リュカの日記

2005年12月15日(木)

メッセの子を陵辱し、俺に対して、その時の詳細を事細かに説明したメールを送りつけ、その子を陵辱した時の画像までも添えつけて、「どうだ、羨ましいだろ?ww」と言い放つ、あの吐き気を催す最低の中年野郎。
恋敵気取りなのか、何度も何度もしつこいぐらいに、そんな類のメールを俺に送りつけて来たっけな。
こんな奴が許されて良いのだろうか?
少年が暴力を受けていると耳にし、「可哀相に」と同情して見せヒューマニズムを気取りながらも、少年が陵辱される事に関してはOK、むしろ自分にも希望が持てるので『推奨』な、その他大勢のショタコン共。
少年が誰かに陵辱される事は、「自分にとっても都合が良い」といった感じで嬉しいんだろ?
ゴミ共め!!
サイト編集をしている最中、そういった様々な罵倒の言葉が、頭の中を渦巻いていた。
そいつらが俺を逆恨む理由に関しても、「自分が少年を陵辱した時、リュカの言葉が自分にも適応されて気分が悪い。機会があれば少年を陵辱したいけど、そんな自分を罵倒する奴は許さない」なんてゴミ溜め級に卑しく腐った理由からだしな。

ここ最近、胸の中のモヤモヤが意識されやすくなっている。

1回生の頃、授業で河原に行ってスケッチしていた。
3年も前の事だ。
同じ大学生活の中の出来事とはいえ、3年前といえばやっぱり昔なんだな。
自分でも、昔に感じる。

何かにつけて、阻害、阻害、阻害。

理由を意識する事もないのに、不安感、焦燥感が募っていく。

午後17時半頃に目が醒めた。
今日の授業は4時限目だけだったけど、それも出席できなかった。
今年も残り少ないのに、殆ど学校に行けていない。
学校で行われるクリスマスパーティーが12月19日。
これじゃ、普段の学校と、当日パーティーが行われる学校とのギャップを味わう事も出来ない。
大学祭以前あたりから、殆ど学校に行けていないのだし。
なんか最低だな、と感じた。

寝起きから色々と少年についても浮かんでいて、ボーっとなった。
昔は、人間がここまで最低な生き物だとは思わなかった。
年下の少年相手だろうがおかまいなしに、むしろ年下の少年だからこそ、女でも受けないほどの酷い陵辱を集中的に浴びせたり。
また、今まで見聞きしてきたような、最低な人間や現実についてを誰かに吐き出したりしても、その相手も表面上は「酷い」と言いながらも、相手の態度から「ありえる事だ」「気にするような事じゃない」的なものが感じられたり。
どれだけ最低なのかを説明しても、「そこまで酷い事じゃない」みたいな感じで受け取られる事が殆どだ。というか、99.9パーセントはそんな人間ばかりだ。
そいつらの持っているそんな不謹慎な意識が、やがて俺の中でも「標準」として固定されてしまったりするんだろうな。
だって、重く受け取ろうとする奴なんて誰一人居ないじゃないか。
見せ掛けだけ、ばつが悪くならないように「そんな事が」なんて言って見せながらも、子供を陵辱するそいつらの事を、「その人」なんて風に敬意を払って人間扱いしていたり。結局、本心では重く受け取っていない事が一目瞭然。
そんな世界に生きる価値なんて無いんじゃないか。
俺が何を言っても、何をしても、人間個人個人の意識は腐ったままだ。
当然だけど。仮に俺が世界的に強力な発言力を持ったとしても、多分それは変わらない。世界や社会なんて、自分の理想とはほど遠い。
こんなところで過ごしていく価値なんて、あるはずがない。
もう、すでに自分の中でも、そいつらの持つ意識が「標準」として固定されてきているのかもしれない。
不快感や「ありえない・・」という気持ちがこんなにまでも薄れてしまって、萌えたりもして、もしかして俺自身も、そんな最低な現実を「納得している」という事になってしまうのだろうか・・、とか思った。

汚い奴らに対する、中途半端な憎しみ感情が渦巻き続ける。
こんなにも最低な世界で、自分の生きるべき場所なんて存在しない。
そういう子を生きさせたくもない。
もはや、そういう少年以外の人間が全て最初から存在していないか、そういう少年自体が最初から存在していない、じゃないと我慢できない。

もう、タイプの少年に対して伝えられる気持ちなんて、自分の中には何ひとつ残ってはいないのだ・・


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