リュカの日記

2006年12月15日(金)

現在午前0時06分。
23歳最後の日から、今日でちょうど3週間。
誕生日を実感する事ができなかったのに、誕生日前後の時間がどんどん過ぎていってしまう。それがとても寂しく感じる。納得出来ない。

今日は午後13時半頃に目が醒めた。
数日前に親父と弟に妨害され、眠りに就くのが遅れたせいで、大幅に生活のリズムが狂ってきた。早寝早起きを心がけていたのに、また昼夜逆転に戻ってしまった。
4時限目の授業にしか出席出来そうにない。
寝起きから、またE君の話が浮かんできた。
E君が酷い目に遭わされた事に対して、欲を感じてしまうのだ。
しばらくすると、久しぶりに「ありえない」という気持ちが沸いてきた。
E君みたいな男の子がそんな目に遭わされるなんてありえない。
絶対嫌だ・・・
でも、既にそういう目に遭わされているのでどうする事も出来ないのか。
過去を変える事は出来ないのか・・・・
呪いのような感覚だ。
しかし、そんな感覚に包まれ出した瞬間にYahooメールのアラームが『パチーン!!』と鳴った。その感覚が消し飛んだ。
その後は、いくらその出来事を浮かべても、あの呪いのような感覚は感じられなくなってしまった。
知っているのに実感出来ない。浮かべているのに実感出来ない。
素通りしているというか、麻痺しているというか、そんないつもの感覚になってしまった。
あまりに強いショックや痛みを知ると、人間はそれを意識から外して目を逸らすようになっているとか、そんな感じか。
いつもいつも要所要所で妨害が入る。ありえないほどに良いタイミングで。
自分が無意識的に超能力でも使って、そのタイミングで音を呼び寄せているんじゃないか、または無意識的に音が鳴るタイミングを予知能力的に察知して、更にまた無意識的に何かを考えようと、また感じようとするタイミングを、その音が鳴る時点に合わせてるのだろうか。
そんな風に思えてしまう。
現在午後14時22分。

地元で昼食を食べてから学校に向かった。
今日の授業は2時限目から4時限目まで。
結局、今日はどの授業にも参加できなかった。
3時限目の「西洋史特講」は、先週に引き続き今週も休んでしまった。
クリスマスに関する授業も、多分今日が最後だろうに。
本当に残念だ・・・
図書館に行き、「プリズン・ブレイク」という海外ドラマDVDの1巻を観た。
今日もずっとモヤモヤとした気持ちだった。
寝起きに感じそうになった呪いのような感覚を、最後まで感じ切れなかった事ももちろん辛かったし、クリスマスシーズンなのに全く感慨が麻痺している事も嫌だったし、好きな授業を受ける事が出来なかったのも嫌だったし、漠然と、自分にとって『死んでも許せない事が存在してる』という事を感じ続けて、自分が拒絶するこの世界に自分が存在している事や、それでも世界が存在し続けている事が許せなかったり納得出来ずに苦しいしで、色々なものが混ざり合って、不安や焦燥、無力感でどうしようもなくモヤモヤしていた。
俺が今日観た「プリズン・ブレイク」は刑務所の話だ。
囚人が、性欲を満たしたくて「女を刑務所に入れろ」と言っている場面があった。もしもこれが「少年を刑務所に入れろ」、または「少年院と合同にしろ」だったらどうだろう。そこからまた俺の妄想が始まった。
可愛い少年ばかりを並べて、仕切ってる奴が囚人達に向かって「好きなのを選べ!」と言い放ち。その中で一番の美少年は、囚人達の中で引っ張りだこで、新入りには回ってこない。という事は、その中で一番の美少年は汚い奴らに汚されまくりだ。
そんな妄想を浮かべてしまった。
そこから関連付けて、俺がタイプとするような、あんなにまでも異常なくらいに可愛らしい男の子に対して、現実に信じられないような欲を満たした奴が存在している、という事がたまらなかった。その舌に自分の汚い舌を絡めて、綺麗な唾液をすすった奴が存在している・・・、とか。死ぬほど綺麗な乳首にヘドロのような舌を這わせて唾液塗れにしやがったんだ・・・、とか。
そんな事、絶対にあって良い訳が無い。認めない。
汚い奴らが手を出すなんて、あまりにも不相応なのに。
なのに、それがまかり通るんだ。
綺麗で可愛い男の子が、汚い奴らに欲を満たされるなんて許されざる事が、現実に存在しているんだ・・・、とか。
「プリズン・ブレイク」の中に、何人もの少年をレイプして殺したオッサンが登場し、そこでまた気分が沈んだ。
そんな最低な奴が、一人前に自分の権利を主張している様を見るのも、とても気分が悪かった。
その反面、恥ずべき事に触発されて、タイプの男の子を殺すのってどんな感じなんだろうな、と変な興奮に捉われてしまった。その子を殺し、その死体をもてあそぶ事で、その子の存在をかなり深い所まで感じる事が出来るはずだ、とか。
白く冷たくなった死体。まだ体温がかすかに残っている。
その幼い死体の腕を握り、軽く引っ張り挙げてみる。
全体ではなく、腕単体の重みを感じる事だって出来るはずだ。
その腕の皮や肉の下に埋まっている骨を感じる事だって出来るだろう。
生きている間はあくまでも一まとまりの固体として認識するけど、死体になってしまえば切開してみるまでもなく、腕とその下の骨が分離された別々の固体であるかのように認識出来る。それは、分離してみようと思えば分離させる事が出来るのだ、という意識があるからこそ、単体であるにも関わらずそれらを別個のものとして感じる事が出来るのだろう、とか。
興味と性欲が混じったような、下衆い気持ちが沸いてきた。
DVDを2話分観てから、家に帰った。
現在午後22時05分。


 < 過去  INDEX  未来 >


リュカ

My追加