前の日← ◎目次◎ →次の日



( 何も考えていない状態を証明する )
2005年07月10日(日)


「何も考えていない状態」を言葉で形容したものが、「ぼーっとしている」状態なのだと思っていたのだけれど、では本当に何も考えていない状態というのは有りうるのか?と、この間誰かが何気なく発した言葉が、気になって気になって仕方なかった今週末です。いや、でした、か。だってさ、何もかんがえていない状態に、「あ、今何も考えてない…」と思ってしまった時点で“何か”考えているわけじゃないですか。そう考えると、「何も考えていない状態」を知覚することは自分じゃどうがんばってもできないんじゃないかなあ、と私の頭では思うのですが。どーなんだ。

なんていうどうでもいい葛藤は置いておいて、(……うそうそ。人間の精神世界はどうでもいい葛藤なんかじゃありません)(なんでフォロー…)(…)ロンドンで同時テロがありましたね。ロンドンでテロ、と一番最初に聞いた時に一瞬ヒヤリとした感覚がしたのは、テロそのものにというよりもロンドンという街への思い入れの深さ故なのだと思う。知り合いも多少いる。もう長年足を踏み入れてないとしても街並みも覚えている。そういう私の中で日常生活に近い部分の「現実」が傷つけられたから、ドキリとしたのかなあと思うわけです。他のひとたちは分かりませんが、私は自分の現実に惹きつけられないと何かを嘆いたり糾弾したり怒りをぶつけたりとかいったことは到底できません。正直、遠い場所のお話とかしか思えません。それがいつか回りまわって自分にかえってくるのだとしても。第三者は調停することはできても、双方の気持ちは理解できないと思うのです。否、しないほうがいいのかもしれない。ちなみにそういう、「回りまわって…」とかいう表現もどうも苦手です。ロンドンがきたから日本も危ない!?とかいうそういう関連付けはおかしいだろうと思うのです。あれ、目的はテロを防止することだったっけ?とふと我にかえるわけです。

新聞の一面の写真、爆発後ロンドンの地下鉄を徒歩で歩く人たちを見て奇妙な既視感。ああ、そういえば私も地下鉄を歩いたことがあるなあ、と。IRAのテロと今回のテロは果たして何がちがうのか?規模?時期?背景?

…とかいうようなことをつらつらと考えながら、やっぱり「何も考えてない状態」ってのは難しいよなあ、と思うわけです。網戸の外に虫の声。







書き人→葉月
メールホームページ