ゆりあの闘病日記〜PD発症から現在まで〜

 

 

豹変 - 2000年08月13日(日)

結婚してからも、淡々とした日々が続いていた。所詮は他人との生活。笑いあうこともあれば、時には包丁を持ち出して突き刺したくなるほどの苛立ちに襲われることもあった。それは夫も同じこと。不機嫌になると私はただ黙る。彼は表へ出て行く。しばらくは帰ってこない。
結局は時間と諦めの問題。自らの至らなさを振り返れば、相手を責める気持ちなど失せてしまう。こうやって人間は辛抱強くなるのだろうか?とはいっても大部分の時間はまだ平穏にのんびりと過ごしていた。

彼が初めて酔って帰ったのは、結婚式から丁度2週間が経った頃。私の家族や親戚は煙草は吸っても誰一人お酒を飲まない。理性を失うということに対して激しい嫌悪感があるからだ。とはいえ、社会人になって十余年。上司や同僚が乱れる姿は見慣れていた。彼が酒を飲むとは聞いていたが、まあ大したことではあるまい、と軽く考えていた。
甘かった。会社の人々の飲み方は非常にお上品であることを思い知る。その日彼が帰宅したのは午前3時半。しかも近所に響く大声をあげながら。とにかく部屋の中へ入れる。何故か先日買ったばかりのスーツは泥だらけだ。靴下は片方ない。「どうしたの?」と聞いても返事がない。というより何を言っているのか聞き取れない。挨拶のつもりか「おうっ!」と肩を何度も叩かれる。痛い。物凄く痛い。骨に響く。力の加減が出来てないのだ。本人に悪気が全くない分、どうしてよいやら途方に暮れるばかり。

やっとのことでスーツを脱がせ、ベッドに横たえる。力が抜けた大人の男はとにかく重い。横になっても、まだ何かしゃべり続けている。なにやら説教らしい。「だからお前は駄目だって言ってるんだ。わかってんのか?え?」何が駄目なのか、主語がないので判らない。「何が?」と聞き返すと「そういうところが駄目だって言ってるんだよ!」と叫ぶ。慌てて「すみません」と答える。するとまた「謝ればいいってもんじゃないんだよ!お前は財務諸表をなめてんのか?ええ?」・・・どうやら仕事のことらしい。とすると私には関係ないようだ。仕方がないから放っておく。
30分後に様子を見に行くと、ぐっすり眠っている。私も早く寝なければ明日に差し支える。しかし酒臭い!部屋中に一度体内に摂取された後のアルコール臭が充満している。強烈な吐き気が襲う。一滴のビールすら飲めない私は、こんな部屋では眠れない。仕方なくリビングに毛布を持ち出しカーペットの上で寝る。

翌朝「こんなところで寝てたら風邪ひくよ」と辛そうな声で起こされる。「大丈夫なの?」「何が?」「だって昨夜・・・」「なんかあった?」要するに全く覚えていないのだ。挙句に「なんだか気分が悪いんだ。おかしいなあ・・・」絶句。これが噂に聞く「酒乱」というものなのか?恐らく、普段の腰の低さと気遣い、そしてストレスの反動だろう。私の発作みたいなものか?
しかし恐ろしいことに、こんなことも週に1回のペースで繰り返されるとすっかり慣れてしまう。私が既に床についている時、帰宅した彼が廊下をトイレと間違えて放尿する音が聞こえても「またやってるな」位にしか思わなくなる。さすがに翌日「廊下が濡れてたよ。水こぼしたら拭かなきゃ駄目じゃないか」と言われた時には、ちょっとキレかけたが。爆 歌舞伎町から放送禁止用語を絶叫する電話がかかってきても、救急車で運ばれたという知らせにも動じなくなった。

丁度この頃から、薬の効き目が短くなり始めた。1日の許容量では明らかに薬が足りないと感じるようになっていた。もちろん今以上の量を処方してもらうことは不可能だ。依存症になりかねない。少しずつ小分けして服用したり、自分なりの工夫を凝らした。しかし一向に症状は変わらなかった。
そして結婚して半年経った頃、私は変わり始めた。まず一切の家事が出来なくなった。やる気が全く起きないのだ。やらなければという気持ちはあるのに、身体が全く反応しない。そして家にいる大半の時間を、横になって過ごすようになった。そうしなければ翌日、身体がもたないのだ。それ以来、料理、洗濯、掃除、家事の一切を夫が行うようになった。申し訳ないので、皿洗いだけは私の領分にしてもらった。食器洗浄機に皿を入れるだけだが。それすらも彼に「溜まってるぞ」と言われなければ気付きもしない有様。
明らかに私の中の何かが狂い始めていた。しかし、それはまだその後の重圧の序章に過ぎなかった。

処方薬 : セパゾン・リーゼ・トフラニール・デパス・ロプレゾール

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