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私はノートをとるのが苦手。思考がストップするので板書を写すのも苦手。 講演とか授業をふむふむと聞いて要点と思われるものだけをバラバラと紙に書き付けてあるだけなので、文脈がよくわからない。あとから見直してもあまり情報がなく、結局その悪循環でノートを取るのはうまくならないまま。一方、自分の考えをまとめるのには、チラシの裏が一番。プリントアウトの反故紙などにポンチ絵というか○とか△を描きながら、思いついたことを書きなぐっていく。語学の授業なども、そうやって書きなぐったものをあとで参考書や辞書を見ながらまとめなおしたほうが頭に残る。世の中にはあとからまとめなおしたのかと思うほど、きれいに要点をまとめて書きなれた字でノートを取っている人がいて、本当にうらやましい。 というわけで、授業中にノートを取ることにあまり意義を感じていない私が、自分が講義するときは板書をする。一応、講義ノートも準備する。常勤の教員からも板書をしてノートをたくさんとらせてくださいというリクエストがあるので、ほとんど筆写マシーンと化している学生たち背を向けてひたすら板書をする。でも、学生のほうを向いても、誰も私のことなど見てはいない。その姿にちょっと罪悪感。ノートをとるのが苦手な私のノートを取るなんて……。 板書も当然ポンチ絵入り。そのほうが自分が説明しやすいから。学生もそのポンチ絵を大真面目に書き写している。あまりに独りよがりなポンチ絵なので、時々わかりにくいといわれるが、まあまあ好評。 先週、いつものように講義後のコメントを読み返していたら、図がわかりやすいとかわかりにくいとかのありふれた意見のほかに、目を疑うほど要求度の高いコメントが複数。 板書が単色でつまらない。 大事なところは色を変えて強調して欲しい。 ……えーっと。 色は自分で勝手につければいいんじゃないでしょうか。 自分で大事だと思うところを強調すればいいんじゃないでしょうか。 試験がないこの授業で、このノートを読み返すことがあるのだろうか。 読み返すならば、大事なところはおのずとわかってくると思うのは、教員としてのサービス水準低いですか。 ふーむ。
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