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2003年08月09日(土) 「八月がくるたびに」

長崎の原爆忌。テレビで記念式典の様子を見た。
聾者の老婦人が手話で原爆体験を発表する。年長の人たちが使う、伝統的手話と言われる演劇性に富んだ表情豊かな手話である。小柄な身体を目いっぱい動かして、全身で核兵器の悲惨さを訴え、これからもなくなった多くの聾の仲間の分まで語り部として後世に体験を伝えていくと誓いを述べた。手話通訳がついていたが、おそらく全ての人の目が彼女に釘付けになっただろう。
続いて城山小学校の児童による合唱、「子らのみ魂よ」。爆心地に近いこの小学校では全校児童のほとんどが犠牲になったのだという。平易なメロディに載せた美しい歌詞が胸に迫る。歌が終わって涙が流れるに任せておくと、内閣総理大臣の挨拶になった。よどみなく読み上げる文章のなんと空々しく響くことか。
小学校2年生の夏休み、長崎の原爆を描いた「八月がくるたびに(おおえひで作・しのはらかつゆき絵)」という本の読書感想文で、賞をもらったのを思い出した。ついでにいうとそれ以降、読書感想文と言うと力んでしまってうまく書けなくなった。多分主人公のお兄さんが通っていた小学校はここがモデルなのだろう。挿絵の作者が、くまさんこと篠原勝之だというのはもちろん後から知った。銅版画の挿絵は子供向けだと言うのにちっとも可愛くなくて、ハッピーエンドでもなくて、それでも何度となく読んだ記憶がある。あの時の感想文には、本を読むたびに涙が出そうになるけれど、涙が一滴も出ない、それは私が本当の戦争を知らないからだと思う、という主旨のことを書いた。父は「なみだがいってきもでない」という表現が面白かったらしくずいぶん私をからかったが、今読んだらきっと滂沱、滂沱で止まらないだろう。今もってなお、戦争の悲惨さを本当に理解しているとは言えないのだが。
「八月がくるたびに」は一度絶版になり、今は復刻版が出ているそうだ。表紙の絵は昔よりきれいになっている。




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