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朝フランス語進級テストを受ける。絵を見ながら即興で話を作るというもので、文法や語彙などはあらかじめ提示されていた試験範囲に含まれているものの、思いがけないストーリー展開になっていてとたんに頭の中が真っ白になる。文字通りしどろもどろにタスクを終え、次課程も続けるかという問いに「もちろんです。もし可能ならば…」と答える。可能らしい。 終了後、傷心のまま電車に乗って非常勤先Bへ。今日は出講日ではないが、夕方まで時間を潰す必要があるのと借りたい本があるのとで、仕事道具一式を持って出てきた。非常勤とはいえ大学に籍を置いている恩恵の一つは、図書館が自由に使えることである。それが複数となればまたその恩恵は大きい。実際、蔵書検索をしてみたら非常勤先Lの目的の本があと1週間ほど貸出中になっていて、非常勤先Bを試してみたら首尾よく入手可能だったのでのこのこと出かけてきたのだから。 非常勤先Bは戦後の新興大学で、規模もあまり大きくない。蔵書も広く浅くという感じで1フロアあたりにある書架の分類も複数にまたがっており、歴史の古いLに比べるとまた違った顔つきをしている。書架がどうもにぎやかだと思ったら、かなりの数の本がカバーをはずさないままブックカバーフィルムでコーティングしてあった。人目を引くことを意図した装丁のままにぎにぎしくならべられているのだ。帯ははずしてあるので、書店の雰囲気ともまた違う。どちらかというと公共図書館に似ている。非常勤先Lの図書館は、配架前に全てカバーの類は取り去ってしまい、分類番号を貼ったシールの上だけを補強してあるので、無駄はないが無味乾燥な顔つきになる。学生時代図書館でアルバイトしていたときに、惜しいと思いながらも指示で美しいカバーをずいぶん捨ててしまった。あまりの美しさにこっそり持って帰ったこともある。 目的の本は学術書だったが、探しているうちに須賀敦子著「塩一トンの読書」が目に飛び込んできた。目的の書架の上段に読書案内を主題にした本がいくつかあり、これも装丁のなせる業か、須賀敦子さんを見つけてしまった。もともとかばんの中に持っている本が一冊。目的の本が一冊。それから書架から書架へ分類番号を辿る道すがら、もう一冊これも目を通しておいたほうがいいと思う本をすでに手に持っていて、そして目の前にある趣味のいい装丁の本。背表紙に手をかけたままかばんの中身と相談する。かばんの中は他にも、すでに仕事道具と、フランス語のバインダーと、修理に出そうと思った靴が一足と、折りたたみ傘と夕方から使う資料が入っている。これこそが荷物を置く場所を持たない常勤でない悲しさである。やどかりのようにいつでも一式かついで歩いている。また3日後にここにくることはわかっているけれど、もう脳の中枢部分がこの本を本能的に欲している気分になって、結局三冊とも借りることにする。 セルフサービスで貸出手続きをして、その場でかばんの中を整理し、真四角になったかばんを肩に担いでよろよろと次の目的に向かった。
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