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2005年01月07日(金) 鯛の浦

夕方の首都圏版情報番組で、天津小湊を特集していた。天津小湊というのは、千葉県南房総沿いの漁師町で、日本で一番早く初日の出が見られるらしい。つまり最東端なのか??名物は鯛。「鯛の浦」という入り江もある。金目鯛の水揚げを誇るが、鯛の浦の鯛は禁漁。たまに間違って捕れた鯛は供養するらしい。来月、鴨川シーワールドで有名な鴨川市と合併して、新・鴨川市になる予定。

小湊には小さいとき、まだ小学校に上がる前に、何回か海水浴に行ったことがある。明け方暗いうちにおきだして寝ぼけ眼で父が運転する車に乗って、カーフェリーで東京湾を渡った。今ならアクアラインで行くのだろうか。泊まったのは民宿。本来の民宿というのはああいうものなのだろう。多分漁師の家だったのだろうが、ごく普通の民家の座敷を二部屋、夏の海水浴のシーズンだけ宿泊施設として提供する。一度昼ごはん時についたら、店屋物を取ってくれたことがある。大人たちはカレーを食べたような。お風呂も特別なものではなく、そこの家族が使っているものを使う。ガラガラとあける玄関、右手に台所、左手に家族の居間があり、薄暗い廊下の突き当たりに階段、階段を上がると日本間が二つ。トイレ、お風呂場のタイルの模様、水着、パラソル、必ず持っていっていた日焼け止めのボトルの柄まで覚えている。
家の裏手から出て、防波堤のある川沿いの道を歩くと海へ出る。砂浜と岩場があって、午後になると岩場にたまった海水が日光で温まる。ちょうど体が入るようなくぼみを見つけて「お風呂だ」といって母と休んだり。お昼は一度宿に帰って食べていたのだろうか、沖合いにタンカーがいて、一日泳いでいると足の指に黒いものがつくようになった。父は重油だといっていたが、高度成長時代で、環境よりも公害が優先されていた時期である。環境に厳しくなった今の方が海はきれいかもしれない。海から上がると表でホースの水をかけてもらって身体を洗い、お風呂に入って食事をして、あとはテレビを見たりごろごろしたり、トランプをしたり、兄弟げんかをしたり。二泊三日ほどだったろうか、あまりありがたいとも思わずに過ごしていたが、今考えると質素ながら楽しい時間だった。

電車だとうちから2時間半ほど。鯛せんべいという、鯛の形をした瓦せんべいをよくお土産に買っていた記憶がある。まだあるだろうか。久しぶりに行ってみたい。

天津小湊町ホームページ:
http://www.town.amatsukominato.chiba.jp/chosei/index.html


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