告白 - 1999年10月30日(土) 次の日から何回か電話を貰った。図々しい誘いなら簡単に断れるのだが、彼は一部上場企業の大手ゼネコンの本社経理マン、要するに企業会計のプロフェッショナルという地位にも関わらず、懸命に私が嫌がらないように気を遣っている様子が言葉遣いや腰の低い態度から窺える。恐れ多くて邪険に扱う訳にいかない。チェロの先生ご夫妻への礼儀もある。しかし何だろう?無口な人が必死に自己表現をしようとしている感じとでもいうか。周囲にはそうそういないタイプの人間らしい。 結局断りきれずドライブに連れて行ってもらう。だが車に乗れば彼も納得するだろう。何せ病気の最も判りやすい場所。そう、私の車酔いは半端じゃない。何処の誰の車に乗っても、眩暈と吐き気が止まらず、挙句に動悸の発作を起こす。レミコの超安全運転ですらそうなのだ。当然である。地下鉄に乗れない人間が、もっと狭い自家用車に乗れる訳がない。タクシーで15分が精一杯なのだ。 そこで早く気付いてもらって、さっさと断ってもらおう。こちらから自然に断るのは至難の業だ。だって何が気に入らないといえばいいのだろう?親切すぎるから。いい人過ぎるから。20歳過ぎの女の子じゃあるまいし、30歳ではこれじゃ通用しない。 2週間後、ドライブに出かける。それまでの間、電話は毎日かかってきた。ご苦労なことだ。しかし特に気詰まりではなかった。それだけ気を遣ってもらってるんだろう。結局、私も話したいことを好きなように話して気分転換してた気がする。 その日の朝、非常に庶民的な車で迎えにいらした。ちょっとホッとする。私がこの世で一番苦手な人種は「似非金持ち」だ。親や亭主や、人様の稼いだ金で生活して、感謝の気持ちどころか、逆に不平不満を並べる類。反吐が出る。どうやら彼は私と同じ貧乏育ちらしい。ちょっと安心。 早速湾岸方面へ。しかしどうしたことだろう?何分何時間経っても、気分が悪くならないではないか。薬は飲んできたけど、普段はそんなこと関係なくギブアップしている頃合なのに。馬鹿話をしているうちに、あっという間にお台場に着いてしまった。そこでまたしばらくくだらない話をする。家まで送ってもらい、自然に次の約束をして別れる。 どうにも調子が狂う。恋愛沙汰など金輪際御免だ。もちろん彼にもそういう意味の好意は抱いてない。だが今のところ完全に断るタイミングを逸している。逆に嫌悪感のない時間を過ごしている。楽なのだ。 だが、それもこちらの勝手な都合。見合いという手段の先には当然、結婚という前提が存在する。彼もそのつもりだろう。しかし何と言って断ったらいいのか、私には全く思いつかなかった。 だから決心した。結婚できない訳を正直に話そう。この誠実な人に嘘や誤魔化しはしたくない。私に起こった事を残らず話せば、流石にどんな男性だって逃げるだろう。それでいいのだ。そうやって独りで生きるって決めたんだから。 そしてある夜、初めて家に遊びに来た彼に正直に話した。過去のあやまち、子供が産めないこと、病気のこと、借金のこと、夜の仕事のこと。およそ結婚には不適当な人間であること。恋愛という感情を失ってしまったこと。彼はしばらく無言だった。そして青い顔をして「考えさせてくれ」と言って帰っていった。 恐らく帰ってくることはないだろう。これでよかったんだ。ちょっと淋しい気もしたけど、すぐに慣れる。また元通りの生活が始まるだけだ。でも一つだけよかったと思えたのは、世の中には真っ当な男の人もいるんだな、と判ったこと。その見境がつかなかった過去の自分が愚かだったことを思い知った。 その日の深夜、久しぶりに大きな発作を起こした。動悸が全く止まらない。眩暈がして息が出来ない。フローリングの床を転げ回りながら、辛うじて救急車を呼んた。一体何回目だろう?そしてこの闘いは何年続くんだろう?点滴とモルヒネで薄れる意識の中、久しぶりに弱気になりかけた夜だった。 処方薬 : セパゾン・トフラニール・リーゼ・ロプレゾール -
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