リュカの日記

2005年09月03日(土)

昨日メッセの子が寝ている時に金縛りに合い、物理的な物音も引っ切り無しに聞えてきて怖かった、との事だった。
話を聞いた後、少し前にその子に落としてもらった「海外版呪怨」を一緒に見た。まぁまぁ面白かった。

いつの間にか眠ってしまって、午前3時過ぎに目が覚めた。

色々耳に入ってくるのに、もう惰性みたいな感じでちゃんと考える事もできなくなってる。
しかも、俺が絶対認めたくない!としていたようなタイプの子に関する物事が溢れすぎてて・・
「あんなに綺麗な存在に対し、どういう道理でお前みたいな汚いものがずうずうしくも手を出したり出来るんだ?」と。納得できない事が溢れすぎてる。
結局、納得なんてものは自分に都合良く解釈して薄れさせるとか、そういうものでしかないと思う。
絶対認めたくないような事とか、本当に納得できないし、納得して良いものでもないというのに。本当に言葉を失くすほど酷いような出来事なのに、それらに対して何かを納得したり薄れさせたりして過ごす事になったとしても、その当時の出来事の凄惨さ?が和らいだりする訳じゃ全然ない。
それらを受ける人間の心に変化ができるだけで、本当は出来事自体の悲惨さは何も変わらない。身を裂かれるくらい酷い事に感じていたのに。
その出来事自体が持つ意味は変わらない。
誤魔化しでしかない。
どうにもならないほど最低な出来事なのに、本当の意味でそれらを拭うなんてありえない。
そういう出来事が発生した時点で、もう全て終わりだ。
気持ち的に薄れても、俺自身の解釈とは別の、それ自身が持つ絶望は変わらない。どれだけ酷い事なのか。
どうにもならない。だから全部終わりだ、と。
納得いく人生なんてのはありえない。どうにもできない。
それが起こった事は変えられない。だからもう全部絶望だ。
それ以外ない。
自分にとって、一番あって欲しくない部分で納得できないモノを抱えて生きていくのが厭で厭でたまらなかったけど、起きた以上どうにもならない。人生終わった。不満は解消されたりしない。

何であれだけ信仰心のようなものを持てたのだろう、と思う。
少年に対して肉体的な綺麗さは感じても、もうあれだけ絶対視する事なんて不可能になってる。
本当に、人間以上の絶対的存在に見えたのに、今になるとどうやってそんな風に思えていたのだろう、と分からなくなる。
自分にとっての全てに思えていたのに、今はそう感じられなくなっている。
どうやったらそんな風に全てに思い込んだりできるのだろう、と。
タイプの男の子の存在は自分にとっての全てだったから、そんな子がそういう目に合わされて、もう自分の人生も終わったんだ、と。
ショックが薄れた今になっても、そういう風に認識してる。
結局、絶対にあって欲しくない痛みの裏側にしか幸せなんて存在しないのだろうか。あってはならない痛みをスルーする事が幸せ発生の条件なのか。
「された事がある上で」とか。
それらを通り過ぎた上でしか、ワクワクするような信じられないような高揚するような幸せな気分は味わえないのか。
偽者じゃないか、と。
よく耳にする話に共通して、痴漢に襲われてる少年が居て、しばらく襲われ続けた後に、その少年を誰かが助ける。
「自分はされたけど、あなたに助けられてよかった」と。
それを恋とか言って、まるで良い話のように仕立て上げられている。
助けた奴は助けた奴で、こんな可愛い子に想われて嬉しいと幸せに浸る。
男の子は男の子で、酷い目に合わされたのに、そいつとの出会いみたいなものを優先して、そのきっかけが自分が酷い目に合わされた事なのに喜んだりして。
それが不満だ。痛々しい話に思える。
そんなものが幸せとしてまかり通っている世間が厭だ。
それを幸せとして受け取らなければならないのだろうか。絶対厭だ。
もう全部グダグダだ。
意識されてる事を言葉にまとめる事自体しんどく思える。
あれだけ思い入れていたのに、手のひら返したようにダルくなったり薄れたりしている自分が厭だ。

ゲイサイトみたいなところで耳にしてしまった話が、さっきからずっと頭から離れない・・
自分から興味をかきたてられて、萌えたいという意識もあって見に行ってしまった事もあるのだけれど、この離れなさが辛い感覚なのかな、とも思える。
さっき上に書いた類のやりきれない話を耳にした。
頭の中でグルグルと渦巻いていて離れない・・
例によって「こんな子なのに・・」と、衝撃的だっただけに。
コーヒーも今で4杯目くらいだけど、落ち着くどころかずっと憑き纏い続けている・・
現在午前8時04分。
サイトを見たのは、多分午前4時頃だ。
圧迫されるというより、ずっと纏わりついて離れない。
厭だ厭だという意識、認めたくないという意識でひしめいている。
萌え感覚もあるから余計離れなくなったのか。こんなオッサンにあんな子がと、とにかく色んな意味で衝撃だ。

話に出てきたショタコンジジイを殺してやりたい。

もしもあの子が悪戯される事なく、それでも変わらず同じように告白してくれていたとして。
俺が今日耳にした話について相談したとする。
話に出てくる少年は、自分が酷い目に合わされていたにも関わらず、悲願(本来の意味とは違うかもしれないが)として喜んでいる。
希望の始まりというか、良い話にされている。
それについて、俺があの子に「酷い話だ」「認めたくない」「あんまりだ」と相談する。
自分自身は酷い目に合わされた事が無いながらも、おそらく話に出てくる少年と同じ感覚を持っているであろうあの子は、どんな風に受け取りどのように答えるのだろうと気になった。
自分自身がされてないなら、それに対して受け取り方も違うと思う。
(現にされた上でショタコンの俺に告白してきたその子は、その話を良しとしそうな雰囲気だから。されてなかった場合どうなんだろうと)
悲しくやりきれない話と受け取り、その痛みを感じるのだろうか。
それとも、希望に満ちた喜びの話として受け取るのか。


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