風太郎ワールド


2003年03月18日(火) 戦車に立ち向かう

昨日の朝日新聞の報道によると、パレスチナで人間の盾として活動していたアメリカ人女性が、イスラエル軍のブルドーザーにひかれて死亡したらしい。

パレスチナ人の家を破壊しようとしているイスラエル軍の、ブルドーザーの前に座り込んで止めようとしたが、ブルドーザーはそのまま前進したという。

イスラエル軍報道官のコメントは、「命を危険にさらす無責任なやり方で抗議していた一団がいた」というもの。

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このニュースを聞いて思い出すのが、中国で民主化要求運動を弾圧するために起きた、1989年の天安門事件だ。

多くの学生、人民が戦車に踏みつぶされたが、そんな戦車軍団の前に、敢然と立ちはだかった男がいた。

手提げかばんをダランと持って、か弱そうな無防備な男がひとり。一台の戦車の前に毅然と立ち塞がった。戦車が方向を変えても、追いかけ、一歩もひるまなかった。

戦車は困ったように動けなくなり、男は踏みつぶされなかった。

この映像は、世界中に配信され、繰り返し放映されて、国家暴力に立ちあがる民衆を象徴するものとして、歴史に刻まれた。

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その頃私が住んでいたアメリカでも、天安門事件は衝撃的に報道された。大学のキャンパスでも、中国の民主化運動を支持するデモが大々的に行われた。あれだけ大規模なデモは、ベトナム戦争以来だったといわれた。

私には、中国人の友人が何人もいた。彼らと同じ年代の若者達が、血だらけになって、戦車に踏みつぶされている状況に、いても立ってもいられなくて、私もデモに参加した。

大学のキャンパスから、州議会があるCapitolまで、中心街を2キロにわたって練り歩き、"What do we want?"、"When do we want it?"というリーダーの呼びかけに答える形で、みんなでシュプレヒコール。

最後は、議事堂前の広場で大集会。その日、街は異様な雰囲気に包まれた。まるですべての市民がデモに参加しているのではないかと思われるほど。

そして、私も、正義のために、小さいながら自分なりの貢献をしているのだという実感を持った。

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仲が良かった中国人同級生Hは、私と同い年。大学院に入るのが遅れた。文化大革命の終わり頃に数年、地方の農村に下放されたからだった。こうした文化大革命の犠牲になった知識人中国人に、80年代のアメリカで何人も会った。

Hは、農作業を全部習ったので食うに困らないと屈託なく笑うが、失われた時間はあまりにも惜しい。

彼は誰にでもやさしく、とにかく謙虚、いつも笑顔が絶えない。



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という言葉がピッタリだった。

非常に優秀な大学院生のひとりだったHだが、学問以上に、彼の魅力は、高潔な人格。長いアメリカ滞在中に私が出会った、最も尊敬すべき人物だった。

Hは、普段、政治的な話は一切しなかったが、天安門事件のときは、研究を中断し、中国人グループのリーダーのひとりとして、デモを組織したり、マイクを握った。

そしてその後、中国人学生が中国政府からパスポート更新を拒否されても、アメリカに滞在できるよう、アメリカ政府に働きかけた。

学部の教授たちも、スタッフも、研究者も学生も、そして大学全体が中国人学生達を応援し、大きな声で支持を表明した。

アメリカ政府は、移民法に特例を設けて、滞米中国人学生に対し、パスポート失効後の滞在を許可した。この時のアメリカ政府の動きは速かった。また、アメリカ中で盛り上がった、中国政府への抗議と中国人学生・民衆への支持は、素晴らしかった。

このときは、アメリカ政府の、そしてアメリカ人の正義を信じることができた。彼らと一体感を感じることができた。

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いま中東では、アメリカの、イスラエルの行動に、世界中から抗議の声があがっている。14年前の正義は、どこに行ってしまったんだろうか?

ちなみに、私の友人Hは、その後研究者として素晴らしい業績を残し、母校の教授になった。


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