リュカの日記

2006年06月05日(月)

今日は午前5時半頃に目が醒めた。
しょうもない奴のために休日を潰された感が抜けない。
寝起きからうんざりしたような不快感が憑きまとう。

今日の授業は1時限目からだったけど、何となくブラブラしていて、俺が学校に到着したのは2時限目が終わる30分ほど前だった。
業者が学内に売りに来る弁当を買って食べた。
学内で弁当を買うのは入学してから初めてだ。
それから、空き教室でジャンプを読みながら弁当を食べた。
昼休みも終わり、3時限目になった。
3時限目は「都市社会学」
授業も頭に入らずに、淡々とノートだけを書き写した。
4時限目は、俺は授業が空く事になっている。
空き教室で「肉体泥棒の罠」の続きを読んだ。
何だかずっと落ち着かない。
あまり自覚はしていなかったけど、多分、俺はまだ意識のどこかでイライラしていたのだと思う。
昨日の糞親父のせいだろう。
5時限目になった。
5時限目は「カウンセリング論」だ。
こういう、精神や神経症に関する講義を聴かされるのは、俺にはとてもストレスだ。欲求がどうの、昇華がどうの、抑圧がどうの。
自分自身に救いがあるのか知りたくて、それらに関する書物等は数年前に沢山読んだ。「こういう風にしていけば、あるいは擬似的には〜」なんて考えながら、うんざりしていた事を思い出す。
授業では「それらに適応してくために人はいくつかの行動パターンを取るが、それでも解消出来なかった場合は神経症に〜」、みたいな事を説明していた。
俺なんか、まさに神経症の典型だけど。
自分の意識問題に関わってくる内容の講義を聴いてて、更にイライラしていって、何だかキレそうな気持ちになった。
「幼少期に〜上手く自分の欲求が〜、それによって心的外傷を」なんて事も話してた。自分の親は本当に酷くて、その上いやらしい奴だよな、とか。
どれだけ酷い親なのかを説明しても、奴らは絶対認めない。
都合の悪い指摘は全て「また人のせいか〜」等と言って取り合わない。
昨日、あの糞ジジイと言い合っていた時の事を思い出す。
俺は奴に奴がどれだけいやしく卑怯であるかを説明していた。
奴は「何を言っているのか分からない」「そんな事を言った覚えは無い」「そんな事は覚えてない」みたいなはぐらかしの返答しか返して来ない。
俺がそれでも食い下がらないと「何が卑怯なんや!言うてみい!!!」
さっき説明したじゃねーか。
もう一度最初から説明しなおす。
「お前が何を言っているのか全然分からん」とか「お父さんの何が卑怯なんや、ちょっとそれ言うてみい」
さっき言ったじゃねーかよ。
俺がまた説明。
「お前が何を言っているのか分からない」とか「何が〜なんや、言うてみい」
いい加減にしろ!!
こうやって延々同じ事を何度も何度も説明させて、俺をうんざりさせて煙に撒けると画策するのはいつもの奴の手口じゃないか。
奴は俺に「話し合いをしよう」とか、「ちゃんとお父さんと話し合え!」とかほざいて、いつも俺に言い合いを強要する。
そして、都合が悪い事があると何もかもをはぐらかす。それで通ると思ってる。通らないと許せない。完全に言い逃れが出来なくなると、大物ぶって俺を見下すようなパフォーマンスを演じ出し、「哀れな奴だ」なんて理由を立ててその場を立ち去る。
それでも、俺に対して「正々堂々話し合いに臨んでいる自分は男らしい」なんて自己満足に浸るのだ(図々しいにも程がある!)。
俺はこんなものに付き合いたくない。
なのに、俺が話し合いを拒絶すると「いいから話!!!」と怒鳴り出す。結局、それに付き合わされる。
それなのに、俺は昨日も辛抱強く、何度も何度も奴に話した。
それがとても屈辱だ!
あんなはぐらかすだけで、奴の感情が落ち着くまで続けさせ、はぐらかすだけはぐらかして「自分は正々堂々話を聞いたぞ!」なんて自己満足を与えるだけのための、いやらしい議論に臨んでしまった。
それが悔しくてならないのだ。屈辱だ。
俺は奴のどこが卑怯なのかを詳しく話す。
奴は「そんな事は無い」と言葉で否定するだけで、「何故そうではないのか」の根拠を示す事など絶対しない。何故なら俺の指摘を覆せるような根拠を一つも持たない。つまり、俺の奴に対する軽蔑は全て的を得たものであるのにも関わらず、奴は意味を持たない単語のみで否定を繰り返す。それを通そうとする。通らなければ、「何が〜言うてみい」と、延々同じ事を説明させて。
そんな腐った茶番に今回も付き合ってしまった自分自身に、悔しくて悔しくてたまらなくてキレそうになった。
結局は、俺を異常者扱いする事で自分の矮小なアイデンティティーを保とうとするような糞ばかり。
俺はキレるとかなり感情的になる。それに神経症だ。
だけれど、俺の指摘する内容そのものには、それらは一切関係ない。
なのに、俺の意見に全く関連性の無い俺の感情等を都合良く引き合いに出し、「精神異常者の言う事だから」とご都合主義に自分を保つ下衆野郎。
子供の頃から、ずっとこんなパターンが続いた。
俺が所属してきたグループの中で、俺に味方が居た事なんて一度も無い。
家族だろうが、学校だろうが、部活だろうが、遊び仲間だろうが。
確かに、二人きりである時は俺の話に耳を傾けてくる奴も何人か居たには居たが、大勢の中になると必ず手の平返して、その他の奴らと一緒になって俺の事を批判しまり罵り倒す。
全部「都合」「都合」「都合」「都合」で事実を歪めて欺瞞を押し付け周囲にそれを蔓延させる。
ふと、あの子だったら自分を理解し味方になってくれそうだったな、なんて事を考えた。
俺は、あの子がそういう目に遭わされていた、という事にとても強い不満を感じる。納得しない。
俺はタイプの男の子に対して、「その子に関わる物や事だったら、どんな事でも特別だ」なんて思っていたけど、そういう目に遭わされていたという事実によって、「その子に関わる物や事」が、全て意味を持たないものになってしまう。また、無理やりにでも、自分の中で意味を持たないものに変えてしまう。「どうでもいい事」「認めない事」に変えてしまう。
そうしなければならないような強迫がある。
それにより、結局何も叶わない。全ての可能性は潰される。
それが、何だかとても悲しいな、と。
ここまで考え、叶わないどうこうで悲しいよりも、そういう目に遭わされているという事実そのものの方が、俺にとってはずっとショックな出来事だったし、そうであるべきなのだ、という意識が蘇る。
まずは、そちらを気にするべきだ。叶わない、関われないなんて事に悲しむよりも、そっちに痛みを感じるべきだ。そうでなければ至らない。
なんて強迫意識がまた沸いて。
その後、あんな腐った糞ジジイなんて矮小な存在から、その子についての思考に移行してしまった事に、強い不快感を感じてしまった。
意識の中だけとはいえ、あんな糞豚野郎なんかと接点を持たせてしまう事自体が汚らわしい。
授業中、何もかもが厭過ぎて、叫んで怒鳴って喚き散らしたくなるほどイライライライラ募っていった。
授業は続いて、「友達でも何でも、どうしても相手に対して許せない事があり『お前のこういうところが許せへんねん!!』みたいな感じで喧嘩になる事は多いと思うけど。これって、実は自分の内面に多く含まれてるものが多いんだよ」みたいな説明をしていた。
もちろん、俺はそれを充分過ぎる程自覚している。
汚い欺瞞、誤魔化し、詭弁等。
「こういう風に言えばこういう風に誤魔化せるだろう」なんてマニュアルは、俺の中にも存在している。
だからこそ、他人の欺瞞や詭弁にすぐに気がつく。それが絶対許せない。そいつが、それを「通るものだ」と思い込んでいる事が許せない。
俺はそういう奴らを強く嫌悪している。
なので、自分自身は詭弁や欺瞞を弄さないように勤めてる。
根拠も示せず、言葉だけで「違う」と押し切って見せるような事も絶対しない。(かつては、自分の性癖や、それらを否定する社会に対する憎しみを合理化しようと、勝手な理屈を捏造しようと必死になっていた時期もあったが)
キッタネェ奴のキッタネェ理論のどこに欺瞞が隠されているのか、厭と言うほど見えてくる。それがとことん許せない。
授業の最後3分の1くらいは、あまりに不快感が強すぎて、遂にはノートを取る事さえ辞めてしまった。
授業が終わり家に帰った。
小説の続きを読んだ。
そして、「肉体泥棒の罠」を下巻の最後まで読み終えた。


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