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今年度限りの非常勤先の近くで所用があったので、教員用PC室のキーを返しに寄る。ついでにPC室で少し仕事をしていくことに。お昼をはさんでだらだらと作業。たまたま私が抜けたあとのコマをやる同業者も仕事をしに来たので、「お聞き及びかと思いますが、ワタクシ今年度限りで…。」と挨拶しかけると、「あの!なにがし先生(仮名)!」と遮られてたじろぐ。「はい?」「あれって、ほんとなんですか!?」……どうも話の主題は共有されていた様子。私の後任は彼女だろうと思っていたので、後任を依頼されているのではないかと尋ねると、秋口から専任教員にはそういわれていたのだが半信半疑だったので、という。半信半疑っていったって、来年度の授業計画の提出〆切り間際に何をおっしゃってるのやら……。話がかみ合わないまま、彼女の質問攻めに遭う。話をまとめると、どうも彼女には、一定期間の任期が内規として定められているのではないか、という不安感があったらしい。いや、そういうんじゃないんです。安心してください。と、なぜか去る私が残る彼女を宥めつつ説明する側に。それ、私の職務じゃないですから。 作業はそれなりに快調に進み、成果物をプリントアウトして、一度ファイルをしまって中座して、トイレに行って戻ってきて、プリントアウトしたものに目を通す。さっそく修正箇所が見つかったのでもう一度ファイルを開いてびっくり。さっきまで作業していた内容が全然反映されていないかなり初期の状態の文書になっている。作業中、合間合間に上書き保存していたはずなのに、ファイル保存のタイムスタンプを見ると3時間以上前。 狐につままれたような気分で、あちこちPC内を探してみたが、ない。この私が上書き保存を3時間以上しないなんて考えられないので、これはPCのせいか、USBメモリのせいか、ソフトのバージョンのせいか。非常勤先のPCはffice2007で、自分のファイルは2003。ずっと2003以前の形式で上書き保存していて、その保存中のメッセージも表示されていたと思うのだが……。 今となっては、途中で作業効率がいいだろうと思って画面が大きいほうのPCに場所を変えて作業したのがいけなかったらしい。そういえば数回USBメモリを認識しなくなったりして再起動したり、USBを抜き差ししたりしていたのだが、PC自体がなにか不具合があったのだろうな。とにかくプリントアウトはあるので、そこから再現するしかない。再入力してみると結構くだらないことを書いていることがわかった。頭の整理にはちょうどよかったかも。 その話を知り合いにしたら、そういう場合に備えて、大事な書類は上書き保存ではなく、どんどん別名保存して行き、タイムスタンプが一番新しいものを最終原稿とすればよいのだといわれた。確かに。 部屋に後まで残っていた同業者の彼女に別れの挨拶をして、事務によってキーを返却。ここでもちょっと首をかしげるような対応を受けたが、とにかくこれで立鳥跡を濁さずのはず。あとは専任や他の教員に挨拶すればおしまい。お世話になりました。 夜は西麻布の小料理屋で会食。六本木一丁目駅から六本木交差点を通り、六本木ヒルズの先までてくてく歩く。バブルは夢の跡か。最近は六本木に来ることはあっても、地下鉄から直にミッドタウンとか、地下道抜けて六本木ヒルズとか、六本木交差点の地上を歩くのは久しぶり。待ち合わせの名所アマンドが工事中になっていた。もう一つの待ち合わせメッカである向かいの誠志堂書店が数年前になくなったし、人々はどうやって待ち合わせるのだろう……なんてことを思うこと自体が時代遅れ。ちなみに誠志堂書店はdocomoショップになっていた。そう、携帯電話があればいいのだ。ちなみに今日の会食相手は携帯不携行である。待ち合わせはMEIDI-YAレジ前。 六本木六丁目交差点から青山方面を眺める。今は新国立美術館があるあたりも含めて、子供の頃はここに有刺鉄線やらトタン板やらの囲いがあって、その向こうはのっぱらだった。バブルの頃は敗戦国の色が濃く残っていたなと思う。今調べたら米軍のヘリポート(赤坂プレスセンターへリポート)あたりは、まだ不法占拠帯というか国が返還を求めている土地らしい。 ○「赤坂プレスセンター臨時ヘリポート問題の解決について」の概要(平成19 年1 月12 日) http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2008/03/DATA/20i3l400.pdf
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