under one umbrella

2015年09月02日(水) 十代が三十路を迎える



under one umbrella 相合傘で

このタイトルをつけた当時は十代だった。
寺島との間に、相合傘のエピソードがあったわけではない。
英語の辞書を眺めて、響きが気に入ったのと、
そうやってこれからも一緒に居たいと思ったのだろう。
三十路を迎えようとしている今となっては全て推測である。



寺島と雨の中を歩いた記憶はぼんやりとあるが、
相合傘をした、しなければならなかったことはなかったように思う。
手抜かりのない人で、予報をきちんと見て準備する人だった。
なんなら雨なら出ない、そういうタイプ。
だから相合傘の記憶がない。

子どもの私は、彼のそういうところは忌々しかった。
夫もわりとそのタイプなのだが、
年上の美しい顔、というだけで尊敬に変わるのだから現金なものだ。


皮肉にも?相合傘で人生を歩く幸せなイメージは私のなかに残ったので、
結婚指輪を買ったとき、サービスの似顔絵は、
夫と私の相合傘というシチュエーションにしていただいた。
今でも気に入っているが、残念ながらカラーボックスの裏にでも隠れているのだろう。
ここ数年見かけていない。




ここを更新したのはちょうど2年前だった。
それより更に2年前の春ぐらいに、寺島とは本当に連絡を絶った。
連絡してこないでください、もうあなたと会うのは苦痛でしかないのに、
元来の八方美人が邪魔をして、面と向かっては言えない。
こんなことをメールで話す身勝手を許してください。

あのころは、娘を産んだ直後で、疲れていた。
まだ甘えたい盛りだった息子(今でもか?)と、赤子の娘が同時に泣くのがデフォルトで、
何もかも私がやらねばと気負って、子どもは可愛かったけれど、
体力的にも精神的にもぐったりしていた。
たとえ夫が優秀なイクメンだったとしても、変わらなかったと思う。
そこに、
育児の辛さなど微塵もわからない、責任も持たない過去の男が、
昔のよしみというだけで連絡を寄越してくるのである。
メール一通返す時間も惜しかった。寝たかった。

私の生活の、完全な邪魔だった。
ある意味、火事場の馬鹿力のようなもので、
今の家庭に必要ないものを排除したのだと思う。
それほど私は家庭を守ろうとしたのだなぁと他人事のように今思う。


今ならもう少し、言い方ってものもあったかなぁ?と思う。
が、
やはり、結婚しているしない、子どもがいるいないの生活の差は激しく、
共通の言語がないような気さえする。
友情のある関係でもそうなのに、彼とは残念ながら…ということだったのだろう。



そういえば、今私はある男性声優とラジオ番組に激ハマりしていて、
あまりのことにこの長崎から神戸まで単身イベント参加までしてしまったのだが、
参加中、どうにもその愛しい声優のアングル加減で、寺島に見えてしまって困った。
たった2度ほどだったが、確かにちょっと似ている。

その声優のどこが好きかと言われたらやっぱり声と顔と話術とキャラであって(煩い)、
特に顔は、あーー私こういう顔に昔から弱いんだわーーーという塩顔。
なんなら私の初恋は今田耕司であるのだから(塩…?)


夫の顔は、今は哀川翔で若いときは岡田准一かしらというどこへでも通じるイケメンで、
もちろん心底愛しているのだが、
塩顔への愛はまた別バラなのであり、ツボなのだ。


そこで、はたと気づいたのだ。
あぁ、私が寺島にあれだけ執着して、あきらめ切れなかった理由は、
顔ではないのかと。
顔が好みだったのではないかと。
今の夫の好きなところは?と聞かれて「顔」と即答するほど、
顔にコンプレックスのある女だし。



そんな寺島のことは、1年ほど前に弟が近所で見かけて以来、
消息は知らない。
元気で頑張って働いて、自分の家庭にいっぱいお金入れてあげてたらいいな。
三十路の思考は大分現実的になった。




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