ゆりあの闘病日記〜PD発症から現在まで〜

 

 

破裂の後 - 2003年05月23日(金)

それからの私は順調に仕事をこなしながら過ごしていた。これまで蒔いた種が一気に目を吹き出して、目の回るような忙しさだった。顧客戦略どころか先方から仕事が転がり込んでくる毎日。そんな中でも相変わらず家事を一切せず、ジャニーズのコンサートで気を紛らわしていた。
勿論、家庭が上手くいっている訳がない。夫は完全に「単なる同居人」と化していた。お互い様である。常に一触即発の日々が続いていた。夫の自律神経失調もかなり悪化していた。転職した再就職先での人間関係に悩んでいたらしい。しかし私の症状に比べれば、たいした状態には思えなかった。他人の痛みを捉えられない悪癖はパニック障害の落とし子であり、他人の飽和量を推し量って物事を見ることが出来なくなっていた。

相変わらず薬は飲み続けていた。以前よりはいくらか定時に服用していたが、元々フレックスタイム勤務の会社員には朝昼晩のズレは必至だった。時折軽い発作を起こしつつも、何とか業務をまわしていた。
外ではこれまで以上に努めて明るく元気に振舞った。折角のチャンスを棒に振る気はない。そのためには病弱なイメージを払拭しなければならない。元来の青白い顔に頬紅を塗りたてた。
以前より身体は辛くなかった。ただ、夫の家での荒れ様が激しくなっていくことが気がかりで、自分の体調まで崩れてしまうことがよくあった。しかし決して表には出せない。これまでとは別のプレッシャーが私を抑圧していた。

流れに身を任せた日々を過ごす中、それは突然起こった。私が社運をかけたプロジェクトに参加することになり、キックオフミーティングが行われたその日、夫の症状が悪化し大きな発作に見舞われたのだ。
私は夫を追い立てて専門の病院に行かせた。そもそも病院嫌いの頑固な夫で、しかも仕事一筋の真面目人間なので、平日に休ませることは至難の業だった。しかしこれ以上放っておく訳にはいかない。
そもそも夫はこれまで義母に処方された薬を勝手に服用していた。本当は決してやってはいけないことである。以前からその薬が本当に夫に適合しているのかどうか疑問を持っていたこともあり、私が通っているクリニックに強制的に送り込んだ。

結果は案の定であった。これまでの薬は気休め程度のもので、彼の症状にはもっと強い薬が必要だと判明した。私のようにさしたる病因がある訳ではない。生来の几帳面さと人に気を遣う性格による積年のストレスが、再就職先でのいびつな人間関係と不条理な責務によって爆発したらしい。
環境を変えることが必要だった。たまたまタイミングよく夫に引き抜きの話が来た。私の勤務する会社からである。上場後まもないこともあり、一部上場企業の経理幹部経験者を密かに探していたらしい。私の元へ探りが入ったのだ。

基本的には本人に任せることにした。ある意味「コネ入社」になるから、決まってしまえばそう簡単には辞められないだろう。結局、性格的にどこへ行っても不満が溜まる性質なのだ。ただ、人間関係だけは極めて良好な会社ではある。私をおいてくれるのだから。
私の与り知らぬところで話は進み、秋からの夫の入社が決まった。ストレスの一因は給与水準の低さでもあったらしく、まともな給料が貰えると喜んでいた。確かに同じストレス過多な仕事なら給料が高い方がマシかもしれない。

事態が好転するのか、はたまた面倒なことになるのか、この時には想像すらつかなかった。

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