風太郎ワールド


2003年05月25日(日) 男の自慢

ある同級生に、数年前20年ぶりに会った。ちょっと自意識の強い、クセのある男だったが、サラリーマン社会で揉まれて20年もたてばさぞ大人の魅力を身につけたことだろうと期待して、もうひとりの友人と繁華街のホテルのロビーで待ち合わせた。

1時間以上も遅れてやってきた彼は悪びれもせず、「忙しくてなぁ。ゴルフの帰りで車が混どったんや」と言ってどかっと目の前に座った。

いつもは饒舌な私だが、その日は「成長」して大人になっただろう彼の話を聞きたくて、めずらしく口数が少なかった。

さて、久しぶりの再会を祝して乾杯した後、待ちきれなかったように彼が切り出した。

「オレ自慢じゃないけど、物心ついてから今日まで一日も欠かしたことないのよ、アレ」
「アレ?」

「ほら、分かってるやろ。ま、ひとりでやる時も含めてやけど」
といって、彼はいたずらっぽく、しかし自慢げに大きな口をさらに大きく開いて笑った。

いきなり話がそっちに行ってしまい、いつもはどんな話題でも縦横無尽につきあう私も、さすがに面食らってしまった。

おい、20年ぶりの話がそれかよ?

それからは、彼のひとり舞台だった。もう中年の域に達しているにもかかわらずまだ独身の彼。世界中を股にかけた仕事をしているのだが、あちこちに「彼女」がいるらしい。金髪もいれば黒人もいる。まるで世界中の女を征服したような勢いだ。

学生時代は表面的なひょうきんさとは裏腹の小心で、いつも女の子に振られてはみんなに慰められていたものだが、社会人になってから女性に関しては自信を深めたようだ。

しかし、それにしても、「オレには好きな女性がいる」という話ではなく、「毎日アレをしている」「世界中にオンナがいる」という自慢話が出てくるとは。

自慢。そうなのだ。その晩ひとりでしゃべりまくった彼の話は、煎じ詰めれば、年はとってもいかにオレは「アレが強いか」、いかに世界中に外人の彼女がいるかという点につきたのだ。

彼から大人の風格を期待した私が、少なからず失望したのは言うまでもない。

しかし、周りを見渡せば、世の男達の多くは、口に出すか出さないかにかかわらず、そういう自慢をしてみたいと思っているのかも知れない。

高校時代から愛し合っている彼女とか、一生待ち続けた運命の女性とか、妻しか知らない純情な男とか、そういうのは男の自慢にならないらしい。

結婚してようが独身だろうが、恋愛もどきで情事を楽しもうが、不倫で修羅場を迎えようが、オレは何人知っているとか、オレは何回やったとか、そういう「魅力」「強さ」が男の勲章になるようだ。

馬鹿らしいとか、くだらないとか、男って単純ねとか、批判するのは簡単だが、「俺は違う」と人格者を気取っている男達でも、心の奥底に潜む願望を暴いてみれば、単純にそういうナマの男の部分に対する憧れを持っていることが多い。

だからといって、すぐさま良い悪いという判断をするつもりはない。真実を否定する必要はまったくないし、実際そういう動物的な要素も人間の活力には必要不可欠だろう。

しかし、しかしだ。それを、ストレートに出してしまうと元も子もないというか、風情がないというか、面白みがないというか、それを言っちゃおしまいよ、ということってあるだろう。

そんなに自慢したけりゃ、その辺の野良犬とか、競馬の種馬とでも競争したらどうなんだとなってしまう。

人間の魅力って、欲望のままに行動すればいいってもんでもないだろう。荒々しさや力強さを望むなら、人間のオスなんかより野生のゴリラかライオンでも見ているよ。

昔と違って、いとも簡単に「出会い」や「Hフレ」や「不倫」が手に入り、ひとつ一つの契りの重さが紙切れほどに軽くなってきた昨今、「恋愛」も欲しけりゃ手に入れ、気に入らなければポイと捨てる。そういう風潮が強くなってきたようだ。そもそも「恋愛」と呼べるのか疑問なほどお手軽な結びつきが至る所に満ちあふれ、気づかないうちに誰も彼もが流されている。

そういう現象を



    ↑クリックするとメッセージが変わります(ランキング投票ボタン)と呼ぶのだが、その中に男の夢を掻き立てたり、一生を賭けても惜しくないと思わせるだけの宝石は混じっているのだろうか?

もし、命を張っても良いと思えるだけの恋愛をしたいと思えば、



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を探すだろう。

さて、20年ぶりに会った同級生と別れる時、「お前のH生活はよく分かったが、お前が昔から求めていた、命を賭けて愛する女性は見つかったのか?」と聞きそうになって、おもわず言葉を飲み込んだ。


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