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ここのところプライベートで人に会う機会が多い。 今日は、年上の墺太利女性とランチ。彼女は日本人男性と結婚して二十数年前に来日、多言語環境で子供を二人育て上げている。彼女と会うのは1年ぶり。フランス語教室が終わってから駅で待ち合わせてデパートのレストラン街で食事したのだが、フランス語教室の余韻さめやらず、しかも目の前のゲルマン風の西洋人相手に英語がなかなかでないもどかしさを感じる。それでも1時半に会って2時間、最近の生活とか旅行の様子とか休みなくしゃべって、脳が軽く疲労した感じ。彼女も夫が研究者で自身が非常勤講師という共通点があるので、その辺りのメリットデメリットについても話が弾む。 彼女は「日本人男性を夫に持つ在日外国人妻の集まり」というグループに属している。どんな活動をしているのか聞いてみたら、たまに夫の愚痴をこぼしあうこともあるけれど、どちらかというと、もろもろの問題に知恵を出し合ったり、どうやって子供を日本でバイリンガリーに(と言う風にバイリンガルを副詞的にも活用できるのね)育てるかとか、集まってはそういう話をするのだという。実際、彼女のところは夫婦の会話が英語、母親と子供達はドイツ語、父親と子供達は日本語、という3言語家族で、子供は3言語を自由に操っているらしい。「そういえばどうしてそんなにうまくできたのか」と聞くと、私は単にドイツ語で話しかけてドイツ語で答えてただけという。じゃあ英語はどうやって?というと私達が英語で話しているのを聞いて覚えたんでしょう、あとは(公立)中学校かしらねぇ、というあまり参考にならない答えだった。 もともとの才能もあるのだろう。二人の子供のうち一人は長じてフランス語を習得し、さらに今は中国語も勉強しているそうだ。ふぅ。英語はドイツ語と似ているから簡単だし、多言語を勉強した人は、他の言語を習得するのも大変じゃないのよ、という。ま、確かに。外国語の習得にもコツがあるのはわかる。はそれと手話も一種外国語のようなところがあるので、私自身は言語によらない意思伝達(Non-Verval Communication)の術を知っていることが、外国語話者との意思疎通にずいぶん役立っている実感はあるのだが、純粋に言葉による多言語の壁をすいすい越えてしまう人々がいる、というのはため息の出るようなうらやましい話である。
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