2004年05月15日(土) |
けがの功名とでも言うのだろうか。 |
ちょっと前の日記で、私は、 「ちゃんと『付き合い』たかった」と書いていた。 それは昨日の日記と全く逆であり、 昨日の日記までの経緯が抜けているようなので、書こうと思う。
あのときは、本当にそういう考えだった。 まぁ普通に、寺島を好きだったからだと思う。
そこで謝られて、失望して。 気持ちが冷めていって。
どうでもよくなった。 このままでもいいし、また切れてもいいと思った。
次の日、有田君と一緒に過ごして、楽しかった。 なのに、ときめけなくて。 なんか乾いているのを感じて。 寺島に会えば、やっぱり好きで。
それでも、 失ったモノは復ってこなかった。 失望する気持ちはそのままだったし、 切れても構わないと思うのも本当だった。 しかし、そこで発生したものがあった。
私の、寺島に対する「気安さ」だった。
今まではやっぱり、寺島の前だと緊張して、 「女らしく」とかいうことが頭から抜けなかった。 本気で怒れたりすることもなかった。 寺島に嫌われたくなかったから。
けれど今では、ない。 まったくない。 会話のテンションは高いし、男言葉も使いまくりだし、 むかついたらメールも素っ気なくなる。 からかわれたら叩くし、からかい返す。
私のなかでは、弟への接し方みたいなもので。 好きな人への接し方じゃなかった。 その分、私は自然でいられる。
それが功を奏したようで。 寺島がずっと笑顔でいてくれるようになった。 大学の話もしてくれる。 嫌なことがあったら、話しに家に来てくれる。
別に求めたわけじゃないのに、 恋愛ドラマのようなセリフをくれたこともあった。
そんな寺島を見ていて、 あるいは自分を見て、 「関係を定義する」ことはそこまで重要ではないのだなと思った。 定義したのが原因で相手をなくしたり、 自分を見失ったりするのなら、意味がない。
だらだらと不毛な関係を続けるのを弁護しているわけじゃ、決してない。 むしろ、自分を大切にしていたら、そんなことは起こり得ない。
少なくとも私たちには、お互い以外にこんな相手はおらず、 それなりに、お互いを大事にしているつもりだから。
「付き合っている」と堂々と言えなくても。 必要としていることは変わらないから。
傍に、いようと思う。
そして、未来を。「形」を。 つくっていこうと、思う。
「好きだ」って言い合うことも出来ないけど。 言わなくても伝わってくるときがある。
今はそれで十分だと、思う。
寺島がいるだけで。十分とも思いますしね。
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