9/27からの連載になっています。まずは27日の「いってきます。」からご覧ください。
旅に出て1ヶ月が経とうという頃。 わたしは「空を歩ける」という男に出会った。 男は村はずれに住んでいて、村での男の噂はどれもよくないものだった。 皆、最後には口を揃えていった。 「あいつは、ただの嘘吐きだ。」と。
村から少し歩いた丘の上。 男はタバコをふかしながら遠くを眺めていた。
「こんにちは。」
その男は、瞼を重たそうにこちらへ向けると 低い声で「おぉ」とだけ言って、再び遠くへと視線を投げた。 こんなにめんどうくさそうに挨拶をする人は珍しい。 わたしは思わず頬を引きつらせるようにして笑った。
「なんか用か。」 「ええ。あなたね、空を歩けるというひとは。」 「それがどうした。信じてもねえくせに。」 「信じるわ。わたしも、空を歩いてみたくて。」
男は少し驚いたようにわたしを見て。 そして、無精髭を左手で擦ると少し嬉しそうに微笑んだ。 秘密を打ち明ける少年のような顔だな、とこっそりとわたしは思う。
「わたしじゃ、無理かしら。」 「いいや、誰でも歩ける。」 「どうやって?」
男はにやりと笑って、遠くを指差した。 わたしは男の黒ずんだ爪が指す先を見るが、それはただの空だった。
「なに?」 「直に向こうから雨が降り出す。」 「はぁ。」 「その雨は数分で止む、そしたら太陽を背に何ができると思う。」 「…あ。」 「虹、だ。」
わたしの言葉を待たずに、男はそう言ってにやりと笑った。 ぽかんと口をあけるわたしの鼻の頭に、小さなしずくが落ちる。 雨だ。瞬間的にそう思った。
「きやがった。走れ、川べりに虹が生えてくる。そこから渡れ。」 「え、え、え。虹を、渡るの?」 「そうさ、空にできる橋だ。虹の上からの世界は絶景だぞ。」
彼はそういって、わたしの背中を押した。 わたしは転がり落ちるように走る。 走って走って川べりについたころには、息も絶え絶えだった。 そして気づけば雨も止んでいた。川はさんさんと流れて 雨におびえていた鳥たちが現れ始める。虹は生えてこない。
(うーん、だまされたか。)
と思ったそのとき、まったく別の方向に虹が現れた。 とてもはっきりと。そしてその上をすたすたと男が歩いている。
「あーーー。」
わたしは思わず、情けない声を張り上げて男を指差した。 彼は可笑しそうにけらけらと笑ってわたしを見下ろす。
「残念、川べりじゃなくて杉の木の近くの大岩だった。ソーリー。」
タバコをふかしながら、面白そうに男はスキップをしながら空を歩いていく。 わたしは小さく震えながら叫んだ。
「う、うそつきー!」
その3日後、わたしは今度こそ本当と、森の中の湖まで足を運んだが またも見当違いな方向に虹は上がって、彼は「絶景かな」と空をてくてくと歩いていた。 わたしはまたも叫ぶことになる。 村人はそんなわたしを見て「だから言ったろうに。」と呆れた顔で笑った。
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響さんからのお題「空の歩き方」より。
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