今日は午前8時過ぎに目が覚めた。 モヤモヤしてダルかった。 俺はタイプの子がそんな事になったなんて認めたくなくて、やった奴に対して「もし、その子が泣きながら拒絶してもそいつはやったんだろうな・・」と思うと許せなかった。 本当にそんな事をされたのか、、と信じられない。 田舎に居る間は、ずっとそんな事が頭の中でグルグルしていた。 俺は少年に対して喜びを持つ事を禁じている。 喜んだり希望を持ったりする事で、俺自身が、タイプの子を悪戯して辱めた下衆共の事を認めてしまうような気になるのかな・・ その癖(喜ばないのに)、俺はそういう子に対して性的な欲求は持ち続けている。 性質悪い。 父方の田舎には午後13時過ぎ頃まで居た。 帰る時、母親から昨日坊さんが来た時の事を聞かされた。 ちょうど、俺はその時タバコを買いに行っていたので席を外していたのだが。 なんでも、坊さんが経をあげている時、仏壇の蝋燭がブワ〜っと凄い勢いで燃え始めたのだそうだ。 その時の蝋燭を見たのだが、右側だけに不自然なほど溶けた蝋が固まっていた。「何かの霊現象なのではないか」と。 母は、その事を坊さんには言わなかったそうだ。 何で?と思う。 これも昨日か一昨日聞いた話なのだが、俺の親父には予知能力的なものがあるらしい。母親が言っていた。 なんでも、事前に誰々がどうとかいったイメージが頭に浮かび、その後実際頭に浮かんだ人間から連絡が来たりする事が頻繁にあるとか。 俺はそれは初耳だった。単なる偶然とも思えるけど。 父方の田舎を出てから、今度は母方の田舎に行った。 婆ちゃんが俺に1万円をくれた。 それから、うちの家族と祖父祖母の6人で、「ステーキ1」というレストランにご飯を食べに行った。 じいちゃんを家に送り、家族で神戸に帰ってきた。 帰り道、妙にノスタルジックな気持ちになった。 両親が前で車を運転していて、俺が後ろに乗っている。 景色はどんどん暗くなってく。 ふと、昔の事を思い出した。 読みかけの小説「蒲公英草子」に「子供は、他人が自分と同じように意識を持っている事自体信じる事はできないだろう」という一節があるのだが、俺はまさにそういう感じの子供だった。 子供の頃、前で両親が車を運転していて、俺は後ろに座っていた。 景色は夜だ。 俺は自分自身に意識が存在している事が恐ろしかった。 その他大勢の人間は、それぞれ俺の意志とは関係なしに動いているのに、その中に俺という意識が存在している事が「ありえない」 どんな確率だよ、こんなにたくさん人が居るのに何で俺が存在してんの?ありえないありえないありえない・・・と、凄い絶望を感じていた。 他人の意識は分からないのに、紛れもなく自分の意識を自分自身で感じている。 これは現実なんだ・・、何が嘘であろうとも、絶対にこれだけは現実なんだ・・、と。 俺はそれが凄く怖くて耐えられなくて、子供の頃、今日のような状況(車の中で、外が夜中で)で、親に「これだけは現実なん?」「何で俺の意識だけ存在してるん?お母さんちゃんと目見えてるん?」「そんなん、俺だけしか目見えてるようにしか感じへんわ・・」と、よくヒステリー気味に泣きわめいていた。 蒲公英草子は母親が俺に薦めてきた小説だ。 今日、車の中で「俺もここに出てるみたいに、意識があるのが信じられないとか言ってたの覚えてる?」と聞いてみると、「そういえば、そんな事言ってたな。覚えてる」と言われた。 「おかんも、自分だけに意識があるように感じて恐ろしくなったりはせんの?」と聞くと、「そんな難しい事分からへん」とか言われた。 そこでこの話は終わった。 午後20時頃になって、神戸の家に到着した。 もうクタクタだ。 携帯を見ると、メッセの子からメールが来ていた。
「あいつ(以前メッセの子を悪戯した先輩[男]とやら。事故で下半身不随になった奴)、亡くなったそうです」との事だった。ゾクッとした。 何で死んだのかは分からない。 その子を悪戯して死んだのは、これで2人目だ。 しかも、その子に遺書を残していたらしく、その子以外が開封できない事になってるらしい。 読んでくれ、との事らしいのだが、その子はそれが嫌で困っている。当然だ。 そいつがその子にした事を思えば同情の余地なんてないし、その子を怖がらせるだけだ。 本当に天罰というものがあるんだな。 そうだとしても、その子が何もされてない状態で未然に防げた方がずっと良いのに・・ 何かされた後でそいつがいくら罰を受けても、その子がされた事は消す事が出来ない・・ だからといって、そいつが何も受けずにのうのうと生きていくなんてとんでもないけど。でも、本当に天罰とかそういう天の力的なものが存在するなら、まずそれよりも、最初からそういう子が犠牲にならない方向に力が働いてほしいと思う。
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