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| 2003年07月22日(火) |
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今さらでもええねんて |
さっき、XのiTuneに曲を入れようと思って たまったMOを整理してたら 昔つくったMP3のいっぱい入ったMOが出てきた。
で、なんとなくaikoを入れて流してみた。
…グッときてもうた >_<
これをリアルで聴いてたころは何考えてたかなぁ?なんて もう忘れちゃったけど、 aikoなんて聴くの恥ずかしいぜー!と思ってた日々も過ぎ、 久しぶりに聴くと前よりもっと素直に聴ける曲もある。
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昔、小学生のとき、 わたしのおば夫妻の家"せっちゃんち"に遊びに行ったりすると、 CDラックにある曲すべてがなぜかかっこよく見えたりした。
だから、 「たま」も「ユーミン」も「ビートルズ」も 小学生には名前も覚えられんような洋楽の数々も、 せっちゃんちにあるだけでみんな同列にかっこよく見えたものでした。
曲のひとつづつを聴いてかっこいいって思ってたわけじゃなくて
昔"上北沢" (なんとなく子供ながらにいい力の抜け加減な都会なイメージだった) に住んでたりとか、旦那さんがコウコクの仕事をしていたりとか、 W+Ic大の組み合わせがこれまた"いい力の抜け加減"な頭の良さな かんじがしたりとか、へんな貯金箱を大事にしてたりとか、
なんか子供ながらに憧れのふたりだったように思う。 かっこいいと思ってる夫婦の家の棚にある曲だから かっこいいって思ってたんだなぁ。
-- そんなことをふと思った。
いつしか自分も自主的に音楽を聴くようになって、 頭ん中でこれはかっこいいこれはダサイとかいう区切りをつけたり 世間でかっこいいと言われる音楽をかっこいいと"思い込む"ようになって
でもなんか最近ふと気付くと またそういう"思い込み"が抜けてきたなぁと思う。
「自分はひと味違う」って わざわざ人と違う方を選ぼうとしなくたっていいんだよね。 好きなものは好き 良いものは良い
どんな縁か(って自分で選んだんだけど)自分も広告の仕事をするように なって、こうやって文章にして昔を振り返ったりしてると不思議だなぁ。
せっちゃんちも、 「自分たちが良いと思うもの」を同列にCDラックに並べてたから かっこよくみえたのかな?
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