解放 - 1999年01月30日(土) それから丁度2週間後。開店準備のためにいつもの時間に店に入った。珍しくママが先に来ている。そしてカウンターに座った井上さんと何かヒソヒソと話している。挨拶だけして控え室に入る。きっと何かプライベートな話だろう。そういうことに関わらないのがルール。靴を履き替えていると「ユリちゃん、ちょっといい?」とママの呼ぶ声がした。急いでフロアへ入ると井上さんはもういない。ママが一人でカウンターに立っていた。なんだか顔色が悪い。私に気が付くと辛そうな目でママは言った。 「ジュンちゃんが亡くなったの。悪いけど私と一緒にお通夜と告別式、出てくれるかしら?」 一瞬、目の前が真っ暗になった。なんでそんな・・・思考が追いつかない。でもショックを受けてる場合じゃない。ママは今にも倒れそうだ。しっかりしなくては。「はい、もちろん」と返事をしてママの手を握った。 途中でマユミさんを拾って葬儀場へ向かう車の中で、ママがポツポツと話してくれたジュンさんの人生。 天涯孤独の身の上。若過ぎた最初の結婚。待ちに待った最初の子供がダウン症だと判明してから、夫婦仲にも嫁姑間にも埋められない亀裂が生じていった。そして離婚。子供は姑の手に委ねられた。 その後、悲しみを紛らわせるため、生活のために銀座へ出て、持ち前の美貌で華やかな地位を築いた。そして優しくて堅実な2番目のご主人と結婚。大切にされ幸せな日々を過ごした。しかし子供が出来ることを極端に恐れたジュンさんは中絶を繰り返し、身も心もボロボロになってノイローゼ症状がひどくなっていった。そんなジュンさんを心からいたわって大切にしていたご主人。けれど心が壊れていたジュンさんは「優しすぎて物足りない」という理由で、2度目の離婚。 そしてこの小さな町の小さな店で働き始め、お店のお客様で3番目のご主人になるはずだった御曹司と出会う。でもこの縁組にママは最初からあまり賛成してはいなかった。金持ち特有の悪気のない気まぐれさを感じたのだそうだ。ママのお気に入りは2番目のご主人だった。時々店にもいらっしゃったが、ホントにいい人のようだった。別れた後もジュンさんのことをいつも心配していたし、ジュンさんもこの人には色々と相談できたようだ。 3日前、ジュンさんからママに電話があったらしい。3番目の結婚が破談になりそうなので店に復帰したいということだった。もちろんママは喜んで迎える仕度をしていた。そんな矢先の出来事だった。 夜中にジュンさんは2番目のご主人にいつものように電話で色々と相談していた。すると突然、物が倒れる音がしてジュンさんの声が聴こえなくなったそうだ。何度呼んでも返事がない。驚いた2番目のご主人は、慌ててジュンさんのマンションに駆けつけた。このマンションは3番目のご主人になるはずだった人の持ち物だ。部屋には鍵がかかっていて、管理人さんがマスターキーでドアを開けた。ジュンさんはリビングの床に倒れていた。周囲にはウィスキーの瓶と沢山の薬が散乱していた。急いで救急車を呼んだが間に合わなかった。急性心不全だった。警察は事故か自殺か最後まで判断できなかったそうだ。 棺の中のジュンさんは赤ちゃんのように無垢な顔で眠っていた。額に倒れた時にできたらしい血の滲んだ傷があった。列席は全部で20人ほど。ひっそりとした式だった。身寄りのないジュンさんだから、喪主は2番目のご主人が務めた。最初のご主人と坊やも来ていた。3番目になるはずだった人は、通夜にも告別式にも姿を現さなかった。そのことでママも私もマユミさんもひどく憤慨した。 ママは自分を責めて「私があの結婚を止めておけば・・・」と何度も繰り返していた。私はママに言った。「事故なんですから、誰が悪い訳でもありません」と。そう、絶対にジュンさんは自殺なんてしない。私は確信していた。「でも・・・」と不安げなママに再度繰り返した。「絶対に自殺ではありません」当たり前だ。ジュンさんはいつも必死に生きようとしていた。だからこそ幸せを探し続けていたのだ。仮に発作的に自殺を考えたとしても、スッピンに寝巻きで死姿を晒す人じゃない。倒れて顔に傷を作るなんてありえない。そんなことはジュンさんのプライドが許さない。そう言うとママは「そうね。確かにそうだわ」と何度も頷いた。 ジュンさん、仁平順子さんは36歳で天に召された。美し過ぎるが故の波乱の生涯を終えた。自分の命を自分勝手に断つことを私は許さない。人は苦しみながら生きるのが当然だから。他人には計り知れない苦渋の人生を、決して苦しいとか悲しいとか泣き言一つ言わず前向きに生きようとし続けたジュンさんは、天上の意思によってその苦しみから解放され、無垢な魂に生まれ変わったのだ。私はそう信じている。 その夜ももちろん店はいつもどおりに開店した。私たちはサービスのプロだ。お客様を楽しませるのが仕事。皆いつも以上に明るく楽しく騒いだ。井上さんたちだけはそんな私たちの背中を励ますように、ポンと叩いてくれた。でもそれ以降、一番の得意だった「ジュン」だけは歌えなくなった。 それからしばらくの間、女の子たちの腕にはみんな、カラフルなブレスレットの喪章が煌いていた。 -
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