」が家に来ている時、メッセの子は母親に「ほら、今ここにお兄ちゃん来てる」と知らせた事もあるそうだ。
しかし、それを言う度にメッセの子の母親はそれを叱ったのだそうだ。
「そんなお兄ちゃんはどこにも居ない」と。
メッセの子も、そんな事が続いたせいで「お兄ちゃんの姿は自分以外の人間には見えないんだ」という認識を持つようになっていたのだそうだ。
そして、その「お兄ちゃん」はいつからかメッセの子の前から姿を消して、現れなくなってしまったらしい。
日本じゃあまり聞かないのだけれど、アメリカの映画やドラマを観ているとよく同じような場面を目にする事がある。
小さな子供が「見えない友達」と遊ぶのだ。
それは子供が空想、想像で作り出した架空の存在。
ホラー映画なんかだと「悪魔の棲む家」
ドラマなんかでも「フルハウス」でミシェルが見えない友達と遊んでいる描写が描かれていたと思う。
アメリカの方では、「子供が見えない友達を作って遊ぶ」というのは、成長過程において割りと当たり前の現象として認識されているらしいのだが、メッセの子の場合はどうだろう?
メッセの子の話に戻る。
メッセの子は、その「見えないお兄ちゃん」が現れなくなって以来、今まで10数年間その「お兄ちゃん」の存在を思い出す事が全く無かったのだそうだ。
しかし、最近になってその記憶が蘇ってきたのだと言う。
結論から言うと、その「お兄ちゃん」こそが「今現在のC君」なのだと言う。
最近になってC君がメッセの子の夢に登場、その時の服装が昔メッセの子と遊んでくれたお兄ちゃんと一緒の服装だったそうだ。
それによって、メッセの子は「4.5歳の頃によく自分と遊んでくれたお兄ちゃんが居た」という事を思い出し、そこから次々と当時の記憶が蘇ってきたのだそうだ。
しかし、そんな事が起こり得るのだろうか。
実際のところ、C君はメッセの子よりも年下だ。
C君の享年は17歳。メッセの子は今現在は既に成人。
メッセの子が4.5歳の頃、実際の当時のC君の年齢は2.3歳だという事になる。
そのC君が、4.5歳のメッセの子から見て「年上のお兄ちゃん」として存在していた。
俺とメッセの子は、この事について「C君がタイムスリップして、子供の頃のメッセの子に会いに言ったんだ」と考えた。
そこで、メッセの子に聞いてみる。
「○○(メッセの子の名前)のお母さんには確認してみた?『昔俺は見えないお兄ちゃんと遊んでたの?』と」
すると、メッセの子は「もう確認しましたよ」と。
メッセの子の母親は、当時メッセの子が「霊が視える子」または「変な子」だと認識していたのだそうだ。
そして、メッセの子が変な子だと思われない為に「外で誰かにそのお兄ちゃんの事を話しちゃいけないよ」ときつく注意していたのだそうだ。
メッセの子が「お兄ちゃん」と遊んでいた、という出来事は現実だった。
しかし、今の今までメッセの子にはそんな記憶は一切無くて。
また、メッセの子の母親だって、今の今になるまで「あんたは昔変な事を言う子だった」なんて話を聞かせてくる事が無かったのだそうだ。
今現在、メッセの子にとってその「お兄ちゃんとの思い出」はかなり強烈な印象を持つ出来事として記憶されている。
自分に良くしてくれた優しい優しいお兄ちゃん。
そんなに強くて甘い思い出として残っているというのに、メッセの子は生前のC君と出会って過ごしていく過程においても、今の今になるまで思い出す事は無かったのだそうだ。
もしもその時点で「4.5歳の頃にお兄ちゃんと遊んだ」という記憶があったのだとしたら、たとえ「Cこそがその時のお兄ちゃんなんだ!」なんて事を感じる事が無かったとしても、少なくとも「どこか懐かしい感じがするな」程度の感覚は蘇ってきても良かったはずだ。
しかし、そんな事も一切無くて。
どういう事だろう。
仮に、メッセの子がお兄ちゃんと遊んでいたのが1990年だとする。
そして、2009年のC君が1990年に旅立つとする。
そこでC君が行動を起こすとする。
そのC君が1990年に起こした行動、による「影響」が発生してくるのは2009年になってから?
1990年から2008年までは何事もなく、2009年になって初めてその影響が発生し、あたかも「最初からそうなっていたのだ」という風に過去が書き換えられてしまう、という事だろうか。
何故ならC君は2009年の存在だから。
もっと具体的に言うならば、2009年1月1日の午前0時にC君が1990年に旅立つとする。
そして、例えば1990年にタイムスリップした「3時間後」にC君がメッセの子のお腹をナイフか何かで刺すとする。
すると、メッセの子のお腹に「ナイフで刺された古傷」が浮かび上がってくるのは2009年1月1日の午前3時から、という事になるのだろうか。
あくまで「時間移動によって変化させてしまった未来」、その影響が生まれるのは「時間旅行者にとっての時間軸」に沿った時間になるのかな。
(1990年に来て3時間後、C君にとっての本当の時間は2009年1月1日の午前3時だから)
そして、メッセの子はその2009年1月1日午前3時の時点から「この傷は昔からあったんだ」と『認識』するようになるのかな。
1991年から2008年までの間は、一切「自分は90年にお腹を刺されたんだ」という事を「意識する事」すら無くて。
もちろん、タイムスリップなんて現代人の科学では不可能だし、この先可能になるのかどうかも分からない。
だから、実際にタイムスリップによって起こした影響、がどのような形で現在の時間軸の中に発現してくるのかなんて、その正確なところは誰にだって分からない。
しかし、メッセの子の話を聞く限りでは、C君はまさにそれをやったのだ。
だから、それによって現れた影響こそが「時間旅行によってもたらされた影響、の発現方法、その正確な「答え」になるのかもしれない。
極端な話を言うと、2009年1月1日午前0時、この世にAさんという一人の人間が実在するとする。
C君が1990年に旅立ち、その3時間後に向こうでAさんを殺害する。
しかし、こちらの世界(俺達が居る時代)じゃAさんは2009年1月1日午前3時までは確かに実在する人間として生きている。
そして、2009年1月1日午前3時になって、突然Aさんの存在がフッとこの世から消滅してしまう。
そして、その時点で過去が書き換わって「Aさんなんて人は今現在存在しない。あの人は1990年に殺されたじゃないか」と、現代人の記憶もそれと同時に書き換わる、と。
しかし、1991年から2008年までの間、誰も「Aさんが90年に殺された」という事を認識しない。2009年になって始めて、90年以前にAさんに関わっていた人間達が一斉に、思い出したかのように「Aさんは90年に殺されたよな」という事を考え出すのだ。
俺はこういう風に仮説を立てた。
しかし、メッセの子は「それだと矛盾が出てきます」と。
例えば、C君が1990年でメッセの子の腕をもぎ取ったとする。
メッセの子は中学時代に運動系の部活動に所属していた。
しかし、C君が1990年に起こした行動によって発生する影響が実際に発現するのは「2009年」だ。
腕が無ければ、もちろん運動系の部活動に参加する事なんて出来なかったはず。
なのに、1991年から2008年までの間「自分は腕を失っていた」という事を「認識出来ず」に過ごして行くだなんて事は不可能だ、と。
確かにそうなのかもしれない。
頭が混乱してしまう。
結局、俺もメッセの子も「何がどうなっても結局矛盾を作るんだ」と結論付けた。
俺はメッセの子に「そのお兄ちゃんが居なくなってから今になるまで、例えば小学生になった頃や中学生になった頃、『4.5歳の頃に遊んでくれたお兄ちゃんが居たなぁ』って振り返る事は無かったの?」と質問してみた。
しばらくして、「今思い出した。確かにお兄ちゃんが居なくなって、寂しくて振り返った記憶があります」と。
続けて「でも、そがいつだったのか思い出せない。もしかしたら、お兄ちゃんが居なくなってすぐの頃だったかもしれない」と。
俺が「お兄ちゃんが現れなくなって1ヵ月後くらいとか?」
メッセの子「そうかもしれない」
例えば「お兄ちゃんが居なくなった」という事を振り返ったのが、その1ヵ月後だったとする。
これは個人的な感覚でしかないのだが、たとば過去に現れたC君が消えて1ヵ月後に「振り返る」だと、まだC君がメッセの子とリアルタイムで遊んだ時間の延長線上に位置してる、という感覚だ。
しかし、1990年から2009年になるまで「思い出せなかった」という事にばかり焦点を絞っていたのだが、
逆に「何故」今になって「1990年から2009年に至るまで思い出せなかった」という事を「思い出せているのだろう」と。
そんな疑問も沸いてくる。
メッセの子の「それじゃ矛盾が現れます」との言を前提にすると、
1990年に起こされた影響が2009年まで継続するのではなく、2009年に突如として発現するというのはありえない。
しかし、もしタイムスリップによる影響が「継続型」なのだとすれば、1991年から2008年までの間、メッセの子は「遊んでくれたお兄ちゃん」の事を何度も振り返ったり思い出したり出来たはず。
「2009年になるまで思い出せなかった」なんて「認識」が「発生」する事自体矛盾になるんじゃないだろうか。
それを考えると、やはりタイムスリップによる影響は「突如発現型」であると言えるんじゃないだろうか。
でも、それだと仮に1990年に腕をもがれていたとして、「2009年になるまで、自分が腕を失った事を認識出来ない」という事になってしまうし、そんな事はまずありえない。
結局、俺らに答えを出す事は不可能だ。
多分、C君当人にだって正確な事(現代人が過去に行って起こした影響、の発生方法)は分からないんじゃないかな、と思う。
でも、正確な事は分からないながらも、C君には少なくともそれを「検証する」だけの特殊能力がある。
もしC君と科学者みたいな連中がタッグを組んだら、科学の歴史みたいなものが塗り替えられたりするんじゃないかな、とか。
最後はそんな感じの雑談に移って行った。
世の中には不思議がいっぱい。
メッセの子とのメッセを終えて、俺も眠りに就く事にした。
今日は午後12時頃に目が醒めた。
昨日まで連日の労働で疲れていたせいか、10時間くらい寝てたと思う。


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